みなさんこんにちは!オレンチです!
まずはじめに、
第91回アカデミー賞作品賞、助演男優賞受賞おめでとう!!!!!!
第91回アカデミー賞の予想は散々だったわけですが、
そんなことはほっといて、少々遅めにはなりましたが『グリーンブック』を鑑賞してまいりました!!
まず率直に感想をぶつけると、さすが作品賞!!教科書通りに面白い!!でした。
作品情報
グリーンブック
原題 :Green Book
上映時間:130分
制作年 :2018年
監督 :ピーター・ファレリー
監督は『メリーに首ったけ』や『ギリーに首ったけ』『愛しのローズマリー』など、コメディを得意とするファレリー兄弟の兄、ピーター・ファレリー。
『メリーに首ったけ』が流行ったのなんのって。
この作品でキャメロン・ディアスとベン・スティラーが世界中に認知されたんだと思う。
キャメロンの笑顔が眩しすぎてやばい。
そんなコメディを得意とするファレリー兄弟が弟のボビーを自宅待機させ、割と社会派な作品に兄貴一人で挑んだのが今作。
なんで弟置いてきたん?
どうもここ近年別々に活動しているみたいですね。なんでなんやろ。
キャスト
・ヴィゴ・モーテンセン
(トニー・”リップ”・バレロンガ)
・マハーシャラ・アリ
(ドクター・ドナルド・シャーリー)
・リンダ・カーデリニ
(ドロレス)
本作で誰に目が行くってつったらやっぱヴィゴっすよ。ヴィゴ!
思えば90年代はアル・パチーノにブチ殺されたり、トンネルの下敷きになったりとすげーさえなかったのに、2000年に王として帰還してから無双っぷりがえげつねぇっすな。
そんな絶好調ヴィゴが今回もやってくれました。
14kg増量し誰だお前と言いたくなるほど面影なし。
というか王者の風格なし。
二重アゴむき出しの笑顔がすげーのなんのって。(褒めてます。)
『イースタン・プロミス』の全身墨入りヴィゴと比較してみると違いが顕著すぎてまた面白いと思います。
あらすじ
人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ジャズピアニストとイタリア系白人運転手の2人が旅を続けるなかで友情を深めていく姿を、実話をもとに描き、第91回アカデミー作品賞を受賞したドラマ。1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒として働くトニー・リップは、粗野で無教養だが口が達者で、何かと周囲から頼りにされていた。クラブが改装のため閉鎖になり、しばらくの間、無職になってしまったトニーは、南部でコンサートツアーを計画する黒人ジャズピアニストのドクター・シャーリーに運転手として雇われる。黒人差別が色濃い南部へ、あえてツアーにでかけようとするドクター・シャーリーと、黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに、その旅に同行することになったトニー。出自も性格も全く異なる2人は、当初は衝突を繰り返すものの、次第に友情を築いていく。(以上、映画.comより)
感想・解説
はい。じゃあここから真面目にやります。
『グリーンブック』 を見る前に
この作品を見る前に、1960年代のアメリカ南部で、なぜ人種差別が色濃く残るのかをよく知っておくべきだと思います。
アメリカ南部の人種差別についてより理解するためには、思い切って1861年に勃発した南北戦争まで時代を遡ってみましょう。
南北戦争とはアメリカの北部と南部との間で行われたアメリカ最初で最後の内戦です。
その原因は奴隷制の廃止を訴える北部と、奴隷制存続を主張する南部との対立が激化し戦争まで発展しました。
ここで注目すべきは、なぜ南部は奴隷制存続を主張したかという点です。
当時南部では農業が盛んで、農園所有者が実質南部を支配していました。その農園を支えていたのが他でもない、黒人奴隷の労働によるものだったのです。
この辺は『それでも夜は明ける』で赤裸々に描かれているのでオススメです。
さらにそういったことから南部は白人よりも黒人の人口の方が圧倒的に多く、奴隷制が廃止になると彼ら黒人が選挙権を持つことになります。
そうなると南部が黒人に支配されるのは目に見えていて、そのことを恐れた南部の白人が奴隷制存続を主張し、南北戦争へと勃発していくのです。
結果的に南北戦争は北部が勝利を収めることで奴隷制は廃止されるわけですが、何としても黒人と白人が平等になることを避けたかった白人たちは先手を打ち黒人取締り法、いわゆるジム・クロウ法を南部の各州で制定していきます。
具体的な内容をあげると、
・教養がないものには選挙権を与えない
・黒人専用のトイレがある
・バスの座席に黒人専用がある
・黒人専用の水飲み場がある
など、どれも本作で南部に入った直後から起きた出来事だらけです。
というわけで南部の白人たちは、黒人に支配されるのでは?という恐れから隔離・暴力へと繋がっていったわけです。
このジム・クロウ法は1876年から1964年まで存在しました。
解説
以上のことを踏まえて、映画『グリーンブック 』を三幕構成で考えながら紐解いていってみます。
さすがコメディを得意とする監督というべきか、点と点を上手に繋いで、シナリオという上品な絵を描くような作品だったと思います。
まずは第一幕。
レストランへ何やら大物そうな人物がやってきて、「母親からもらった大切な帽子だから絶対に無くすなよ。」と帽子を預けます。
それをみていたトニー・リップ(以下トニー)はなぜか係の女性から半ば強引に帽子を買い取ります。
店の改装のために一時的にですがトニーは仕事を失うことになります。
場面は変わり、帽子を亡くされて怒り狂っていた男の元に、あたかもトニーが見つけたかのように帽子を持って現れます。つまりここでハッタリをかますわけです。
ハッタリについてもよく覚えておいてください。
さらに大切な帽子を取り戻したという信頼で物語の動機となるコネもここで獲得します。
帽子を強引に買い取るシーンの意味は物語の動機となるコネを獲得するための動機だったわけです。
・帽子にまつわる一連の流れはシナリオ主軸の動機づけ。
・ハッタリによって大物の信頼を得た。
仕事を終え、トニーが家に帰ってきます。
黒人男性二人が水道?の修理で家にやってきていて、トニーの奥さんドロレスが二人をもてなしています。
トニーは何やら不満そうで、ドロレスがキッチンから捌けると先ほど黒人男性が使ったコップをゴミ箱へと捨てます。
それを後から見つけたドロレスは悲しい表情を浮かべます。
ここではトニーが黒人に対してどのように思っているかを開示しています。つまり成長する前の姿を見せているわけですね。
・説明セリフなしにさりげなくトニーが偏見を持っていることを示す
・一方ドロレスは偏見がないことを示す。
・トニーが成長する前の姿を示している。
場面はまた変わり、息子と一緒にダイナーへ向かいます。
そこで大食い勝負を持ちかけられ、トニーはこれを受けます。
家に戻り、大食い勝負に勝ったとドロレスに伝えますが、実際のところは勝負に負けていて時計を質に入れることで勝利金を作っていました。
さらに映画の冒頭で作ったコネがトニーへ仕事の話を持ちかけます。
ここでもハッタリを使っていることに注目したいのと、大食いだということが後々シナリオに生きてきます。
・トニーが大食いだということが示され、後々のシナリオに関わる
・実際は大食い勝負に負けていて、腕時計を質に入れることで勝利金を作るというハッタリをかます。
・冒頭のコネがここで身を結ぶ
いよいよトニーが面接会場へと向かいます。
ここでトニーの本名がドクター・シャーリー(以下ドク)の執事を通して観客へと伝えられます。
面接を終え、翌朝早くにドクから電話が入ります。
内容はドロレスを気遣うもので、ドロレスはトニーを仕事に送り出すことを承諾しますが、とても不安げな表情と態度をとります。
黒人と南部に向かうことの危険性が家族を通じてここで示されるわけです。
・トニーの本名がさりげなく示される
・ドクがドロレスを気遣っている
・家族の不安を通じて観客に黒人と南部に向かうことの危険性を説く
さてここから第二幕が始まります。
トニーとドクの旅が始まり、彼らは道中のダイナーで普通に食事をし、最初の講演会場へと向かいます。
普通に白人と黒人が一緒に食事をできていることに注目してください。
・南部に入る前は白人と黒人が一緒に食事ができている。
講演会場でドクがトニーの本名バレロンガが発音しづらいことから省略して呼ぶことを提案しますが、トニーはこれを拒否し“リップ”で押し通します。
先ほど執事を通してバレロンガという本名が伝えられているため、違和感なくスムースに見れるシーンであります。
最初の講演でトニーはドクの才能に気づくことで何かが変わります。
またここで、ドクがホワイトハウスに2度呼ばれていることが伝えられ、つまり大統領に気に入られていることがわかります。
・トニーはリップという呼び名にこだわる
・トニーがドクの才能に気づく
・ドクは大統領に気に入られている
移動中になぜリップにこだわるのかドクがトニーへと尋ねると、トニーからその理由が明かされます。
つまりここでトニーがどのように生きてきたかが開示され、冒頭での帽子のくだりにより説得力を与えます。
映画全体に散りばめられているトニーのハッタリにも強い説得力を与えます。
トニーがリップで押し通したシーンがあるとないとでは違和感が全然違いますね。
・トニーがリップと呼ばれる理由は口がうまく立ち回りが上手いから
・口が上手い、つまりハッタリが上手いことが映画全体に散りばめられている
シャーリーが一人でバーへ行ってしまいます。
ここに駆けつけたトニーが銃のハッタリで難を逃れます。
・銃を本当に持っているかいないかは示されていない。
立ち寄ったお店?でトニーが売り物の翡翠石をお守りにと盗みます。
それに気づいたドクが固い意志で返してこいと命じます。
・ドクは曲がったことが大嫌いだという印象を与える。
一行はケンタッキー州へ。
大食いのトニーはケンタッキー・フライドチキンへ子供のようにはしゃぎながら寄ります。
以前から大食いを示されているので当然のここも違和感がないです。
嫌がるドクへフライドチキンを食べさせることで、二人は徐々に打ち解けていきます。
がしかし、フライドチキンは黒人が好きなものという根本的な偏見もここで示唆されます。
フライドチキンの骨を窓から捨てることで、なんとも清々しく二人の間の壁が崩れ出し、そのノリでトニーは紙コップまで捨ててしまいます。
場面は変わり、車を戻して紙コップをトニーが拾います。
前のシーンでドクの曲がったことが大嫌いな性格が分かっているからこその笑えるシーンです。
・二人は徐々に打ち解けてくる
・フライドチキンは黒人が好きなものという偏見があることが示される。
南部で最初の講演会場へと到着します。
ドクが好きな食べ物をコックが頭をひねって考えた料理というのが、フライドチキンでした。
ここでドクは困惑した表情を浮かべます。
またトイレを利用しようとすると、黒人のトイレはここではないと拒否されてしまいます。
南部に入った途端に偏見・差別が露わになる瞬間であり、ジム・クロウ法を目の当たりにする瞬間です。
・南部に入った瞬間に偏見と差別が露骨になる。
昼食をとっていると、ドクがトニーの手紙に興味を持ち、これを添削しだします。
これが非常に指摘で家族から大絶賛されます。
ドクからトニーへ与えるものが誕生し、二人の信頼関係がより深くなっていくことを示されます。
しかしジム・クロウ法は残酷で、スーツの試着も許されず、普通のレストランで食事をとることさえも許されません。
モンタージュが挿入され、トニーから偏見を持った南部人へ行う洗礼が、非常に気持ち良いです。
・手紙の添削を通じて二人の信頼関係が強くなっていく
雨のシーンに変わり、警官に車を止められてしまいます。
ここで黒人は夜は外出禁止だといちゃもんをつけられ、トニーまで差別的に扱われてしまいます。それに切れてしまったトニーは警官を殴り、二人は留置所へ入れられてしまいます。
つまり、国民を守るべき立場である警官ですら差別的だということが示されます。
この状況を打破するのが、第二幕で仕込んだ秘密兵器である大統領です。
二人は釈放され、再び雨のシーンへ戻ると、ドクが心に秘めていた葛藤を露わにし、心の殻を破ります。
その夜、二人は安ホテルに宿泊し、ここでトニーの手紙スキルが成長していることがわかります。
二人はお互いを認め合い、ここで絆が固まります。
・警官ですら差別的
・ドクが内的葛藤を吐き出すことで心の殻を破り、二人の絆が固まる
最後の第三幕
最後の公演場に着くが、ここでもドクのみレストランで食事をとることが許されない。
これにキレたドクとトニーは公演を放棄し、近くの黒人専用レストランへと入る。
黒人専用レストランでは、皆がトニーのことをジロジロと見て、「警官か?」と疑う。
ドクがお金を数えているのをカウンターにいる男二人が怪しげに見ている。
ドクがレストランで演奏すると、皆その才能に酔いしれ、トニーは店の人々と打ち解ける。
帰り道、先ほどお金をチラチラ見ていた男二人が車の前で待ち構えていたが、トニーはこれに気づき、威嚇射撃をすることで追い払う。
銃のハッタリがこことつながり、ここではハッタリではなかったというちょっとしたヒネリも入っている。
・黒人も白人に対して偏見を持っている。
・銃のハッタリの伏線が回収される。
二人はクリスマスイブを家族の元で過ごすため、急いでNYへ帰るが、またもやパトカーに止められてしまう。
差別を受けると思いきや、善良な警官で、タイヤのパンクを指摘し、修理が完了するまで誘導してくれる。
がしかし、トニーの努力むなしく体力に限界がきてしまい、モーテルに泊まることをトニー自ら提案する。
場面が変わりNYへ。トニーの家族が楽しげにクリスマスの準備をしている。
そこに二人の車が映し出されるとなんと運転しているのはドクだった。
トニーの家に到着すると、ドクに家族に会ってほしいと頼むが、ドクはこれを断り家路へと着く。
トニーの親戚が、「”ニガー”との旅はどうだった?」と聞くが、その呼び方はよせとトニーが一喝する。
旅で成長したトニーはすでに第一幕で見せたような彼ではなかった。
そこへドクがやってきて、「旦那を無事に返したよ」ドロレスとの約束を守ったことを耳打ちする。第一幕の電話のシーンとつながる。
「手紙をありがとう」とドクへドロレスが耳打ちするシーンで幕が降りる。
なんともピーター・ファレリーらしい、ラストでした。
そういう見方やめませんか?
以上のように、点と点が非常に綺麗に結ばれ飽きることなく観客を最後まで引っ張ってくれる良作でしたし、作品賞と言われても異論はないくらいの出来です。
がしかし、アカデミー作品賞受賞とともに、「白人側目線の映画」として批判が相次いでいるようですね。
本作受賞のアナウンスとともに、スパイク・リーは怒りを露わにして会場を立ち去ろうとしたそうですし。
僕的に考えると、「そんなこと言ってっからいつまでたっても差別がなくなんねぇんだよ。」って思います。
この映画って本当に白人側目線の映画なんでしょうか?
そうではなく、
白人と黒人との間に差別があるのではなく、偏見を持っている人とそうでない人との間に差別があるってことじゃないんでしょうか。
仮に「白人目線の映画」だったとして、本作の良さに何か影響がするのでしょうか?
間違いなくスクリーンの中ではお互いの偏見という壁をぶち壊し、固い絆で結ばれたことが描けてたじゃないっすか。
確かに迫害された過去があり、許せない気持ちもよくわかります。いや、本質的にはそんな経験ないしわかっていないかもしれません。
ただし、いずれも世界を変えてきたのはネルソン・マンデラやマーティン・ルーサー・キング牧師のように、徹底的に歩み寄った人々だということを歴史が証明しています。
願わくば歩み寄ってより良い世界になってくれることを願っています。
長文乱文にお付き合いくださってありがとうございました。
感動しました。まさにその通りだと
とむさん
コメントありがとうございます!
あまりなじみのない外野の意見ではありますが、渦中にいると盲目になってしまいますからね。
たまに外野の意見に耳を傾けてくれたら大きく世界は変わるかもしれませんね。
留置所からドクたちを救ったのは大統領のジョン・F・ケネディではなく、弟で司法長官のロバート・ケネディですよ。念のため。
マーシャさん
コメントありがとうございます!
あらら、ロバート・ケネディの方でしたっけ!
彼は『JFK』でかなり印象が深かったですね!
確認して修正します。
ご指摘ありがとうございした!本当に助かります!
「スタインウェイ」を手配しないどころか「グリスボール」と罵った舞台責任者に速攻ビンタを食らわしたシーンは痛快でした。バーでの「フェラス」や、保安官を殴った原因の「半分黒人」呼ばわりの件もそうでしたが、実は黒人ほどではないけれどイタリア人の自分も南部では差別対象というのを実感したことも、トニーの人種差別に対する認識が変わっていく要因だったのかも知れませんね。
流しながら見てたのでトニーがコップを捨てるシーンとか見落としてましたが細かい偏見と成長が描かれていたんですね
とても良い映画だと思いましたけど解説により倍良さが伝わりました
ありがとうございます