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【映画】『エターナルズ』|解説ネタバレ感想・伏線・考察|多様性の新しい風

オレンチ

はじめまして!オレンチと申します!

今回は『エターナルズ』について書いて行きます。

『エターナルズ』は2008年に始まったマーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)の26作目の作品。

監督は『ノマドランド』でアカデミー作品賞を受賞したことが記憶に新しいクロエ・ジャオ

キャストには『キャプテン・マーベル』でミン・エルヴァ役も演じたジェンマ・チャン、『ダンケルク』などのバリー・コーガン、『ゲーム・オブ・スローンズ』からリチャード・マッデンキット・ハリントン

『新感染/ファイナル・エクスプレス』で、ゾンビに気合で奇跡を起こした(詳しくは『『新感染/ファイナル・エクスプレス』をご覧ください。)マブリーことマ・ドンソク(ハリウッドではドン・リー)。

後ほど深く言及しますが『フリーダ』でアカデミー主演女優賞にノミネートされたサルマ・ハエック、そしてまさかのMCU参戦で映画ファンの度肝を抜いたアンジェリーナ・ジョリーなど、錚々たるキャストが出演しています。

ちょっとMCUに新キャラが大渋滞を起こしている感が否めないですが、以下目次から行ってみよう!

『エターナルズ』のネタバレ感想・解説・考察

ジャンルミックスを彷彿とさせるオープニング・クロール

まず目を引いたのが、割とはっきりと『ブレード・ランナー』を引用したオープニング・クロール

『ブレードランナー』のオープニングクロール

『ブレードランナー』のオープニングクロール

『ブレード・ランナー』(82)のオープニング・クロールは古風なフォント(Goudy Old Style)を用いた非未来的な文章であり、物語で重要な単語を赤くあしらっている点が大きな特徴です。

『ブレード・ランナー』(82)は、古風なフォントを用いることでSFとフィルム・ノワールというジャンルをクロスオーバーさせた作品だということを示唆しており、後にSF×フィルム・ノワールの作品は、『ターミネーター』(84)に登場するナイトクラブの名にちなんで「テク・ノワール」と呼ばれるようになったりします。(『未来世紀ブラジル』(85)や『マイノリティ・リポート』(02)なども「テク・ノワール」)

SFとフォントについての詳しい解説は、デイヴ・アディ著『SF映画のタイポグラフィとデザイン』から多く引用させていただいています。

全SF映画好きにむちゃくちゃオススメな一冊なので、ぜひ一度ご覧になってください。

 

さて『エターナルズ』(21)のオープニング・クロールも古風なフォントが用いられ、CELESTIALSDEVIANTSなどの単語がゴールドの差し色になっていましたね。

では『ブレード・ランナー』(82)のオープニング・クロールの引用が『エターナルズ』(21)にとってどのような作用が働いているかというところなんですが、古風なフォントについては『エターナルズ』が持つ神話的な作劇と非常にマッチしています。

しかし『エターナルズ』(21)には『2001年宇宙の旅』(68)的なSF的ジャンルもたっぷりと含まれていますよね。

つまりある種『ブレード・ランナー』(82)のオープニング・クロールが記号化したジャンルミックスの示唆を『エターナルズ』(21)が引用し、これから語られる物語の方向性を示しているのではないかと感じました。

 

ただね。上記のような生真面目な意味だけでなく、「私、このジャンルも行けるんで!」というクロエ・ジャオの意思表示のようなものにも感じます。

クロエ・ジャオ作品といえば、アカデミー賞作品賞を受賞した『ノマドランド』や『ザ・ライダー』が挙げられますよね。

この2作を観ればはっきりとクロエ・ジャオの作家性について感じることができると思います。

ここで感じるクロエ・ジャオの作家性は、MCUが保っているテイストとは真逆に位置し、クロエ・ジャオで大丈夫なのか?と危惧されていました。

しかしクロエ・ジャオは『エターナルズ』公開前のインタビューでマーベルの大ファンを公言しているんですよね。

そこで『ブレード・ランナー』ファンなら直感的に感じ取ることができるオープニング・クロールを引用することによって、ジャンル映画にも知見があることを示しているのかなとも思いました。

ではクロエ・ジャオの作家性って一体何だ?ということになってくるかと思うんですが、クロエ・ジャオの作家性については次の章で細かく語ってみたいと思います。

クロエ・ジャオの作家性とは

作家性というのは非常に奥が深く、十人十色であり、また変化していくものでもあるため、簡単には語ることができません。

ただ僕は、作家性というものを大きく二つに分けること可能と考えています。

それが「ハイコンセプト的作家性」「ソフトストーリー的作家性」です。

ハイコンセプトとソフトストーリーについては、僕の『ザ・ライダー』評の中でも語っているのと、三宅隆太監督の『スクリプトドクターのサクゲキRADIO』が大変参考になるのでぜひそちらをお聞きください。

ざっくりハイコンセプトとは「テロを阻止しなければならない」「サメを退治しなくてはならない」「ボクシングの試合に勝ちたい」など外的な葛藤と向き合う物語のことを言います。

外側から攻めてくる葛藤なので、誰でも感じ取りやすく、物語もわかりやすい傾向があります。MCUはどの作品もハイコンセプト的と言えますね。

一方でソフトストーリーは心の中──つまり内的な葛藤と向き合う物語なので、簡単には説明できず、難解な作品になる傾向があります。

ではクロエ・ジャオの作家性はどちらなのかというと、明らかにソフトストーリー的作家性を持ったフィルム・メーカーだと思います。

 

つまりハイコンセプト的テイストを持つMCUの最新作に、ソフトストーリー的作家性を持ったクロエ・ジャオが抜擢されたということなんですよ。

ジェームズ・ガンやタイカ・ワイティティなどがそうだったように、これまでも野心的なスタッフィングを行ってきたMCUですが、その中でも群を抜いて前衛的な選択だったと思います。

では『エターナルズ』はどちらに属する作品なのでしょう。

面白いことに『エターナルズ』は、「ソフトストーリー的でありハイコンセプト的な作品」と感じることができるんです。

これが「MCUなんだけどクロエ・ジャオっぽい」の正体かなと思います。

 

『エターナルズ』をハイコンセプトのフィルターにかけると、「セレスティアルズの誕生を阻止しなくてはならない」という外的葛藤が見えます。

しかしそんな外的葛藤のが渦巻くなかで、イカリスの内的葛藤がチラチラと見え隠れしているんですよね。

このイカリスの内的葛藤の見せ方が、意味深なアップショットだったり、大自然の中にポツンとただ立ち尽くしていたりと、めちゃくちゃクロエ・ジャオっぽいのです。

個人的にはイカリス──というはジェームズ・マッデンに思い入れが深いため、「イカリスは何かを隠してる・・・この場合は裏切りしか・・・」という最悪な予想を当ててしまった結果になり、ちょっと辛いんですけどね。(アマゾンでの戦闘で、ボソッと言った一言で確信に変わりましたよね。)

ただイカリス×ジェームズ・マッデンという魅力度MAXなキャラクターを、MCUがここでフェードアウトさせるようなことも無いような気がしているのですがどうでしょう。淡く再登場を願ってやまないです。

 

 

そう言えば、いい意味で驚いたのがクロエ・ジャオはアクションを撮るのも非常に上手いこと。ケレン味たっぷりなハイスピードのアクションを、何が起こっているのかしっかりとわかるように撮影・編集されているあたり最高でした。

個人的に顔がはっきりと見えるスピード感のあるアクションは洗練されていると思います。

 

もう一つクロエ・ジャオの作家性で言うと、夕日をピンク色に反射する雲の姿が弱かった点が残念だったなーと思います。

『ノマドランド』も『ザ・ライダー』も刻印のようにマジックアワーの雲が映されていて、ジョン・フォードにおけるモニュメントバレーのようなものになるのかなぁ。なんて思っていたので、『エターナルズ』にもはっきりとした刻印がほしかった次第です。

多様性(ダイバーシティ)の新しい風(ヌーヴェルヴァーグ)

『シャン・チー/テン・リングスの伝説』評でも語りましたが、MCUはフェーズ4に入ってから明らかに多様性を全面に出してきています。

その前身となったのが『ブラックパンサー』の成功であり、黒人女子テニスプレーヤーのセレーナ・ウィリアムズのエピソードが感慨深いです。

セレーナ・ウィリアムズのエピソードについては僕の『シャンチー』評をご覧いただくか、アイリス・ゴッドリーブ著『イラストで学ぶジェンダーのはなし みんなと自分を理解するためのガイドブック』をご覧ください。

話をフェーズ4に戻すと、『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』はブラック・ライヴス・マターを呼びかける内容でしたし、『シャン・チー/テン・リングスの伝説』はメインキャストのほとんどをアジア人にした夏のブロックバスター映画でした。

 

『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』ではサムとバッキーが口論していると、明らかに黒人であるサムに疑いを持って接してくる白人警官が露骨でしたし、人種差別的な背景よって歴史から抹消されてしまった黒人スーパーソルジャーの存在も大きかったと思います。

なにより黒人が”アメリカのキャプテン”となった結末は、大いに賞賛できる結果だとと思います。

『シャン・チー/テン・リングスの伝説』にしてみても、ほとんどのキャストをアジア人で構成された作品を、映画産業的に最も利益を出さなくてはならない真夏のブロックバスター映画に持ってきているんですよね。

 

映画史における多様化の流れはMCUに限った話ではなく、世界中の映画で見られるようになってきています。

このように映画に多様性のメッセージを載せるようになった映画史的背景は割とはっきりとしていて、2018年ごろから。

そう、ハーヴェイ・ワインスタインによるセクハラ行為が次々と明るみとなり、Metoo運動という社会現象を巻き起こした年です。

Metoo運動を巻き起こした一連の流れは、ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー著『その名を暴け:#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの戦い』が最高に面白いのでぜひそちらをご覧ください。

2018年ごろを転換期に、映画は多様性(ダイバーシティ)への訴えを込めた作品が非常に多くなっていきます。

映画は時勢を写すもので、つまり今まさに多様性と真剣に向き合わなければならない時代になっていると言うことだと思います。

個人的にはアメリカン・ニューシネマのようなもので、いつか一連の作品を総称した名前がつくのかなぁ。なんて思ったりもしますね。

そんな時代の流れを前線に立って発信し続けているMCUのフェーズ4は、大袈裟でもなんでもなく、世界にとって大きな意義のあることだと思います。

世界には様々なジェンダーがあり、様々な人種があり、様々な恋愛対象があります。これは紛れもない事実であり、とても複雑なことです。

ただ一つ確かなのは「自分にとってのヒーロー」は誰しもに必要だということ。これはヒーローの本質なんじゃないかなとも思うんです。

おそらくMCU──、もっと言えばプロデューサーのケヴィン・ファイギはMCUがもたらすべきものを熟考し、「自分にとってのヒーロー」を感じてもらうことに努めているように感じます。

MCUという大きな大きな構造で見てみるとソフトストーリー的な構造なのかもしれません。

 

一歩踏み込んだLGBTQ+表現

そんな時代の流れを読んで『エターナルズ』を見つめ直すと、とても味わい深いものになると思うのです。

ごく自然に聴覚障害のスーパーヒーロー(マッカリ)が登場しますし、ごく自然にゲイのスーパーヒーロー(ファストス)が登場します。

とりわけファストスには、バイオロジカル的には極めて男性的なパートナーがいるだけでなく、子供までいるのですから驚きです。しかもそのパートナーは中東系ということで、かなり攻めていると思います。

以下の画像を見る通り、中東ではLBGTQ+への弾圧が強く、「死刑」を言い渡されてしまう国だって少なくありません。

同性愛が違法な国/合法な国

ナショナルジオグラフィックより引用

人が人を愛するだけで、死刑にされてしまう。そんなバカげたことがあってたまりますか。

ファストスとパートナーのキスシーンにはそんな反骨精神さえ感じました。

 

映画におけるセックスシーンの重要性

ファストスを筆頭に『エターナルズ』は様々な恋愛を全面に押し出した作品でもありますね。そのことはイカリスとセルシの濡れ場を観れば明らかで、MCUでは初めてはっきりとしたセックスシーンが描かれています。

映画におけるセックスシーンは、非常に重要なシーンの一つで人と人の心の繋がりを映像で表現できるとても有効な手段です。セックスの対位によってその表現は大きく変わるんですが、その話はまた別の機会でできたらなと思います。

『チョコレート』や『ブルー・バレンタイン』を観ると、なんとなく感じれるものがあると思うので是非一度、対位とお互いの感情について注目してみて観てください。

『エターナルズ』では割と前半でイカリスとセルシの濡れ場シーンが挿入されていましたが、これは「この作品は愛についても語るよー」という意思表示だと思います。

 

#Metooを牽引した女優

またエターナルズのリーダーであるエイジャックに、サルマ・ハエックが起用されたことにも注目してみましょう。

前述の通り、サルマ・ハエックは『フリーダ』というメキシコの画家フリーダ・カーロの障害を綴った作品でアカデミー主演女優賞にノミネートされています。

しかし『フリーダ』の完成には大変な苦労があった背景をご存知でしょうか。『フリーダ』の配給はミラマックス。この時点でわかる人にはわかりますが、ミラマックスはハーヴェイ・ワインスタインの会社でした。

サルマ・ハエックといえば、『デスペラード』や『ワイルド・ワイルド・ウエスト』などを代表とするセックス・シンボル的な女優。

そこに目をつけたのであろうハーヴェイ・ワインスタインは、サルマ・ハエックにセクハラを仕掛けますがサルマはこれを拒否。

腹を立てたワインスタインは『フリーダ』を潰しにかかり、サルマ・ハエックに性的な暴言を吐いたそうです。

しかしサルマ・ハエックはワインスタインの妨害に負けることなく、自信でプロデュースをしてまで『フリーダ』を完成させアカデミー主演女優賞ノミネートという、世界的に評価を得るというスカッとジャパンな結果となりました。

のちにこのエピソードは公となり、サルマ・ハエックはMeToo運動を代表する女優の一人となっていきます。

そんな彼女がエターナルズのリーダー役に起用されたのです。しかもエイジャックは原作では男性。わざわざ設定を変更までしての起用なので意味を感じざるを得ないですよね。(ちなみにマッカリも原作は男性です。)

『エターナルズ』が世の中の多様性に対して新しい風を起こしたのは明らかで、今後もMCUはそんな風を吹いていくことでしょう。

クロエ・ジャオは「風」を撮る監督だと思っていたので、偶然なのか必然なのかは定かではありませんが、ここでも作家性がマッチしているように思えました。(『ノマドランド』や『ザ・ライダー』で風を感じ取って観てください。)

この風は、いつかヌーヴェルヴァーグのように大きな波になればいいですね。

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