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『レイジング・ブル』解説ネタバレ感想・伏線・考察|【評価】

オレンチ
オレンチ

はじめまして!オレンチと申します。

今回は1980年公開、元ボクシング・ミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタの半生を描いた『レイジング・ブル』について考察し、僕なりに本作を解説していこうと思います。

本作は監督マーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロが4度目のタッグを組んだ作品。ロバート・デ・ニーロの常識の外れた役作りから【デニーロ・アプローチ】という言葉も生まれました。

というわけで早速、本題へと進んで行きましょう!

注意

この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

『レイジング・ブル』のネタバレ感想・解説・考察

破滅へとひた進む男の物語

『レイジング・ブル』は前述の通り、元ボクシング・ミドル級チャンピオンのジェイク・ラモッタの半生を描いた作品で、1941年〜1964年までおおよそ20年の期間を描いています。

本作を語る上でまず避けて通れないのが【デニーロ・アプローチ】についてですね。

【デニーロ・アプローチ】とはロバート・デ・ニーロの異常なまでに徹底した役作りに名付けられたもの。本作でロバート・デ・ニーロはボクシング全盛期だったジェイク・ラモッタを演じた後、引退しブクブクに太ったラモッタを演じるため体重を20キロも増やしたのです。

他の映画なら特殊メイクで肥満を表現するところですが、デニーロは実際に太ることに強いこだわりを持ち実現させたのだとか。

なので本作の冒頭と後半に登場するデニーロの飛び出たお腹はデニーロ本人ものなんです。

そんな【デニーロ・アプローチ】のおかげで劇の完成度を底上げした『レイジング・ブル』ですが、テーマとしては【破滅へとひたすら進む男】を表現した作品です。

面白いのは破滅へつ進む原因が自滅だということ。ラモッタは自らの言動と行動で、ひたすら自滅の道を進んでいくんです。

そんな自滅の大きな要因となっているのが2番目の妻ビッキーへの異常な執着です。

ラモッタのビッキーへの執着はとても面白い映像表現がされており、それというのがスローモーションですね。

ラモッタがビッキーのことで不安になるショットはほぼ全てスローモーションで表現されています。例えばまだ二人が知り合う前にサルヴィーの車で去っていくシーンや、ビッキーがトミーに呼ばれ親しげにハグをしているシーンなど。

このようにラモッタの視線をスローモーションにすることで、彼の不安を表現しているのでした。

さてここでもう一つ重要なのは『レイジング・ブル』はほぼ全てジェイク・ラモッタの視点で描かれているということ。ジョーイでもビッキーでもなくあくまでもラモッタ。

前述したスローモーションのショットもそうですし、試合のシーンもラモッタの心境を表現するように描かれているんです。

そういったラモッタの視点にこだわることで、観客はジェイク・ラモッタという実際に近くにいたら絶対に関わり合いたくないような人物に興味を持ち、興味は面白さに変わり集中力を最後まで運んでくれるのだと思います。

故に物語の終盤、独房に入れられて嘆くラモッタの気持ちが恐ろしいほど伝わってくるのだと感じました。

試合シーンで語るラモッタの心境

少し前に触れた【試合のシーンで表現されたラモッタの心境】についてもう少し深堀してみましょう。

まず『レイジング・ブル』以前のボクシング映画(『ロッキー』や『チャンプ』)などは、いずれもリングの外からカメラを数台利用した撮影方法が選択されており、観客は本当のボクシングの試合をテレビ越しで見ているかのような構図がとられています。

対する『レイジング・ブル』はカメラをリングの中に同行させ、ラモッタの試合を体験しているかのような映像になっています。ちなみに『レイジング・ブル』の【試合を体験】を継承しているのが『クリード』だと思います。

さらに試合によって構図やカメラワークを巧みに変更し、ラモッタの心の中を表現しています。

例えば最大のライバル、シュガー・レイ・ロビンソンに初めて白星を上げる試合シーンでは前述の通りカメラはリングの中にあり、ラモッタの勢いを感じることができるようになっています。

次にラモッタがシュガー・レイに敗れる試合シーンでは、望遠レンズによってリングの外から撮影され煙や陽炎のようなものでリングやレフリーがよく見えないショットが連続しており、ラモッタの心が試合にないことを表現していました。

さらに面白のがこの融合となっている初の防衛戦(記憶が曖昧です。ごめんなさい)。

負け試合かと思わせておきながら終盤のラウンドで一気に逆転する試合なのですが、試合シーンの前半部分のショットはリングの外から撮影されていたのですが、逆転のフックを炸裂する瞬間、ワンショットでカメラはローブを跨ぎリングの中へと入ってくるんです。

負け試合と思わせておきつつ、ラモッタが諦めていなかったことをカメラが語っているのでした。

スコセッシとデニーロが描く「話の通じない男」

思えばスコセッシとデニーロがタッグを組んだ作品はどれも例外なく「話の通じない男」を描いていました。

初めてタッグを組んだ『ミーン・ストリート』でデニーロはジョニー・ボーイという無軌道な青年を演じ、彼の素行の悪さによって悲劇を産みます。

次の『タクシードライバー』で演じたトラヴィスは明らかに話の通じない男で【孤独な男の危うさ】を描いた作品でした。

3度目タッグとなる『ニューヨーク・ニューヨーク』でもプライドが高く男尊女卑なクズを演じてはいたのですが、『ニューヨーク・ニューヨーク』辺りから、そんなクズにもちょっとした救いを与えるようなラストに切り替わっていきます。

本作『レイジング・ブル』のラストも20年の長い歳月を経て、少し落ち着き次の人生を歩み出そうとしているラモッタを垣間見せて終了となっていました。

そういえば本作でスコセッシファミリーにジョー・ペシが加わることとなりますが、実はジョー・ペシは俳優に見切りをつけようとしていたんだとか。

もし『レイジング・ブル』がなければ『グッドフェローズ』や『カジノ』は今ほど名作になっていなかったかもしれませんし、もしかしたら『ホームアローン』も生まれていなかったかもしれませんね。

ちなみに本作が白黒の理由ですが、大元をたどると「ラモッタのボクシンググローブが赤すぎる。」と言われたからだそうですよ。

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