オレンチ
はじめまして!オレンチと申します。
今回は映画のオープニング理論【ワンスアポンアタイム・オープニング】について、お話していこうと思います。
ちなみに【ワンスアポンアタイム・オープニング】は僕の造語であり、僕しか提唱してない理論なので初耳は当然です。
もし興味があったら最後までお付き合いください!
ワンスアポンアタイム・オープニングとは
【ワンスアポンアタイム・オープニング】とは僕が提唱した映画のオープニング理論です。
「ワンスアポンアタイム」とは「むかしむかし」という意味。おとぎ話の冒頭でよく聞きますよね。
つまり【ワンスアポンアタイム・オープニング】とは、シーケンス自体が1つの昔話になっているオープニングのことを言います。
最近では『シャン・チー/テン・リングスの伝説』が【ワンスアポンアタイム・オープニング】になっていたと思います。
【ワンスアポンアタイム・オープニング】には以下のような特徴があります。
起承転結がある
【ワンスアポンアタイム・オープニング】にはオープニングそのものに起承転結があり、その内容のほとんどが悲劇です。
その理由は昔々に起きてしまった悲劇が、そのまま本編の葛藤──つまり解決すべき事象になるためです。悲劇は起承転結でないと成り立たないのでミニマムな起承転結になっているんですね。
ようするに【ワンスアポンアタイム・オープニング】で起きた悲劇は本編と密接につながるのです。
『ハムナプトラ』は、古代エジプトのテーベでイムホテップに起きた悲劇をミニマムな起承転結で描いています。
この映画の本題は現代(1910年代)に蘇ったイムホテップが、古代エジプトで成し遂げられなかったことを実行しようとし主人公たちを災いをもたらす内容です。
重要なアイテムや内容が詰まっている
【ワンスアポンアタイム・オープニング】の中には本編で重要となるアイテムや、会話が隠されています。
1回目の鑑賞では気づかなかったアイテムに、2回目以降で気づくなどと言ったことがよくあります。
例えば『ロード・オブ・ザ・リング』は、アングマールの魔王(『王の帰還』に登場する)やエルフの女王ガラドリエルなどがオープニングに登場します。
そもそもオープニングに登場する指輪にまつわるお話です。
『ハムナプトラ』はよく目を凝らすと、イムホテップへの生贄の条件となる壺?がチラ見できます。また本編で人間を苦しめるスカラベの実力もオープニングで示されています。
オープニングの舞台が物語の終着点である
【ワンスアポンアタイム・オープニング】の舞台は、主人公たちの目的地であることがほとんどです。
物語──、とりわけ神話という類のものは《行って帰ってくる》という構造になっており、多くの映画が《行きて帰し構造》となっています。
近年最もその代表と言えるのが『マッドマックス・怒りのデスロード』でしょう。
【ワンスアポンアタイム・オープニング】の作品の場合、主人公的視線で見ると《行く》だけですが、観客的視線で見ると目的地となるシーンから始まるため、オープニングの地に《帰ってくる》物語となるのです。
『シャン・チー/テン・リングスの伝説』はウェンウー(トニー・レオン)たちと共にオープニングで示されたター・ローへと向かっていく物語です。
『ハムナプトラ』はイムホテップの目論見を阻止するため、オープニングでイムホテップが捕まった死者の都ハムナプトラへと向かう物語です。
『ロード・オブ・ザ・リング』は三部作を通して、オープニングで最終決戦が行われた滅び山へと指輪を捨てに行く物語です。
意外なワンスアポンアタイム・オープニング
上記で挙げてきた『シャンチー』『ロード・オブ・ザ・リング』『ハムナプトラ』のように、【ワンスアポンアタイム・オープニング】となる作品はファンタジーかつスケールのデカイ作品である傾向があります。
ただし例外もあり、よく見ると上記の法則に当てはまる意外な【ワンスアポンアタイム・オープニング】もあるので、最後にその作品を紹介して終わりにします。
『カールじいさんの空飛ぶ家』は上記で挙げた作品たちと似ても似つかないテイストの映画ですが、しっかりと今回の法則に当てはまります。
オープニングに起承転結があり、妻の死という悲劇で終わります。
さらにパラダイスの滝はこの物語の目的地であり、チャールズ・F・マンツは物語上で重要な人物となります。
『MIB2』はチープなテレビ番組をそのまま【ワンスアポンアタイム・オープニング】としたメタフィクション的な要素も含む非常に高度なオープニングです。
冒頭のチープな番組をなぞるようにして本編は語れれます。