オレンチ
こんにちは!オレンチです!
今回は『スターウォーズ:エピソード8 最後のジェダイ』(以下『最後のジェダイ』)について書いていこうと思います。
ちなみにこの記事は『最後のジェダイ』の公開当時、某映画レビューアプリに投稿した内容を大きくリライトして執筆しています。
つまり「『最後のジェダイ』レビュー特別編」ということになります。笑
最初にお断りしておくと、否定的な内容が多く見られるかと思いますので、ネガティブな意見に耐えかねる方はこの先読みすすめることをお控えください。
それ以外の方はどうかお気を悪くすることなく最後までお付き合い頂けたら幸いです。
それでは作品の紹介をした後、感想へと入っていきます。
目次
作品情報
- 原題:Star Wars: The Last Jedi
- 制作:2017年/アメリカ
- 上映時間:152分
あらすじ/予告編
伝説のジェダイの騎士ルーク・スカイウォーカーを捜し当てた主人公レイがたどる、新たな物語が描かれる。最高指導者スノークが率い、ハン・ソロとレイア・オーガナの息子で祖父ダース・ベイダーからダークサイドの力を受け継いだカイロ・レンを擁する帝国軍残党ファースト・オーダーは、レイアの下に集ったレジスタンスと激しく交戦。レジスタンスは徐々に追い詰められていく。一方、水の惑星オク=トーの孤島で隠遁生活を送っていた伝説のジェダイ、ルーク・スカイウォーカーを捜し当てたレイだったが、ルークはレイを拒絶し、島を去るように告げる。なんとかルークの力を借りたいレイは説得を続けるが……。
(映画.comより)
監督・スタッフ
- 監督:ライアン・ジョンソン
- 制作:キャスリーン・ケネディ
- 製作総指揮:J・J・エイブラムス
- 脚本:ライアン・ジョンソン
- 撮影スティーブ・イェドリン
- 編集:ボブ・ダクセイ
監督は『LOOPER/ルーパー』で一躍知名度を上げたライアン・ジョンソン。まだキャリアが浅いながらも世紀の重要作へ大抜擢されました。
プロデューサー(制作)はスティーブン・スピルバーグやロバート・ゼメキスの作品など多くの有名作を手掛けているキャスリーン・ケネディ。『スターウォーズ』映画にはルーカスフィルムがディズニーに買収された後の『フォースの覚醒』から携わっています。現ルーカスフィルムの社長。
キャスト
- レイ:デイジー・リドリー
- フィン:ジョン・ボイエガ
- カイロ・レン:アダム・ドライバー
- ポー・ダメロン:オスカー・アイザック
- ルーク・スカイウォーカー:マーク・ハミル
- レイア・オーガナ:キャリー・フィッシャー
- マズ・カナタ:ルピタ・ニョンゴ
- スノーク最高指導者:アンディ・サーキス
- ハックス将軍:ドーナル・グリーソン
- C-3PO:アンソニー・ダニエルズ
- キャプテン・ファズマ:グウェンドリン・クリスティ
- ローズ・ティコ:ケリー・マリー・トラン
- ホルド提督:ローラ・ダン
- DJ:ベニチオ・デル・トロ
- チューバッカ:ヨーナス・スオタモ
主演は『フォースの覚醒』で知名度を上げたデイジー・リドリー、
さらに『アタック・ザ・ブロック』『デトロイト』『パシフィック・リム:アップライジング』などのジョン・ボイエガ、
さらに『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』や『エクス・マキナ』のオスカー・アイザックが続投。
悪役のカイロ・レンに『ローガン・ラッキー』『パターソン』『ブラック・クランズマン』などのアダム・ドライバーも続投しています。
また約40年ぶりにルーク・スカイウォーカー役として(『フォースの覚醒』でも一瞬出演)出演を果たしたマーク・ハミルや、前作同様レイア・オーガナ役にキャリー・フィッシャーも参加。残念ながらキャリー・フィッシャーは本作の完成後この世を去ってしまいました。
さらに人気海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』からキャプテン・ファズマ役としてグウェリドリン・クリスティも続投し、ベニチオ・デル・トロやローラ・ダンといった新キャストも多く出演しています。
感想
まずは誠に勝手ながら0.5刻みの5段階で僕の満足度を表すと・・・
[jinstar2.0 color=”#ffc32c” size=”50px”]2.0といった感じ!
以下、公開当時の率直な思いを抜粋します。
鑑賞から数日が経ちました。
自分の中の気持ちを色々と整理し、率直な感想を言うのであれば、お世辞にも最高だったとは言えない。
そんな気持ちでいっぱいです。
確かに、後半に向かうにつれて熱い展開・熱いシーンは数多にあります。往年のファンである以上、興奮をせざるを得ないでしょう。
ただそれは一瞬の興奮にすぎず、至るまでのプロセスにあまりにも違和感が多すぎです。
熱いシーンの瞬間を一枚のポスターとして収めるのであれば、最高のポスター!と言えるでしょうが、ストーリーという展開がある映画である以上、僕は最高とは言えません。
結局スタッフロールの後、一緒に鑑賞した人に初めてかけた言葉は「もっと短くできるよね」という言葉でした。
オープニングクロールの役割
まずはじめに触れなくてはならないのは、ラジオ番組『タマフル』の中でラッパーで映画評論家のライムスター宇多丸さんが語っていたり、著書『スターウォーズ 禁断の真実』の中で高橋ヨシキさんがおっしゃっている通り、オープニングクロールの問題点です。
いわゆる「正史<カノン>」ではお馴染みのオープニングで、前作とこれから始まる物語の穴を埋める超短編小説のような役割を担っています。
僕を含め多くのスターウォーズファンがそうだと思いますが、オープニングクロールによってこれから始まる物語のスタート地点に立てるのと同時に、前作からスタート地点に至るまで「遠い昔の遥か彼方の銀河系にどのような変化があったのか」という新情報をもたらす─、スターウォーズにおける期待感のファーストポイントなんです。
これによって時の流れを感じ、キャラクターは一皮むけ、遥か彼方の銀河系に広がりと現実味をもたらし、この物語が神話もしくは伝説たらしめてくれるものだと思います。
では『最後のジェダイ』の場合どうだったかのでしょうか。
お馴染み壮大なファンファーレと共に「STARWARS」のデカデカとした文字が現れ、オープニングクロールが始まります。
期待感に胸を躍らせながら読み進めていくうちに喪失感にも似た違和感が僕を襲いました。
「全部知ってる・・・」
そうなんです。『最後のジェダイ』で流れるオープニングクロールの殆どが『フォースの覚醒』のおさらいなんです。
要するにスターウォーズにおいて最も意味のないオープニングクロールであり、なんの機能も果たしてないのです。
まるで海外ドラマにおける「前回までの・・・」のようであり、「前作を見てない人の為のもの。」というのであれば、1977年に公開された第一作の『新たなる希望』にオープニングクロールは不要なはずです。
にもかかわらず全ての「正史<カノン>」で伝統的に受け継がれているということは、前述したとおり伝説たらしめてくれる効果があるはずなのです。
海外ドラマ的「クリフハンガー」
「正史<カノン>」においてド直結な作り方はダメゼッタイ!だという大きな教訓になったわけですが、この戦犯はライアン・ジョンソンというより、『フォースの覚醒』を作ったJ・J・エイブラムスにあるかと思います。
J・J・エイブラムスは今では21世紀を代表する著名な映画監督として確固たる地位を築いていますが、元は海外ドラマ─、もっと言えば『LOST』で名を挙げた監督です。
海外ドラマのセオリーとして物語中最も盛り上がったタイミングで終了し、次作へ興味をそそらせる「クリフハンガー」という手法があります。
『LOST』もまさに毎話、さらには毎シーズン決まって「クリフハンガー」で終わり、視聴者を獲得してきた作品です。
ここでスターウォーズに話を戻すと、『帝国の逆襲』と『フォースの覚醒』はまさに「クリフハンガー」で終わった作品です。
しかしこの両者には決定的な違いがあると僕は考えます。
それというのも『帝国の逆襲』にはインターバルを置く余地がありました。
ルークはベイダーに破れ、ソロはカーボン冷凍されたまま連れさらわれてしまいましたが、危機が迫るような、もしくはすぐにでも答えが求められる状況ではなかったはずです。(ベイダーからは逃げ切り、ソロは今すぐ助け出さないと死んでしまうわけでないため。)
しかし『フォースの覚醒』の場合はどうでしょうか。
レイらレジスタンスがやっとの思いでルーク・スカイウォーカーを見つけ出し、対峙したシーンで幕を下ろします。
このとき『フォースの覚醒』の中で物語の推進力として機能していた、ルークが消えた意味については正確な答えはでないままです。(カイロ・レンの闇落ちに耐えかねてといった言及はあるが)
「ルークがレイの修行を拒否する」ということを前提に考えると、『フォースの覚醒』のラストカットと『最後のジェダイ』のルークが登場するファーストカットは繋げざるを得ないと思えるのです。
もちろん後で回想としてという手法も可能だと思いますが。
相反する同時進行型ストーリー
『最後のジェダイ』最大の問題点だと思うのが「ファースト・オーダーの追ってを限られた物資の中で振り切らんとするレジスタンスの逃走劇」というメインとなっているプロットです。
「正史<カノン>」ではそのほとんどが、メインの登場人物たちをそれぞれ起点とした同時進行型のストーリーとして語られます。
これはジョージ・ルーカスがこの手法で『アメリカン・グラフィティ』を成功させたため、『スターウォーズ』にもお馴染みとなりました。
基本的には同じ時間軸で物語が展開され、ネガティブならどの起点もネガティブ、ポジティブならどの起点もポジティブといったように、場の状況も共有するのが特徴です。
特に『エピソード1:ファントム・メナス』のクライマックスでは同時進行型ストーリーが顕著に現れています。
[box04 title=”以下のグループに分かれる”]- :オビワン&クワイガンVSダース・モール
- :ナブー軍VS通商連合(地上)
- :ナブー軍VS通商連合(宇宙)
- [/box04]
前述の通り『最後のジェダイ』のメインプロットは「ファースト・オーダーの追ってを限られた物資の中で振り切らんとするレジスタンスの逃走劇」ということが言えると思いますが、このメインプロットが観客にもたらす効果は、逃げ切れるのか否かという〈スリル〉です。
特に〈限られた〉という点が重要で、物語の中に一種のタイムリミットのようなものが生まれ、緊張感を維持することで成立する形のプロットなのです。
本作の場合〈燃料切れ〉という明確なタイムリミットが示されているため、これがセットアップされた時点で緊張感が保たれなければたちまち違和感へと変わってしまいます。
その証拠にセットアップのタイミングでは非常事態感が演出されており、一定の間隔で宇宙船が一つまた一つと撃沈していくシーンがあります。
これと同時進行で描かれるの物語がレイの〈修行〉という、じっくりと人間関係を描くべきプロットです。
実際に物語の中で月日が流れた演出が必要というわけではなく、修行の途中で何かが起こり投げ出してしまう展開は一向に構わないのですが、少なくとも「ファースト・オーダーとレジスタンス」側に要求される緊張感、スリルといった感覚は〈修行〉というパートには一切不要だと思います。
要するに両者のプロットは相反しており、同じ作品上で同時に成り立ち得ないんです。
特にタイムリミットという状況が設定されてしまった時点で、かなり成約が発生してしまっているはずです。
そもそも「正史<カノン>」でタイムリミット型の物語自体どうかと思っていますが、その点を言及するのはやめておきます。(好みの問題なので)
破綻する緊張感
「ファースト・オーダーとレジスタンス」のメインプロットにフォーカスして見てもやはり納得できない部分が多いです。
刻一刻と迫る〈燃料切れ〉を打破するため、解決策を提示しなければなりません。観客はこの解決策に希望を見いだし、さらなるスリルを得るのです。
では『最後のジェダイ』の解決策をようやくすると、「追ってきているファーストオーダーのスターデストロイヤーを追跡不可にするため、鍵破りのスペシャリストを別の星に探しに行く。」です。
ポー・ダメロン達は「その手があったか!」と言わんばかりに希望を見いだし、秘密作戦と称して行動にでますが、何度鑑賞してもこの解決策には違和感を感じざるを得ません。
追手の目を盗んで敵艦隊に潜入するだけでなく、一旦別の星を中継し戻ってくると彼らは言っているのです。
この時点で追手から逃げる事が可能(一部だけでも)ということを提示してしまっているのです。要するにフィン、ローズ、BB-8はスリルの内側から外側へ脱出してしまいます。
こうなるとたちまち観客の緊張感も途切れてしまいます。
スターウォーズにはフォースを筆頭に、ワープ航法や牽引ビームなどこの銀河にしか無いテクノロジーが存在し、その多くは説明無しに語られてきましたし、その多くを我々はさも当然のように飲み込んでいました。
「フィン達が脱出ポットなら追ってを振り切れる」という事実もこの銀河では常識なのかもしれませんが、〈映画〉としてスリルをと切らせてしまうという結果は別の問題だと感じました。
無となった史上最大の約作り
個人的な感情が大いに含まれていますが、約40年ぶりの登場にも関わらず本気でふさぎ込んでいるルーク・スカイウォーカーの姿はやはり見たくなかったです。
なにか理由があってジェダイの寺院に隠居していたのかと思いきや、「ジェダイ最古の書物」さえ目を通していない始末です。ほんとにそこで只々暮らしとっただけなのかと。
レイの修行を拒み続け、ようやく稽古をつける気になったかと思えば、レイの闇落ちを感じ早々に中断し、レイは去っていってしまいます。
そこからラストの決闘シーンです。クローズアップショットでルークに「まだジェダイはいる」と言わせるほどレイはルークの目に輝いて見えたのでしょうか。
結局ルークはレイに何か教えれたんでしょうか。
少なくとも僕には何一つ意味があった修行には思えませんでした。
名台詞・名シーンというのは、その瞬間で成り立っているわけではありません。
その一瞬までの積み重ねこそが大切なんです。そう鑑みてみると、これっぽっちも名台詞に感じません。レイにショットが移ったので、「あー、レイのことか。」って思ったくらいです。
さらにスノーク最高指導者の立ち位置についても、あまりに雑な気がします。
勘違いしないで欲しいのは、スノークがカイロ・レンによって殺されること自体は反対していないし、むしろ本作のテーマ上として考えれば絶対に必要なことだと思います。
しかし『ジェダイの帰還』によってもたらされた平和を脅かし、ルーク・スカイウォーカーを腐らせ隠居させた張本人が何処の誰だかわからないまま散っていくのはあまりにも腹落ちが良くないです。
バックヤードが難しいキャラクターだということは重々承知しているのですが・・・。
マーク・ハミルという俳優さんが、40年という月日をかけてジェダイマスターとしての貫禄を磨き上げた、いわば究極の役作りを隠居という形で迎え入れた脚本に悲しみを感じざるを得ませんでした。
メンターの不在
さらに問題なのは、本作にメンターが不在だということです。エピソード1にはクワイガンが、エピソード4にはオビワンが、エピソード5にはヨーダがメンターとして存在していました。
本作の場合その役を担うのは、エピソード6でメンターへと昇華したルーク・スカイウォーカーのはずだったんです。しかし前述のとおり、腐り、塞ぎ込み、隠居する始末でルークにこそメンターが必要な状況でした。そこで結局現れたのがヨーダでしたね。
唯一メンター的な立ち位置だったレイア・オーガナのまた開始早々に昏睡状態に陥ってしまいます。
『帝国の逆襲』との共通点と違い
シークエル(エピソード7~9)に限らずプリクエル(エピソード1~3)にも言えることなのですが、今の所スターウォーズはオリジナル(エピソード4~6)の展開を踏襲した形で作られています。
いずれもエピソード1とエピソード4、エピソード7とエピソード4。エピソード2とエピソード5といったように、エピソード5とエピソード8、つまり『帝国の逆襲』と『最後のジェダイ』も多くの共通点があります。
例えば冒頭のファースト・オーダーにレジスタンスの基地を奇襲される展開と、基地を捨て脱出する展開。
レイとルークの修行はルークとヨーダの修行を彷彿させますし、フィンとローズのロマンスは、ハンとレイアのロマンスと対を成しています。
クライマックスで訪れる石の惑星クレイトの塩は惑星ホスの雪を連想させますし、塹壕で敵を迎え入れるショットは左右対称というだけでほぼ『帝国の逆襲』の模写です。(ちなみにここで『ローグ・ワン』の監督ギャレス・エドワーズがカメオ出演しています。)
ファースト・オーダーの兵器はAT-M6はAT-ATの進化系だし、スキースピーダーはやはりスピーダーを彷彿させます。
ここで一つ疑問が浮かびます。お気づきの方も多いかと思いますが、『帝国の逆襲』も同時進行型ストーリーとして破綻しているのではないかという疑問です。
しかし、『帝国の逆襲』と『最後のジェダイ』では明確な違いがあります。
確かにハン・ソロ、チューイ、レイア姫は帝国の追ってを振り切ることに必死でハイパースペースが利用できないという危機的状況ではありますが、『最後のジェダイ』のように明確なタイムリミットは切られていないんです。
帝国側も必死に探しているという状況なので、やろうと思えばのらりくらりと展開を伸ばすことは十分に可能です。
やはり両者のこの違いは大きく思います。
ファンとして、監督として
ライアン・ジョンソンは本作を制作するに当たり「ファンとして見たいものを作った。」と語っています。
この〈ファンとして〉という姿勢には大きな危険をはらんでいると思えるのです。
たしかに世界で最もファンの多い作品であり、その心を掴むことは重要であり、ファンだからこそわかる〈仕掛け〉は高揚感を生みます。
しかし悪く言えばファンへの〈目配せ〉に偏りすぎてしまうと、重要なシーンに至るまでのプロセスがおなざりになってしまう場合があります。
『最後のジェダイ』でそのことが最も顕著に出てしまったショットはエンディング間近に訪れる、ルークが夕日を眺めるシーンでしょう。
このシーンは『最後のジェダイ』を含め「正史<カノン>」の全てを鑑賞していれば否が応でも感極まるショットかと思います。
というのは『新たなる希望』と『シスの復讐』で同様のショットがあり、その両者ともに映像によって観客に語りかけてくるショットだからです。
『新たなる希望』では、田舎でくすぶっている少年が世界へ飛び出すことを夢見ていることを語りかけるショットであり、『シスの復讐』では来たる暗黒の時代を終わらせられる唯一の存在に希望を込めるショットです。(夕日を眺めているのは、オーウェン・ラーズとベル・ラーズのため、彼らがそのような思いを馳せていたかは定かではないが)
これらと比べると『最後のジェダイ』で眺める夕日のショットはあまりに弱いと感じるのです。
前述した内容ともかぶるのですが、ルークはふさぎ込んでおり、レイとの信頼関係も満足に得られているように読み取れませんでした。
ルークが登場するならみんなあのショットが見たいだろう!という浅はかな理由のように僕には感じてしまうのです。
最後はポジティブに
ここまでネガティブな意見を淡々と書いてきましたが、『スターウォーズ』の一部として絶対に嫌いになれない作品であり、胸踊らせたシーンがあったことも確かです。
最後はポジティブに終わりたいこともあり、公開直後、某レビューアプリに投下した内容をそのまま上げて終わりとします。
とまぁ熱くなってしまいボロクソに言ってしまいましたが、やっぱり後半の燃えるシーンには心踊らざるを得ないですね。
まず、カイロ・レンとレイの共闘シーン、あそこはやっぱりいいっすね。
青のライトセーバーと赤のライトセーバーが背中を預け合う…!
言葉にしただけで燃えてきますね。
新しいロイヤルガード達も良かったし二人をど真ん中に捉えたシーンが最高でした。
と、同時に『カイロ・レン…仲間……!?』という究極の嫌な予感が頭をよぎりましたが、あいつに野心があって良かったーーー!と安堵しました。
絶対ないとわかっているけど、もしあそこで仲間になっていたら……。考えるだけでもゾッとしますね。
あと、チューイ!チューイいいっすねー!
ソロが居なくなってしまってから先頭に立ってファルコン号を切り盛りする感じ…泣けてきますね。お前ほんと頼りになるなぁ…と。
クライマックスでのヒロイックな登場ヤバかったです。EP7からのチューイは本当にキャラが立っていると思います。
最後にEP7でおそらくクレームを受けたのであろうあの問題。
そう、ファズマ問題です。
僕、予告編など一切シャットアウトして鑑賞に望んだんですが、劇場でね、ポスターを見たんですよ。
その時ね、一緒にいた弟に漏らした言葉がね。
『あ…ファズマいる…!』
EP7の宣伝時と本編でのギャップ、さらに特別版パンフの顔までやっておいて…ということで絶対クレームあったんだと思います。笑
で、今回はキッチリと決着をつけてくれましたね!
ファズマもメチャクチャかっこいいんですがここでのフィンがまた最高ですよね!
元々は顔も晒すことさえなかった一兵隊が、ヒーローに昇華した瞬間ですよね。
最後のジェダイの中で一番好きなシーンです。
でね、ファズマの目がね…目が見えたあの瞬間ね…。
ブライエ……違っ、ファズマーーーーー!ってなるっしょ!
とまぁ色々といってきましたが、目頭が熱くなったり、脳内爆発しそうなほど興奮したのも事実であり、絶対に嫌いにはなれない作品です。
ダークサイドなりの世代交代を遂げたカイロ・レン、レイアがポーにレジスタンスを託した瞬間、そして我らが最後のジェダイであろうレイ。
新しいスターウォーズに向かい賽は投げられました。
エピソード9、どんな展開になるのかっ!楽しみです!!!!!!!
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