みなさんこんにちは!オレンチ です!
今回は実写版『アラジン』についてのお話です!
『アラジン』を無料で見たい方はこちらの記事をご覧ください。
まず単刀直入に、
ある1点は最高!!それ以外は所々モヤモヤが残る
という感想でした。
少し前にこんな記事を書きましたが…
期待通りに!ということにはなりませんでしたw
それでは順番に説明していきます。
ちなみに今回は吹き替え版での鑑賞です。
監督ガイ・リッチーについて
今回『アラジン』の監督に抜擢されたのはガイ・リッチーです。
彼は『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』や『スナッチ』などのスピード感あふれる群像劇が得意な監督です。
最近だとロバート・ダウニー・Jrの『シャーロックホームズ』などが有名ですね。
映像革命とも言えるショットの切り替えや、スローモーションの使い方に定評がある方ですが、今回の『アラジン』にもガイ・リッチーらしさが随所に現れていたと思います。
というのは冒頭の、アグラバーからジャファーのいる魔法の洞窟までを繋ぐシークエンスや、アラジンが衛兵から逃げ惑うパルクールとも言えるアクションなどなど。
アラジンがジャファーにランプを盗まれたことに気づくシーンは、『スナッチ』の名オープニングを彷彿させるシーンでした。
これが良いか悪いかといえば、とても良いですね。
なぜかといえば、
シーンの切り替えやアクションの見せ方を斬新に描けば描くほど、シーンの中心にいる人物は特別に見えてくるからです。
今回はアラジンが凄腕の盗人ということを非常によく表現できていたと思います。
薄い感情移入
今回僕が一番モヤモヤした部分ですね。
アラジンの徳
本作の冒頭にアラジンが貧しい子供達に食べ物を与えるシーンがあったかと思います。
このシーンはアニメ版にもあるシーンなんですが、映画『アラジン』の中でも1、2を争う重要なシーンなんですよ。
なぜか重要なシーンなのかというと、
あのシーンで観客はアラジンに共感を覚え、興味を持ち、応援したくなるからです。
ではなぜ、応援したくなるのでしょう?
それはアラジンが《生きるため命がけで》盗んだパンを、見ず知らずの貧しい子供に無償で与えることができる人間だからです。
つまり非常に徳のある人物であることをあのシーンで示しているんです。
本作の場合《生きるため命がけで》という部分が圧倒的に欠けていて、第一幕で印象づけるべきアラジンの徳があまりにも弱かったです。
勘違いしないでいただきたいのは、《アニメ版と違うから悪だ!》と言っているのではなく、単純にアラジンというキャラクターを観客に共感させる演出が弱いと思っています。
僕を信じて
アラジンとジャスミンを繋ぐ素敵な言葉がこの「僕を信じて」ですよね。
ジャスミンがアラジンに心から身を預けた時にかけられた言葉であり、彼のことを心の奥で覚えている魔法を超えた言葉です。
こちらに関してもやっぱり印象付けが弱いです。
というのは本作の場合、出会ってすぐにこの言葉が使われます。
まだ2人の間に信頼関係があるかどうかもわからない状況でです。
少なくとも観客には絶対に2人の信頼関係は伝わりませんよね。
それでいて信じるべきかどうか天秤にかけられているものは、なんだかよくわからないブレスレットなんですよ。
後に母親の形見だということが明かされますが、あの時点でそれを知っているのはジャスミンだけであり、それでは観客は印象に残らないと思うんです。
表情こそ大切なホール・ニュー・ワールド
僕が本作で最もモヤモヤしたシーン。それがホール・ニュー・ワールドのシーンです。
吹き替えで聞いても歌詞は良いし、メロディは言わずもがな素晴らしいです。
ではなぜ一番モヤモヤしてしまったのでしょうか。
それは、
アラジンとジャスミンの表情がほとんど見えないからです。
どんなに良い歌詞でも、どんなに良いメロディでも─。映画である以上、そのシーンにつながる《物語の流れ》があります。
どのような想いで主人公たちがその曲を歌っているのか、それを表現できるのは歌っている時の表情なんです。
アニメ版をぜひ見ていただきたいのですが、空飛ぶ絨毯でロマンチックに夜のアグラバーを飛んではいますが、大切な場面では夜景が見えないほど2人の表情にフォーカスされています。
また、『グレイテスト・ショーマン』を見てもらってもわかるかと思いますが、あらゆる曲でいろんな表情が見えます。
時に泣いていたり、眩しい笑顔を見せていたり、時には自分自身を鼓舞していたり。
歌詞とメロディと表情のアンサンブルが良きミュージカルを作るのだと僕は思います。
歌い手の感情さえ伝わってくれば、ロケーションはどこだっていいんです。
それを証明してくれたのが、『グレイテスト・ショーマン』のワークショップの一場面です。キアラ・セトルの表情が見る見る変わっていくことに注目してご覧ください。
ジーニーの失敗ついて
今回のジーニーについて僕は圧倒的に失敗だと思っています。
なぜでしょうか?ウィル・スミスだからでしょうか?
それは違います。
一番最初にランプから出てきた青いウィル・スミスを劇場で見たときは、
「あーやっぱりウィル・スミスっぽさが出ちゃっててダメなのかな〜」
なんて思ったりしましたが、すぐにそうではないことに気づきました。
本作のやり方では、誰でやっても失敗すると思います。
なぜなのかを順番に説明していきますね。
今回の青いジーニーはかなりCGで加工されていたかと思います。
あの加工が何をもたらしたかと言えば、非人間的な違和感です。
古くは映画版の『ファイナルファンタジー』やロバート・ゼメキスの『ポーラーエクスプレス』。
最近では『ローグ・ワン』のレイア姫なども同じような加工がされていて、何処と無くCGっぽさが残る違和感を与えます。
こういった違和感を業界では《不気味の谷》と呼ぶのですが、この《不気味の谷》を逆手に取り上手く使ったのがMCUのポール・ペタニー演じるヴィジョンなんです。
つまりヴィジョンは《不気味の谷》を利用することで人間らしさを削ぎ落とし、ヴィジョンらしさ溢れるキャラクターを作り出していたんですね。
ではジーニーから人間らしさをそぎ落として良いかと言えば圧倒的に否ですよね。
絵的に考えたらヴィジョンがジーニーっぽく悪ふざけをしているようなもので、そんなジーニーを見ていても楽しいわけないし、ただこっちが恥ずかしくなるだけです。
なのでウィル・スミスが加工なしで演じていた人間版ジーニーは軒並み素晴らしかったです。
ジーニーというキャラクターに、ウィル・スミスらしさ溢れる皮肉さを加算されどこシーンのやりとりも非常に楽しかったです。
名曲『スピーチレス』とジャスミン
今回最も期待していた点がベンジ・パセクとジャスティン・ポールが作詞に参加しているということです。
結果的にも僕にとって、タイトルでも言ったような最高な部分となりました。
前述した通り全体的に感情移入が薄い作品だとは思いますが、ジャスミンの葛藤だけは濃いめに描かれていたと思います。
その葛藤を爆発させ、心の殻を破る瞬間に流れる『スピーチレス』とジャスミンの表情がたまらなく良いです。
ぶっちゃけあのシーンだけで泣きました。歌詞と木下春香さんの歌唱力に当てられてしまいました。
もともとどの曲をパセク&ポールが手がけているのか知らずに観にいったのですが、曲が流れた瞬間、
「あーこの曲だわ」
と一瞬でビビっときました。(スピーチレスパート1のまだ葛藤が残っている時)
これは是非是非、字幕版でも聞いてみたいです。
ちなみにですが、山寺宏一さんが歌う『アラジン』シリーズではお馴染み『アラビアンナイト』も素晴らしかったですよ。
というか楽曲は軒並み良かった印象でした。
終わりに
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!
映画は何度も何度も見て、己の正しい感想にたどり着くものだと思っています。
手元に『アラジン』がやってきたらいろんなバージョンで鑑賞しようと思っています。
その時にまた追記をしようかなと。
発売やレンタル開始後にもう一度訪れていただけるとまた嬉しいです!
それではまた!