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『トップガン マーヴェリック』解説ネタバレ感想・伏線・考察|【評価】

子供の頃の夢は、俳優かパイロットになることだった。

──トム・クルーズ。
(『トップガン』特典より引用)

オレンチ

はじめまして。オレンチと申します。

今回は『トップガン マーヴェリック』について考察し、僕なりに本作について解説をしていこうと思います。

今回メガホンを取るのは亡きトニー・スコットから新進気鋭なジョセフ・コシンスキーへとバトンタッチ。主演は前作から引き続きトム・クルーズが務めました。

というわけで以下目次より早速いってみよう!

注意

この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

『トップガン マーヴェリック』のネタバレ感想・解説・考察

ジュリー・ブラッカイマーとドン・シンプソン

1986年に公開された『トップガン』から実に36年ぶりの続編となる本作。

監督に抜擢されたのは『オブリビオン』でトム・クルーズと組んだジョセフ・コシンスキーですが、コシンスキーの件は後述するとして、先に語っておきたいのは前作から引き続きプロデューサーを務めたジェリー・ブラッカイマーについてです。

ブラッカイマーはハリウッドを代表する映画プロデューサーで、『バッド・ボーイズ』や『アルマゲドン』、『ブラックホーク・ダウン』や『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』とりわけ90年代〜2000年代における大衆映画はブラッカイマーが牽引していたと言っても過言ではありません。

ブラッカイマーはロックミュージックなどにも造詣が深く、『トップガン』以前はかしこまった真面目な海軍映画が多かったのに対し、『トップガン』では「空飛ぶロックンローラー」をコンセプトにエネルギッシュなパイロットを描くことを目指したそうです。『デンジャー・ゾーン』と『トップガン』の調和も間違いなくブラッカイマーが貢献していると言えるでしょう。

また真面目でシンメトリックな絵作りを得意とするコシンスキー映画に、大衆受けを得意とするブラッカイマーっぽさが加わり、緩急のバランスもとても良くできていたかと思います。

例えば少年が「ここは地球だよ」という作劇上のギャグや、窓から降りたマーヴェリックがペニーの娘とはちあってしまう状況的なギャグは完全にコシンスキーにブラッカイマーが加わったことで生まれたシーンでしょう。

オレンチ

コシンスキーは調和のとれたシンメトリックなショットをよく使います。そんなところにも注目してみたら面白いかも!

そんなアメリカにおける大衆映画を牽引してきたブラッカイマーですが、彼の関わった作品には木に雷が落ちる「JERRY BRUCKHEIMER FILMS」というロゴが会社クレジットに続いて映画の冒頭に表示されます。

JERRY BRUCKHEIMER FILMS

「JERRY BRUCKHEIMER FILMS」のロゴ。みたことある人も多いでしょう。

しかし「JERRY BRUCKHEIMER FILMS」を遡ると、『ザ・ロック』(96)までは「DON SIMPSON/JERRY BRUCKHEIMER FILMS」となっているんです。

これは元々ジェリー・ブラッカイマーはドン・シンプソンという映画プロデューサーと手を組み(最初は助手として)映画作りをしていたため。しかしブラッカイマーはドン・シンプソンの数々のスキャンダルやドラッグ乱用に愛想をつかし決別。ドン・シンプソンはそのまま1996年に52歳という若さでこの世を去ってしまいました。

「DON SIMPSON/JERRY BRUCKHEIMER FILMS」

「DON SIMPSON/JERRY BRUCKHEIMER FILMS」のロゴ。「JERRY BRUCKHEIMER FILMS」は雷が1本なのに対し、こちらは2本。

そのため『ザ・ロック』(96)以降でブラッカイマーが関わった作品には「DON SIMPSON」の表記は外れ、雷も1本となった「JERRY BRUCKHEIMER FILMS」になったんですね。

当然シンプソンはすでに他界しているため『トップガン マーヴェリック』に関われるはずもなく、普通に考えればこれまで通り「JERRY BRUCKHEIMER FILMS」となるわけですが、本作では「DON SIMPSON/JERRY BRUCKHEIMER FILMS」となっていましたよね。

個人的には本作最初の涙ポイントで、「DON SIMPSON」の復活には<敬意>だったり<思い出>のような粋な演出を感じるんです。

ともすると、細部にこだわるコシンスキーの作家性がそうさせたのかもしれませんし、『ゾンビランド:ダブルタップ』で会社ロゴをいじったようなお遊びなのかもしれません。

もしかすると映画全体で本作のテーマを語っているのかもしれません。(本作のテーマについては後述していきます。)

“G”の映画化

さてジョセフ・コシンスキーという監督は細部にこだわると語りましたが、そんなコシンスキーがトム・クルーズと出会ったのは、滅亡への道を進む地球を描いたSF作品『オブリビオン』(13)で、この作品がきっかけで本作のメガホンを任されたような気がします。

当時コシンスキーはまだ監督2作目だったのにも関わらず、トム・クルーズもうならせる実力を発揮。本作はまだ4本目の監督作ということで、この先がとても楽しみな監督の一人です。

そんなコシンスキーが『オブリビオン』(13)で何に拘ったのかというと、ドッグファイト中におけるパイロットの動的描写や、ロケ地での撮影。またフロントプロジェクションを用いた実写映像などなど。

そうです。コシンスキーは極力CGの力に頼らず実写にこだわる監督の一人なんです。

とりわけドッグファイト中におけるパイロットの動的描写は、360度コックピットが回転する装置を開発し、その中で撮影することで、微妙な揺れや重力をスクリーンに映し出すことに成功しています。

その経験が『トップガン マーヴェリック』でも発揮されていることは、ほとんど全ての方がご存知ですよね。

今回はスタジオに設置された装置ではなく、トム・クルーズが実際の戦闘機を操縦することによって、正しく本物の映像を生み出していました。

特にマーヴェリックがミッションを不可能ではないことを証明するシーンは、ともするとトム・クルーズ史上最高のスタントと言っても過言ではない映像となっているのではないでしょうか。

コックピットのショットに切り替わると、マーヴェリックの奥にいるトム・クルーズの熱気がスクリーン全体を包み込み、息遣い──というよりスポーツ選手が自然出してしまう気合いのような声と”挑戦者”的な眼差しでほとんど全ての観客を魅了したのではないでしょうか。

あの瞬間はマーヴェリックとトム・クルーズが自分の限界に挑んだドキュメントといった方が映像的には近い気がします。

加えて急旋回、急上昇する戦闘機はトム・クルーズの顔面をGが掛かる方向に引っ張り、彼の顔を歪ませていました。

つまり『トップガン マーヴェリック』は、パイロットにとっての己との闘いのメタファーとも言える”G”を映画化した作品と言えるのではないでしょうか。

実際に戦闘機に乗り込んで撮影するメリットは俳優がリアルに映るだけでなく、キャノピーやバイザーに映り込んだ背景がリアルな点も挙げられます。故に本作では全てのトップガン卒業生が透明のバイザーをしているのだと思います。

逆に敵国のパイロットは極力無機質でAI的なモンスターに見せるため、真っ黒のバイザーを利用していましたよね。

オレンチ

ちなみに敵国がはっきりしないのは、変わり続ける世界情勢に囚われず物語に没頭してもらうためだとか。前作でも敵国がはっきりしていませんでしたが、モチーフは北朝鮮だったようです。そもそも脚本は北朝鮮として書かれましたが、国交に角が立つので伏せたんだとか。

驚くべきことに、ルースター(マイルズ・テラー)とマーヴェリック(トム・クルーズ)の目まで寄せた超クローズアップショットがありますが、瞳にはしっかりとコックピットが映し出されているんですよ。

こういった隙のない作り込みが、没入感へ多大な貢献をしていることは間違い無いでしょう。

マーヴェリックはあの頃のままに

ジョセフ・コシンスキーのデビュー作『トロン:レガシー』を思うと、コシンスキーは80年代の映画に胸を躍らせた少年だったというふうに思わざるを得ません。というのも『トロン:レガシー』は1982年に公開された『トロン』の28年ぶりの続編であり、本作と非常に似た前作・次作の関係にあるんです。

もちろん劇中でも実時間と同程度の月日が流れており、『トロン』で主演を演じたジェフ・ブリッジスはすっかり歳をとった形で続投。しかも歳をとった件をうまく脚本に取り入れられた作品でした。

他にも『スター・ウォーズ エピソード8:最後のジェダイ』におけるマーク・ハミルや、『ハロウィン』におけるジェイミー・リー・カーティスなど、現実世界と劇中の月日が同じように流れた先を舞台とする作品が最近の潮流としてあるのかもしれませんね。

そういった続編に続投した俳優を見ると、あの頃の若さは過ぎ去り、手や顔には時の流れを感じさせるシワが、前途洋々なエネルギッシュな様というより、メンターとして落ち着いた様を感じますよね。

このように彼ら彼女らが俳優人生の中で、心身ともに醸成してきた結果を僕は“究極の役作り”と呼んだりしてるんですが、本作のマーヴェリックにも同じような”究極の役作り”を見ることができると思います。

さらに本作も『トロン:レガシー』と同様に、トム・クルーズの”究極の役作り”を利用して、本作のテーマを濃くに描くことに成功していたかと思います。

本作のテーマは”月日は流れてもマーヴェリックはあの頃のまま”といったもので、1986年の若者が感じたマーヴェリックのヒロイック像を36年後の現代まで大切に運んでいたのではないでしょうか。

故に本作の構成は前作『トップガン』と同じ道筋を辿っているのだと思います。

ともすると前述した「DON SIMPSON/JERRY BRUCKHEIMER FILMS」の件も、その一翼を担っているのかもしれませんね。映画全体をロングショット的に覗いてみると、体全体でテーマを語っているように思えます。

さて映画には主人公と、主人公の成長を助けるメンターとなる人物が登場します。通常であれば本作のような構造の場合マーヴェリックがメンター、ルースターが主人公という関係となりますが、お互いが主人公でお互いがメンターという面白い構造になっているんです。

ルースターはパイロットとして成長する必要があり、その点では主人公でありマーヴェリックはメンターです。一方で、マーヴェリックはルースターへの責任を感じており清算できていない葛藤を抱えています。主人公は清算すべき葛藤を抱えているもので、その点でマーヴェリックは主人公だと言えます。

もっと言えばルースターはマーヴェリックに対しても清算すべき葛藤を抱えていますよね。

故にマーヴェリックもルースターも後部座席が空席で、相棒を待っている状態だったんですね。敵地でお互いの命を助け合うことで二人の葛藤は清算され、マーヴェリックとグースが世界を魅了したF14(トムキャット)で互いの空席は埋まりました。

さらに今回、二人は脱出することなく空母へ帰還。ミッチェルとブラッドショーのコンビは36年ぶりに帰還したのでした。

前作の問題点をクリアした隙のない脚本

さて多くの人々を魅了した前作『トップガン』ですが、個人的にはいくつかの問題点を感じていまして、その一つが”目標の弱さ”です。というのも「トップガンを卒業する」という目標を持っていますが、如何せん実際のパイロットでもない限り、パイロットとしての成長を感じることは難しいですし、なにより映画として地味ですよね。

例えるならゴールの知らされていないマラソンをしているような感覚で、中だるみする危険性をはらんでいました。

一方で本作は、冒頭で「困難なミッションを成功させたい」という明確な目標が提示されます。さらに視覚的にミッションの困難度が表現されているため、観客が状況をイメージしやすい作りとなっているんです。

オレンチ

コンピューター・グラフィックス的にミッションのルートが提示されていましたよね。ある意味であれはエスタブリッシングショットと言える気がします。

要するに頭の中でマップが描けるような話の運ばれ方がしているんです。

ゆえにマーヴェリックの授業も渓谷を潜り抜けるため高度を落とすなど論理がわかりやすく、1つのミッションに複数の関所(渓谷を潜り抜ける・爆弾をピンポイントで投下する・9Gに耐えて脱出する等)を置いて、段階的に授業として公開するため、集中力の推進力を衰えさせないのです。

ちなみに冒頭のバーのシーンで、マーヴェリックの生徒たち(誰かまでは忘れた)がダーツをしていますが、このダーツシーンはクライマックスの爆弾投下を暗示していると言えますね。

最後の一投は目隠しされた状態でブルズを出しますが、これはレーダーが故障した状態で爆弾をヒットさせた件と紐づいていると考えることができるでしょう。

もう一つ問題点を挙げるとすると、前作『トップガン』はドッグファイト中にガチャガチャとカメラが動いてしまい、俳優の顔がまったくといっていいほど映されていないストレスフルな映像だったのですが、本作はガチャガチャと俳優の顔がよくわからないショットは0。

きっちりと鮮明に彼ら彼女らの演技を魅せてくれていました。

ちょっとした小ネタですが、本作に登場するヒロイン・ペニーですが、同一人物なのかは定かではないですが『トップガン』でグースの妻・キャロルが、マーヴェリックの元カノとして「ペニー」という名前を発していました。ぜひ一度前作『トップガン』をご確認ください。

ビーチで焚き火を囲う

本作『トップガン マーヴェリック』にはビーチバレーをするシーンがありますよね。

前作『トップガン』にも同じようなビーチバレーのシーンがあり、他のシーンと同様、前作を反復するような形で挿入されたシーンと言えます。

ただし前作のビーチバレーシーンよりも、今作のビーチバレーシーンの方がより重要な役割を担っているんです。

以前クロエ・ジャオ監督作『ザ・ライダー』評の中で、「焚き火を囲う」シーンの意味について解説しましたが、本作のビーチバレーシーンはこの「焚き火を囲う」シーンにとても近い力を持っていると言えます。

焚き火とは便宜上のもので、実際に焚き火を囲わなければいけないわけではなく、映画監督の三宅隆太さんは『ジョーズ』における怪我自慢シーンが「焚き火を囲む」好例として挙げています。

物語における「焚き火を囲う」シーンというのは、登場人物たちが心のうちを吐露し、登場人物たちが心を通わせ、大敵に向かって団結するためのシーンとして挿入されるものなのです。

本作でもこのシーンを境に徐々にパイロットたちは心を通わせ出しますよね。

ただしこのシーンの場合、心の内を吐露しているというより、体と体のぶつかり合いといった方が近いですよね。映画評論家の町山智浩さんあたりに言わせてみれば、このシーンは「濡れ場」ということになるかもしれません。

あながち濡れ場というのも冗談ではなく、映画における濡れ場はしばしば重要な要素となる場合があります。

例えばハル・ベリーが体当たりの演技で話題を呼んだ『チョコレート』では、濡れ場において徐々に体位を変化させる(バックから正常位へ)ことによって、お互いの感情の移り変わりを表しています。またライアン・ゴズリングとミシェル・ウィリアムズ主演の『ブルーバレンタイン』でも同じような表現方法をみることができます。

つまり映画における濡れ場というのは、反発しあっていた両者の心が1つになることを表現できる最も効率の良いシーンなんです。

町山さんは冗談のように『ロッキー3』のアポロとロッキーがトレーニングを行っているシーンを「もはやセックス」と揶揄していましたが、ともすると町山さんがそういった深淵には、アポロとロッキーの心が1つになったことを言っていたのかもしれません。

『トップガン マーヴェリック』にはマーヴェリックとペニーの恋の行方を扱ったサブプロットがありますが、ビーチバレーシーンの次のシーンが、ペニーの家でベットインするシーンなんです。

メインプロット(パイロットたちとマーヴェリックの関係)とサブプロット(ペニーとマーヴェリックの関係)の感情が同じような方向に動くのなら、それは隣同士のシーンに配置すべきであり、やはりビーチバレーシーンは「焚き火を囲う」シーンであり「濡れ場」なのかもしれません。

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