チェ。オレンチです。
先日嫁さんと「中古品」についての会話を繰り広げていたところ、急におばあちゃんの話になり、「中古品からおばあちゃんへの連想は流石にモラルの低い連想しとらんか?」と嫁ちゃんのことを心配になっていたんですけども。
コロナ禍の影響でおばあちゃんの入っている老人ホームに入ることができなくなるので、アウトレットから生活品を買い漁ったことを思い出してからの「おばあちゃん」でした。
みんなも情報を伝える順番には気をつけような!
そんなわけで今回は『ザ ・リング』(02)の感想に行ってみようと思います。
感想・解説・考察
●ホラーは時代を描き行く
言わずと知れたJホラーの金字塔『リング』(98)のハリウッドリメイク作品であるが、Japanのオリジナル『リング』が1998年の公開に対し、海を渡ったのが4年後の2002年ということで、リメイクとしては比較的早めなことからオリジナル『リング』(98)の影響力が伺えますよな。
そもそもJホラーの輸入スピードは早く、
- 『着信アリ』(03)→『ワン・ミス・コール』(08)=5年
- 『仄暗い水の底から』(02)→『ダーク・ウォーター』(05)=3年
- 『呪怨』(03)→『THE JUON/呪怨』(04)=1年
とJホラーがいかに世界水準が高いか伺えるようになっています。
ちなみにオリジナル『リング』(98)は観賞していません。
理由は簡単で、怖いから。
Jホラー怖いねん。でもいずれ見なきゃな〜とは思っとります。
何はともあれ『ザ ・リング』(02)である。
身も蓋もないことを言えば、公開当時から比べて見るとかなり本作からの恐怖は薄まってしまったよな〜。
当時はビデオ全盛期で、テレビ番組は全てビデオで録画する時代だったため、ラベル無しのVHSなんか山のように積んであったしな。
僕も「金曜ロードショー」「ゴールデン洋画劇場」「日曜洋画劇場」を録画しあさったものです。
要するに全国民にとってVHSは生活の一部で、『リング』(98)及び『ザ ・リング』(02)は至極身近に存在する恐怖だったわけであります。
前述とおりラベル無しで山積みになったビデオがある家なんかゴマンとあったろうしね。
身近な存在だからこそ「ひょっとしてこの中にも呪いのビデオが・・・?」ちゅう恐怖を生み、その呪いの結果が”死”なわけだから怖くないわけないよねって。
とはいえ2000年にPS2が発売されたことから爆発的にDVDが普及するようになるので、『ザ ・リング』が公開された2002年はちょうどVHSとDVDが混在するギリギリの時代だったのかもしれません。
それが今となっては録画はHDDレコーダーだし、そもそもVOD時代が到来しているので「偶然ビデオを見てしまうかも」と言ったような身近な恐怖は皆無になっちゃってますよね。
そもそもホラー映画というものは、1950年代〜60年代には核をモチーフにしたホラーが撮られているように、その時の情勢を表すものなんすよね。
そんなんでこれからはSNSをテーマにした『イングリッド』(17)や『アンフレンデッド』(14)みたいな映画が増えてくるんでしょうなぁ。
今でこそ魑魅魍魎なゾンビ映画ですが、始祖的存在である『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68)を始め、ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画は当時の社会問題を風刺した映画なのでした。
そうそう敬愛する映画ブロガー、ふかづめさんのシネマ一刀両断の「ホラー映画十選」のなかで、「一人でもバカを減らすためにホラー映画を作っていたのに、今ではホラー映画がバカを作ってる」と名言をいただきました。
●なんとワッツな結末
だいぶ逸れたけど『ザ ・リング』(02)でしたね。
ざっと物語を追いながら振り返ってみようと思う。
知り合いのティーンエイジが謎の死を遂げたことから、その死の真相を調査するこのになった記者のナオミ・ワッツは、ティーンエイジ4人が1週間前とあるコテージに宿泊していたことを知り、4人とも同時刻に謎の死を遂げたことに気づいてしまったもんで、件のコテージを訪れるんだが、
コテージの受付の野郎なんなん?
ワッツが到着するやいなや、ゴマンと繰り返された手品に参加させられ、手品はクソ下手な挙句、この一連の流れは映画に何も貢献しない。
記者ナオミも完全にワッツな表情をしておりました。
これだけなんの効果も生み出さないシーンも珍しいよな。
後半にもう一度このコテージを訪れるこのになるのだけれど、受付は再登場しないからね。
呪いのビデオを無事ゲットしたワッツは4人が止まったコテージで一人寂しく呪いのビデオを早速観賞。
俺だったら絶対に観ません。
口を開けたアホズラ晒しながらビデオを見終わったワッツだったが、その直後に一本の電話が・・・。
「あと7日・・・。」
律儀なもんです。
ちなみにこの呪いのビデオですが、嫌悪感を与えるように良くできちょりますね。規則性と不規則性が混在していて感覚を揺さぶられるし、よく観たら人間や馬だったり、静寂だった雰囲気から徐々に激しくなって行ったり、カットを破るタイミングが不規則だったり・・・。
何はともあれ観続けるのが嫌でした。
この映画の場合“見続けるのが嫌”という感覚は監督の勝利でしょう。畜生。
ワッツが呪いを受けてからは、捜査は本気モードに変わり、呪いのビデオをキーアイテムに真相に近づいていきます。
意味なさげなモンタージュビデオが思いの外しっかりとヒントとして機能しているので、ミステリ映画としてはなかなか面白いです。
ハエがテレビから出てくるという、サマラがテレビから出てくる暗示も面白いっすな。
そもそも幽霊が出るホラー映画というのはミステリ要素こそ面白さの源泉だと思うんだよな。
霊が人を襲うのには必ず理由があるっちゅうことです。
これが悪魔とかになるともっと伝承とか神話的な言い伝えに変わるんですけどね。
親の不注意で息子が呪いのビデオを見てしまったことからさらに捜査はガチモードに突入するわけなんですが、どうしても子の放置感が気になってしまいます。
ベビーシッターを雇っている描写もあるにはあるのだけど、コテージから帰還した際は死んでんじゃねえかってくらい1人リビングで倒れていたし、元旦那の家に向かう時だってマンションにザ ・放置ですからなぁ。
その点『ラ・ヨローナ』(19)のシングルマザーは良く頑張っておりました。
にしたってなんだってナオミはあんなにダサい服を着ているのだろうか。顔が可愛いから許されるけど、キツネのプリントTシャツはワッツだわ。
全ての謎を解き「終わった」と元旦那がコメントしワッツも一安心しますが、ホラー映画における「終わった」は言ったそいつの終わりを示すので、漏れずに元旦那のもとへサマラが現れます。
とここで『リング』(98)史上、というかJホラー史上最も有名と言っても過言ではないシーンが再現されるわけですが、ここの全てが大失敗を遂げていました。
まずは時間帯が昼間である点。というか昼間でもいいっちゃいいんですが、物件の自慢ポイントなのかっつうぐらい日当たり良好である点。明るい場面でのホラーは、明るい=セーフルームという安心を裏切るショック(唐突に現れる等)以外あまり効果を発揮しないです。この場面のサマラ登場はショックと呼ぶには程遠く、のっそのっそと迫ってきてましたしね。
続いては部屋が広く開放感がある点。なんというか逃げ道が残されているような気がしてきちゃうんすよね。この場合、間取りは狭く見下ろしのショットなどで部屋を狭く見せれば見せるほど怖さが増します。
最後はサマラ本人。
なんでビリビリっと電子的な演出加えてしまうん?
しらけ度MAXでございました。
ちなみになぜナオミ・ワッツは助かったのかというと、ビデオをコピーしかたらで、子供が狙われるというサスペンスもほぼ活用することなしに、息子にビデオをコピーさせて幕を閉じます。
あれって1週間ごとにやるんけ?
そんな結末こそワッツだよ!
スタッフ
- 監督:ゴア・ヴァービンスキー
- 制作:ウォルター・F・パークス
- 脚本:スコット・フランク、アーレン・クルーガー
- 原作:鈴木光司
- 撮影:ボジャン・バゼリ
- 編集:クレイグ・ウッド
- 音楽:ハンス・ジマー
キャスト
- レイチェル・ケラー:ナオミ・ワッツ
- ノア:マーティン・ヘンダーソン
- エイダン・ケラー:デヴィッド・ドーフマン
- リチャード・モーガン:ブライアン・コックス
- サマラ・モーガン:ダヴェイ・チェイス
- ルース:リンゼイ・フロスト
- グラズニック:ジェーン・アレクサンダー
- ケイティ・エンバリー:アンバー・タンブリン