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【ネタバレあり】『ライオンキング』感想:─リメイクと実写化に求めるものとは─

こんにちは!オレンチ(@1080Buttobi)です!

ダンボ』『アラジン』そして『ライオンキング』─。2019年に入りディズニーアニメ作品の実写化が既に3本目ですよ。

さらには今年中に『マレフィセント2』も控えているし、翌年には『ムーラン』も。

もう全部実写化するつもりなのでしょう笑

いずれは今回の目玉技術、超実写で『バンビ』を作ってみたり、『アナ雪』や『ラプンツェル』なんかも早々に実写化するんでしょうな。

実写化作品だけでもこれだけ多いのに、今年の5月に世界中を沸かせた『アベンジャーズ/エンドゲーム』もディズニー

年末に控え、スカイウォーカー家の歴史に幕を降ろす『スターウォーズ エピソードⅨ/スカイウォーカーの夜明け』もディズニー

いよいよ、ディズニーなのかハリウッドなのかわからなくなってきました。

と前置きの方向性がわけわからなくなってきたので、『ライオンキング(2019』の感想やら評価やら解説やら、行ってみます。

王の帰還

ライオンキング』という物語が他のディズニーアニメーションと圧倒的に違う点は、『白雪姫』を始めとする『シンデレラ』や『ラプンツェル』など多くの作品が原作をベースに脚色しているのに対し、完全オリジナルストーリーであるということが挙げられる。

完全オリジナルとは言っても、ベースとなっている物語はいくつかあり、王の死とその復讐はシェイクスピアの『ハムレット』だったり、ホロメスの叙事詩『オデュッセイア』やJ・R・R・トールキンの小説『指輪物語』のように王が自分の治めるべき土地に帰還する物語でもある。

つまり文字通り王道中の王道。キング・オブ・シナリオだ。

そのシナリオが身に纏うテーマは《サークルオブライフ(生命の環)》についてだ。シンバは物語の中で《サークルオブライフ(生命の環)》を学び、偉大な父へ追いついてく。シンバの前足がムファサの足跡の中にすっぽり入ってしまうシーンは、父へ追いつく物語だということを暗示している。

暗示といえば、ナラとシンバがじゃれ合うショットも暗示だ。2匹はじゃれ合い必ず最後は決まったモーションでナラが勝つ。数年後に再び出会うとやはりナラが同じモーションで勝つ。これはお互いがかつての親友に気づくべく仕込まれた暗示である。

同じように動物たちの王国を扱った『バンビ』との決定的な違いは、シンバは父親の死と対面する。『バンビ』ではこれを見せなかったが、『ライオンキング』では物語のターニングポイントと呼べるタイミングでシンバに死と向き合わせる。自分の父親を死なせてしまったという罪悪感から自らの意思で王国を離れ、以来戻らなくなる。これはシンバが戻らないという説得力につながる。

ただし《死》という重い場面から作品のトーンが暗くならないように一役買うのがプンバァティモンだ。

プンバァとティモンに支えながら成長していくシンバだが、成長するにつれ自分の帰るべき場所とその責任に気づき、生まれた土地へと帰っていく。

王の帰還である。

物語は血統である。

さてここで問題です。

僕がここまで語った『ライオンキング』は次のうちどちらでしょう。

  • A:「アニメ版」
  • B:「超実写版」

答えはC:「どちらでもある」でした。

つまり「超実写版」は「アニメ版」の完コピなのだ。

シナリオや主題だけならまだしも、構図やカメラの動きまで確実に「アニメ版」に合わせて作られているのだ。

例えば、

  • 「サークル・オブ・ライフ」が歌われるアバンタイトルで、蟻の行列からシマウマの群れへフォーカスが移動するショット。
  • ムファサとシンバがプライド・ロックを見下ろす際、2匹をスウィープ(回転)して捉えるショット。
  • ムファサがシンバに星について話すシーンでカット割ごとに日が暮れていく演出。
  • ムファサがスカーに殺された直後、シンバが谷をさまよう長回しのショット。

挙げだすときりがないが、ありとあらゆる構図まで「アニメ版」を完コピされている。

実写化とは言ってしまえばリメイクで、リメイクにおいて一番やってはいけないことが完コピだ。リメイクに求められるのは、《似ているけど違うもの》である。

実写版『アラジン』ではジャスミンの感情を前面に出したことで《似ているけど違うもの》をうまく作り上げている。

超実写『ライオンキング』では、ナラがプライド・ロックから脱出するシーンが挿入され一見ナラも前面に出されたように見える。がしかし、この挿入されたシーンはシンバナラが再開するシーンに繋がっていくだけ。特典映像に収録された未公開シーンを本編に再度挿入したようなものだ。《似ているけど違うもの》とはそういうことじゃない。

元をたどれば『ライオンキング』だって『ハムレット』や『指輪物語』の《似ているけど違うもの》なのだ。

物語というのは血統のようなもので、必ずその先祖がいる。先祖のDNAを受け継ぎ新たな物語を作ることで映画は面白くなるのであって、クローンを作ることは映画の世界であっても倫理的にナンセンスなのだ。

さらに悪いことに動物たちを超実写化したことで、彼らの表情のバリエーションが著しく減少し、結果的に彼らの感情が見るものに響いて来ない。

ディズニーアニメーションのキャラクターたちはそれぞれ確かなアイデンティティを持っている。その秘密の一つは、声をあてる役者が決まるとその役者に合わせて少しづつキャラクターの特徴も変えていく。マシュー・ブロデリックシンバ役に決まれば、シンバマシュー・ブロデリックに近づけていくし、ジェレミー・アイアンズスカー役に決まれば、スカージェレミー・アイアンズに寄せていく。

マシュー・ブロデリックからの
シンバ。
ジェレミーアイアンズからの、
スカー。

しかし、超実写ではどこからどうみてもライオンなので演じる役者を感じることができないのだ。超実写のナラを見て「うわぁ〜めっちゃビヨンセ。」なんて感想は微塵も浮かんでこないでしょう。

ナラとビヨンセ。

超実写化について

とまぁここまで超実写化された『ライオンキング』を超否定的に語ってきたのだけれども、勘違いしないでいただきたいのが超実写という試み自体は否定的ではないということです。

むしろ超実写についてはかなり超肯定的だし、超実写化で映画を一本作ろうとしたジョン・ファブローの勇気は超賞賛に値すると思っている。

前述したカメラの動きを完コピした件については、「ここまで再現できるぞ。」という技術の有効性を知らしめたとも言えるし、ぶっちゃけ僕は鑑賞する直前まで本作がフルCGだということを知らなかった。(ファーストショットの日の出シーンだけ実写だけど)

つまり動物でさえも言われなければわからない次元までVFXの技術は進化している。

かつて『ジュラシック・パーク』のVFXに人々は度肝を抜かれ、以来映画の作り方を決定的に変えてしまったように、本作を機に新たな映画体験を生み出して頂きたいと強く願う。

一本の作品として捉えた場合は非常に残念な作品であったけれども、超実写の技術力を世界に知らしめたという点で言えば大成功だ。

最後に超実写が生み出した『ライオンキング』のリメイクとして素晴らしいシーンを語って終わろうと思います。

ちなみに《ライオンキングのリメイクとして素晴らしい》ってとこが重要です。

それはシンバの生存がラフィキの元へ届くシーン。

「アニメ版」では花粉によって風で運ばれラフィキの元へ届くのだが、超実写版ではこのシーンをシークエンスに変えてじっくりと表現している。

そのシークエンスとはこうだ。

シンバのタテガミが風に乗り川に落ちる。川から鳥がタテガミを拾い、巣へと持ち帰る。巣から捨てられたタテガミは木に引っかかり、キリンに食べられる。フンコロガシによってタテガミは運ばれ、フンが割れると再び風に乗り、アリによってラフィキの元へ届く。

《サークルオブライフ(生命の環)》というテーマを捉えた非常に素晴らしいシークエンスだったと僕は思う。これを実写で映像化しようと思ったら奇跡を待つしかない。超実写化の可能性を凝縮した超素晴らしいシークエンスだった。

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