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映画の楽しみ方(ジャンル編)『映画のジャンルについて─ソフトストーリーとハイコンセプトについて─』

オレンチ
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はじめまして!オレンチと申します。

今回は「映画の見方がちょっと変わるかもしれない」をテーマに【映画のジャンルについて】お話をしていこうと思います。

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『映画のジャンルについて─ソフトストーリーとハイコンセプトについて─』を音声で聞きたいという方はぜひポットキャストをお試しください!

全ての映画を二分する大ジャンル

アクションやSF、ファンタジーやホラーなど、私たちが日々見ている映画は様々なジャンルにカテゴライズされて語られていますよね。実はそういったジャンルのもっと上の階層に、映画を大きく二つに分けられるジャンルがあります。

それというのがハイコンセプトとソフトストーリーと呼ばれるものです。

あまり馴染みのない言葉なので、どんな映画を指しているの分からない方も多いと多いですよね。

この二つを要約すると、

  • ハイコンセプト = 商業映画
  • ソフトストーリー = 芸術映画

と言い換えることができます。

というわけで以降ではハイコンセプトとソフトストーリーについてを中心に深掘りをしていこうと思います。

もっと詳しく知りたい人は

ちなみに今回の内容は映画監督である三宅隆太さんから多分に影響を受けています。ハイコンセプトとソフトストーリーについてより深く知りたい方はぜひ一度、三宅隆太さんのポットキャスト番組『スクリプトドクターのサクゲキRADIO』を聞いてみてください。

商業映画(ハイコンセプト)って何?

そもそも商業映画とは、どんな映画のことを指すのでしょうか。

商業映画とは【外的な葛藤と主人公が向き合う物語】と言い換えることができます。

【外的な葛藤】とは映画の物語において「倒すべきテロリスト」や「辿り着くべき目的地」、「脱出すべき場所」などが該当します。

例えばブルース・ウィリス主演で1988年に公開された『ダイ・ハード』はとてもハイコンセプト的な映画なのですが、物語を簡単に説明すると、

ロサンゼルスにやってきたニューヨーク市警の男がテロリストに巻き込まれ、単身でテロリストをやっつける物語

という感じになるかと思います。

ジョン・マクレーンが単身でテロを阻止する物語

ここでいう「テロリスト」というのが【外的な葛藤】であり、「テロリストを倒す」というのが映画のゴールになっています。

つまり【外的な葛藤】とは他者──自分の外側から与えられる障壁のことで、その障壁をクリアすることが映画のゴールになっています。

映画のゴールとは物語の目的であり、結末です。

要するに商業映画とは内容がわかりやすいということが特徴だと言えます。

内容がわかりやすいということは、万人受けするということであり、万人受けするということは、興行成績が見込めるということになります。

そんなハイコンセプトな映画は2行くらいで説明できることが特徴で、これを脚本術的には「ログライン化できる」とも言います。

ハイコンセプトがどんな映画なのかをまとめると、興行成績をある程度見越した上で制作される映画と言えますね。

昨今のシネコンで流れているような映画のほとんどはハイコンセプト的な映画です。

芸術映画(ソフトストーリー)って何?

対する芸術映画とは【内的な葛藤と主人公が向き合う物語】と言い換えることができます。

【内的な葛藤】とは主人公が心の中で抱えている悩みのことで、多くの場合は映画の時間として切り取られている外側──つまり映画が始まるよりも以前の主人公の人生の中で、その人が抱えた心の問題を描いた作品のことをさします。

その人の心の問題を描いた作品なので、ドラマティックな展開があるわけではなく、淡々と主人公の生活を描いた作品が多いです。そのため口頭や文章では、どんな物語なのか説明しづらいのが特徴的です。

説明しずらいということは、わかりづらいということであり、これが「芸術映画は難解」と感じられるゆえんなのです。

例えば『ノマドランド』や『エターナルズ』を監督したクロエ・ジャオ監督の初期作『ザ・ライダー』という作品は、とてもソフトストーリー的な映画と言えます。

ジョン・マクレーンが単身でテロを阻止する物語

『ザ・ライダー』は「大怪我を負ってしまってロデオができなくなってしまったカウボーイを描いた作品」なのですが、表面上だけ見ると主人公の何の変哲もない日常を描いた映画になっています。

劇中独白のようなものはありませんし、主人公の口数も少ないので、ぱっと見何を伝えたいのか非常にわかりづらいです。

しかしよく目を凝らすと、「もう一度ロデオをやりたい。でも次に怪我をしたら・・・。」という葛藤を描いているんです。

というのも本作はロデオで大怪我をしていて、すでに後遺症が残っている状態で映画がスタートし、もう一度怪我をしてしまうと半身不随になってしまうことが、劇中で示唆されているんです。

普通に考えたら「そんなリスクを背負ってまでもう一度ロデオをしたい気持ちがわからない」と思う人が多いでしょう。

しかし僕は正直この主人公の気持ちが痛いほどわかるんです。

というのも僕もスケートボードで大怪我をしてプレートを抜くことができなくなってしまったのですが、リハビリを続け、痛みとともにスケートボードを楽しんでいます。故に彼の気持ちがわかるんですよね。

この映画からの教訓は、生きがいになっているものは、どんなリスクを背負ってでも続けていたい。ということを言っており、映画が終わっても明確な答えが出ません。

このようにソフトストーリー的な映画というのは、明確な答えが出ないものが多く、故に難解と言われるのです。

つまり、ソフトストーリーというのは、ある人にはとことん刺さらない映画だが、ある人にとっては生涯ベスト級になり得る映画ということが言えます。

全ての映画はハイコンセプトかソフトストーリーに分けられる

このように全ての劇映画は例外なくソフトストーリーかハイコンセプトかに分けることができます

ただし「これはソフトストーリーの映画」「これはハイコンセプトの映画」というように、はっきりと分けられるわけではなく、どちらかの成分が多いかという比率のようなものとして考えるといいでしょう。

ソフトストーリーよりの映画なのか、ハイコンセプトよりの映画なのかというのが決まり、ようやく私たちがよく知っているアクションやSF、ファンタジーなどのジャンルが決まってきます。

SFのような「ジャンル映画」と呼ばれるような作品になりがちなカテゴリにも、ソフトストーリー的と言える映画はあって、例えば『アナザープラネット』という映画がそれに該当します。

『アナザー・プラネット』は、とある事故の加害者になってしまったことで、心の問題を抱えることになってしまった女性が主人公の作品。

そんな心に悩みを抱える主人公のもとに、突如としてもう一つの地球の存在が現れます。

もう一つの地球にはこちら側の地球と全く同じ人々が生活していますが、どうやら事故が起きなかった現実が進んでいるらしい。というのが大まかな骨子です。

つまり昨今では流行りとなったマルチバース的な要素を別の地球として表現しつつ、マルチバース的な要素を使って心の葛藤を表現した物語なんです。

マルチバース的要素はまごうことなきSF要素ですよね。

そんなSF的な作品でありながらもソフトストーリーらしさ溢れる作品の好例が『アナザー・プラネット』でした。

映画のジャンルはカラーピッカーのようなもの

【アクション】や【SF】、【ファンタジー】などのジャンルでも、そのジャンルに固定されるような映画は存在しないと僕は考えています。

どんな映画でもアクションの要素が何%、SFの要素が何%、ラブストーリーの要素が何%──みたいな感じで、それぞれ分布されるようなものだと思っています。

そんな映画のジャンルを、カラーピッカーに例えると分かりやすいでしょう。

カラーピッカー

カラーピッカーは赤の数値が何%、青の要素が何%、緑の要素が何%などの情報から1つの色を形成しており、天文学的数字くらいの数の色の種類がこの世には存在しますよね。

映画のジャンルもまさにカラーピッカーと同じで、様々なジャンルの要素が混ざって1つの映画のカラーを形成しているのだと思います。

さらにカラーピッカーには、明度というその色の明るさを変更できる数値もあると思います。

例えば同じ赤でも明度を弄れば、暗い赤になるし、明るい赤にもなります。

僕はそんな明度の変化が先ほど解説したハイコンセプトとソフトストーリーに置き換えられると思っています。

つまり、映画のジャンルとひとえに言っても、どれかに固定されるようなものではなく、その映画1つ1つに唯一無二のジャンルというものがあるのだと考えています。

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