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【特集】ジェームズ・マンゴールド監督作品の特徴・作風について考察

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オレンチ
オレンチ

はじめまして!オレンチと申します。

この記事では先日『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(23)が公開されたばかりの、ジェームズ・マンゴールド監督について書いていこうと思います。

今回の特集を書き始めた経緯を簡単にお話しすると、ひとえに『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(23)の予習がしたかったからです。

もちろん『インディ・ジョーンズ』シリーズの予習も行いましたが、シリーズの予習を《縦軸》としたら、同監督の映画を《横軸》といった感じですかね。

縦軸と横軸の全方位から予習を行うと、観ようとしている映画がもっと面白くなるのでオススメですよ。

ジェームズ・マンゴールド監督作品の特徴・作風について考察してみた

というわけでジェームズ・マンゴールドの作風について独断と偏見で分析していくわけですが、彼のすべての作品を鑑賞しているわけではない点をご了承ください。

僕が鑑賞済みのジェームズ・マンゴールド作品は以下の通り。

ちなみの上記の作品たちは、DVDもしくはBlu-rayにて鑑賞し、音声解説などの特典はすべて目を通しました。そんな中で感じたジェームズ・マンゴールドらしさを共有していければと思います。

ジェームズ・マンゴールドとおとぎ話

ジェームズ・マンゴールド作品の解説を数珠繋ぎで鑑賞していくと、御伽噺のように古くから慣れ親しまれた物語が、彼の作品のエッセンスになることに気付かされます。とりわけ初期作の解説では顕著に感じることができました。

例えば『17歳のカルテ』は『オズの魔法使い』を参考にしていると言います。

アメリカ合衆国における民話とも言える『オズの魔法使い』は異郷訪問譚(いきょうほうもんたん)と呼ばれる物語の類型を持った作品です。異郷訪問譚とは現実世界から幻想世界へ迷い込むような物語であり、同じ類型を持った作品には『不思議の国のアリス』などがあります。

上記のような異郷訪問譚は異郷──、つまりファンタジーの世界へ迷い込むことで<脱出>という葛藤が与えられ、その葛藤が浄化された時、つまり異郷から脱出できた時に人として成長を遂げる物語が非常に多いです。

では『17歳のカルテ』へどのように『オズの魔法使い』が影響を与えたかというと、スザンナをドロシーに、精神病院をオズの国に見立ています。

つまり『17歳のカルテ』は『オズの魔法使い』や『不思議の国のアリス』のように、スザンナが精神病院という世界で成長を遂げる成長譚というわけです。

続く『ニューヨークの恋人』には『メリーポピンズ』のエッセンスが入っています。

『メリーポピンズ』はメリー・ポピンズという人物が突然やってきて、周りの人々を成長させていく物語です。これを『ニューヨークの恋人』に置換するとメリー・ポピンズ=レオポルド公爵と見ることができます。

ニューヨークの恋人』においてレオポルド公爵は、関わる周囲の人々に影響を与え、過去へと戻っていくのでした。

ちなみに『メリーポピンズ』と『オズの魔法使い』はどちらもウォルト・ディズニーが映画化を切望した作品で、その熱の入れ方は半端じゃなかったようです。ともするとジェームズ・マンゴールド監督はディズニーのコテコテなファンタジー作品と相性がいいのかもしれませんね。

ウォルト・ディズニーがメリーポピンズの映画化まで熱心に取り組んだ様を描いた『ウォルト・ディズニーの約束』もオススメなので、興味のある方はぜひ一度鑑賞してみてください。

ジェームズ・マンゴールドと西部劇

ジェームズ・マンゴールドとおとぎ話について語ってきましたが、彼の特徴・作風と言える核はこちらですね。

ジェームズ・マンゴールド監督は西部劇から多くの影響を受けているといっても過言ではないでしょう。例えば彼の初期作『コップランド』は『決断の3時10分』から影響を受けていますし、のちに『決断の3時10分』は『3時10分、決断のとき』として彼自身がリメイクをしています。

3時10分、決断のとき』を鑑賞した際、『コップランド』に非常に近いものを感じたのですが、物語の着地点のようなものが非常に似ていたからなんです。

比較してみるとわかりますが、どちらの作品も長いことくすぶっていた男が勇気を出す物語であり、その勇気はアウトローの心も動かすパワーを持っていることを示しています。

さらにその後の『ウルヴァリン:SAMURAI』にも西部劇のスピリットは受け継がれています。何かとトンデモ日本などと揶揄されてしまう作品ですが、その真には《ウルヴァリンの喪失感》というテーマを持っており、喪失感を描く助けとなったのがクリント・イーストウッドの『アウトロー』です。

『アウトロー』は妻子を殺され、孤独な浪人となる物語で『ウルヴァリン:SAMURAI』のプロットとよく似ています。

さらに次作の『LOGAN ローガン』はほぼ西部劇と言っても過言ではなく、多くの要素を西部劇から受け継いでいます。ベースとなっているのはクリント・イーストウッドの『許されざる者』です。

『許されざる者』はこれまでの映画史の中でヒロイックに描かれていた西部のガンマンを、より現実的に(ダーティに)描いた作品であり、これまでイーストウッドがガンマンとして人を殺めてきた贖罪の物語でもあります。

LOGAN ローガン』にも全く同じことが描かれており、コミックや映画の世界のウルヴァリンは美化された存在であり、現実はもっと血生臭いものだと言うふうに語っています。

この意図としてはローガンという人物をより深く描写するためですね。

また『LOGAN ローガン』では劇中で西部劇の名作『シェーン』が投影されセリフも引用されたりしていました。

また農家が地主に嫌がらせを受けており、行きずりのヒーローが農家に手を貸すシーンが中盤あたりにありましたが、これは古くから繰り返し西部劇で描かれてきたプロットです。

このように、ジェームズ・マンゴールドの作品には西部劇の魂が色濃く受け継がれていることが多いという印象を強く受けました。

哀愁の物語とザ・ハリウッド的物語

さてここまで映画のジャンルに比重がよった内容でジェームズ・マンゴールドについて語ってきましたが、少し視点を変えてジェームズ・マンゴールドが得意とする(そう感じる)テーマについて切り込んでみます。

彼が得意とするテーマというのは《長い人生の中で清算しきれていない葛藤》や《時の流れから生まれる哀愁》を扱った物語で、例えば彼の初期作『コップランド』や『3時10分、決断のとき』は、長いこと利用されていることを良しとしてきた中年男がついに立ち上がる物語だったり、ウルヴァリン三部作の終章となる『ローガン』では、ウルヴァリンとして人々を殺めてきたことに対する贖罪の旅の物語でした。

これらはどちらも長い人生が大前提として必要で、そんな人生に深く根付いた葛藤を与え、その葛藤を映画の中で浄化させる作品作りがジェームズ・マンゴールドの得意とするところなのかなと思います。

哀愁をGoogleで調べてみると、以下のような説明がされています。

哀愁

寂しくもの悲しい気持ち。もの悲しさ。

goo辞書より引用

これだけだと、なんだかとてもネガティブな意味に感じてしまいますが、哀愁をうまく物語の中に組み込むことができると、その人物の人生や歴史を感じることができるんです。

哀愁からくる寂しさというのは、輝いていた時代があった裏返しで、歳月を感じさせます。歳月というのは人生であり歴史です。人の歴史はその人の個性そのものであり、個性はその人の魅力となります。つまり映画から感じる”哀愁”とは、その人の魅力を醸成したものであると僕は考えます。

寂しさという感情からここまで想いが広がるわけなので、哀愁というのは時に物語に多大な貢献をするわけですね。

一方で、哀愁とは対照的に「いかにもハリウッド映画!」と思わせるような映画を撮っているのも面白いところ。

とりわけ『ニューヨークの恋人』と『ナイト&デイ』に顕著ですね。

そもそも「映画はあくまでも映画。非現実でファンタジー的なもの」という思想がジェームズ・マンゴールドにはあるので、とことんリアリティを突き詰めるというより、細かいことは気にしないタイプの監督。

しかし稀にあり得ない度の粗さがノイズとなって目立ってしまう嫌いがあったりします。

例えば『ニューヨークの恋人』ではタイムパラドックスの概念は完全におなざりになっていて、本人も承知はしているのですが、やはりノイズになってしまう人が多いでしょう。

近年で細かいことは気にしないタイプの監督の究極はクリストファー・ノーランですね。ノーランは有り得ない度の隠蔽の仕方が非常に上手い監督だと思っています。

ともするとジェームズ・マンゴールドは細かいことは気にしない一方で、哀愁を感じさせる人物描写にはとことんこだわる監督なので、そのコントラストがうまくハマった作品は傑作として残っているのかもしれません。個人的には『ローガン』や『フォード v フェラーリ』がその代表的な作品だと思っています。

渦中に存在する“二人”が物語を加速させる

さて最後に、ジェームズ・マンゴールド監督はどのような構成で物語を前へと進めるのか。という点について深掘りしてみたいと思います。

ジェームズ・マンゴールドが得意とする構成というのが、物語の中心に二人の人物を設定することです。彼の作品では常にこの二人が物語を前へ前へと進め、お互いのやり取りを描くことで、よりお互いの人物描写を深いものにしています。

人物描写が深くなればなるほど、キャラクターは魅力を増し、興味を惹かせます。興味が惹けば集中力が高まり、映画を面白く感じるようになるでしょう。

初期作の『コップランド』からその構成の片鱗は見えており、スタローンとレイ・リオッタがお互いを高め合っていました。また『17歳のカルテ』ではウィノナ・ライダーとアンジェリーナ・ジョリー、『ニューヨークの恋人』ではメグ・ライアンとヒュー・ジャックマン、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』ではホアキン・フェニックスとリース・ウィザースプーンというようにいつだって物語の渦中には同じレベルで物語の中心にいる二人が存在しています。

この関係・相性がうまくはまったとき、やはりジェームズ・マンゴールド作品の中では傑作が生まれるのだと思いました。

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