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【ディズニー映画】『トイストーリー4』ネタバレ感想・解説・考察|完璧なラストのその先へ

こんにちは!オレンチです!

『トイストーリー』の公開が1995年(北米)でアンディは7歳。

あれから24年。

当時の僕が8歳だったので、もしアンディが現実に存在したとして、僕と同じようなタイミングで子供ができていたら、「ちょうど今ボニーくらいの子供がいるんだろうなぁ」と思うと、なんとも縁深い作品だなぁなんて思います。

そんなわけで今回はシリーズ最新作『トイストーリー4』を劇場にて観賞してまいりましたので、いってみます。

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「完璧なラスト」の前へ進む

多くの人々が『トイストーリー3』を賞賛し、「完璧なラスト」とまで言わせしめた作品に対し、まさかの続編。

これまた多くの人々が「え?また作るの?」と思ったことだろう。

今回監督を務めたジョシュ・クーリーでさえ「え?また作るの?」と思ったのだから無理もない。

しかし、脚本のアンドリュー・スタントンだけは「3で終わりだって?冗談でしょう。」とノリノリだったおかげでジョシュ・クーリーも「なんか面白そう!」とスタートしたのが『トイストーリー4』なのだ。

ノリノリのアンドリュー・スタントン(脚本)

のせられたジョシュ・クーリー(監督)

さて今回の物語で中心にいるのが新キャラのフォーキーだが、このフォーキーとボニーの関係性が非常に良く描けている。

というのも僕自身、3歳になる娘がいて先日幼稚園へ入園したばかり。幼稚園を嫌がる様は映画のままだし、何が良いのかこだわりの”枝”をいつまで経っても握りしめているし、セロハンテープでつなぎ合わせただけの折り紙をいつまで経っても捨てたせてくれない。笑

時として子供はどんなに精巧にできたおもちゃよりも、自分で発見し、自分で作ったモノを大切にしたりするものなのだ。

新キャラ、フォーキー。

そんなフォーキーだが、自分のことをゴミだと思っていて、あの手この手を使い自らゴミ箱へ逃げ込もうとする。

ボニーのおもちゃでいることが自分の務めだと思っているウッディは、フォーキーが無茶をするたびに救おうとする。

そんな二人の前に自分の声さえ手に入れば子供たちに愛されると思っているギャビー・ギャビーが立ちはだかる。

物語の中盤、フォーキーが自分がおもちゃであり、ボニーの元に帰るべきだと悟ったあたりから本作のテーマに気づく。

本作のテーマとは、

《人生の変わり目》

つまり変化による成長と出会いと別れだ。

ボニーが幼稚園に上がることで人生の変わり目を迎えるように、おもちゃ達もまた《人生の変わり目》を目の当たりにし、今まで信じていたものが変化していくことで成長していくのだ。

ボー・ピープがまさに本作のテーマを体現しているキャラクターだと言えよう。ボー・ピープは本作のテーマを解決したキャラクターなので、メンターとして描かれている。

だから本作のボー・ピープは輝いていて活き活きと見えるのだ。

成長とは変化のことであり、生きている限り成長は続くのである。

『トイストーリー3』が「完璧なラスト」だということに異論はない。

しかし『トイストーリー』というシリーズ自体、大きく変化しながら前進してきたシリーズなのであり、前進があったからこそ「完璧なラスト」を飾れたのではなかろうか。

誰かが「ハッピーエンドとはどこで物語を切るかの問題だ」と言ったように、「完璧なラスト」のその先が存在しても不思議ではないのだ。

その点『トイストーリー4』は「完璧なラスト」の向こう側がリアルに描かれている。

確かに『トイストーリー3』でアンディとボニーの間で「ウッディを大切に」という約束が交わされたが、子供のお気に入りのおもちゃなんてコロコロと変わる。

しかし、お気に入りじゃなくなったからと言って「大切にしていない」というわけにはならない。

そもそもかつてお気に入りだったおもちゃが手元に残っている人なんてほとんどいないんじゃなかと思う。むしろそのおもちゃが、自分の手元から離れていったのか覚えていない人がほとんどだろう。

劇中で何度もそのことは示唆されているし、クローゼットで埃をかぶり、バッジを持っていかれるウッディは幸せそうに見えただろうか?

応えは否である。辛い思いまでして自分の役割を全うしてほしいとアンディは思わないだろう。

こうして、ウッディは初めて自分のための決断をする。愛するボー・ピープと共にいたいと。改めて心の通ったキャラクターだと感じる瞬間だ。

シリーズで初めておもちゃが自由な決断をするのだ。

そう。これは《トイ・ストーリー》なのだから。

シリーズのエピローグ

映画が始まり、技術の進化に驚かされる。

雨が降っている夜のシーンはほぼ実写と区別がつかないほど。

そんなオープニングシーンから前作でほぼ未処理だったボー・ピープとの別れが明かされ、ウッディを起点に時の流れを表すモンタージュが挿入される。

このモンタージュのカットの切り替わりが斬新かつシームレスでとても心地が良い。

と同時に、『トイストーリー2』、『トイストーリー3』のオープニングを飾ってきた空想上のシーンが無いことに気づく。

さらには1〜3まで登場してきた《自分をおもちゃだと思っていないバズ》は今回初めて登場しないし、『トイストーリー2』、『トイストーリー3』でウッディやバズと共に活躍してきたスリンキー、ハムやレックス、ポテトヘッドたちの見せ場はほぼ無いといっても良い。

それどころかバズの活躍も今回に至っては少なめだ。

その代わり、ボー・ピープの活躍っぷりったらかっこよったなぁ。バズと再会した時に引越しのパートナーネタを引っ張り出してくるあたりがファンとしては嬉しいところ。

いずれも《ウッディの物語》としてフォーカスした結果なのだろうけども、いわゆる《お決まりの展開》が無いので今までのシリーズと作品のカラーが違って見えるのだろう。

いわば『トイストーリー4』はシリーズのエピローグである。

『トイストーリー3』で完結し、『トイストーリー4』はエピローグ。そんな感じ。

あまりにも雑なプロット

プロットとは、出来事の因果関係のことをで「AによってBが起こった」のように表現する。

例を挙げるならば、「ウッディは逃げたフォーキーを追い車から飛び降りる。だから外の世界でボー・ピープを見つける。」のようになる。

もっと詳しく知りたい人はwiki参照で。

脚本はプロットの連続で成り立っているが、本作のプロットはあまりに雑だ。

例えば「ウッディがアンティークショップでフォーキーを見つけ作戦を無視して特攻してしまう。だからベンソンに見つかってしまい、羊たちがさらわれてしまう」というように、キャラクターのその場の思いつき…しかもキャラクターにそぐわない行動によって起こるプロットが散在している印象だった。

また、どうしても気になってしまうのがおもちゃ目立ちすぎ問題である。

子供が大勢いる公園で当然のように歩き回ったり、ばあちゃんがいるのにアンティークショップでは走りたい放題。元の位置に戻るという暗黙の了解もぶっちぎりで無視。

誰がどう見たって、おもちゃが動いてることに気づくだろうよ。

あまりにも好き勝手に真昼間からやりたい放題するもんだから、シリーズを通して守り抜いてきた《おもちゃから見た世界》を完全にぶち壊している。

この雑さこそジョン・ラセターがいないことが原因なんじゃ無いかなと思うんですわ。

ジョン・ラセターといえばディズニー社へ返り咲いた際、当時ビデオ映画を乱発していたディズニーアニメに危機感を感じ、その後予定されていたビデオ映画の製作を全てストップ。

劇場映画に集中させることで『ベイマックス』や『ラプンツェル』、『アナと雪の女王』などを生み出しディズニーアニメーションを再生させた人物。

例えばダメ出しをしまくるジェームズ・ガンにさえ「もう勘弁して」と言わせるほどダメ出しをしたMCUのケヴィン・ファイギのように、また1フレーム単位で映像をチェックするというMCU製作総指揮のヴィクトリア・アロンソのように、ジョン・ラセターも細かいチェックを行っていたんじゃ無いかなと。

ジョン・ラセター。セクハラ問題で抜けてしまったのは非常に残念。

兎にも角にもラセターが抜けた途端、一気に雑さが目立つようになったので無関係ではないと思うんだな。

しかしながらジョークの伏線だけは、さえていたとも思う。

特に「お父さんは刑務所へ」の件だったり、コンバットカールがハイタッチしてもらえない問題。寒冷迷彩仕様のコンバットカールカワイソス。最後には報われて本当に良かったと思います。

コンバットカールでお別れ。写真は『トイストーリーオブテラー』。 そういえば1作目でシドに吹き飛ばされてたよねw

 

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