ポットキャスト始めました!

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』解説ネタバレ感想・伏線・考察【評価】

オレンチ
オレンチ

はじめまして!オレンチと申します。

今回は2014年に公開されたマーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)の10作目──『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』についてお話しをしていきます。

今回、この記事を書いている背景としては、インスタグラムのフォロワーさんからポットキャストのリクエストをいただき、その原稿に近い形で執筆しています。

リクエストどうもありがとうございます。軽いノリで全然構わないので、オレンチに語らせたい映画などありましたらぜひぜひお願いいたします。

というわけで余談はこのくらいにして、早速本題へ!

注意

この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のネタバレ感想・解説・考察

MCUへ純度100%のスペースオペラ現る

前述通りMCUの10作目として封切られた『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』ですが、今思えばMCUとして非常にギャンブルに近い作品だったように思えます。

というのも監督のジェームズ・ガンですら、映画化の話が上がるまで原作の存在を知らなかったそうです。

そもそもジェームズ・ガン自体がお世辞にも名の売れた監督というわけではありませんでしたし、主演のクリス・プラットも同様にスターとは程遠い存在。しかも当時のクリス・プラットは肥満体型(別の撮影のため)で、ジェームズ・ガンは却下する予定だったみたいです。

しかし封切られた後の知名度はご存じのとおりで、MCUの中でも1、2を誇る人気シリーズとなりました。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』が代表するように、MCUは常に新進気鋭な映画監督を起用し、世界観に新しい風を吹かせてきた映画シリーズで、その”見る目の高さ”が間違いなくシリーズを支えていると言えるでしょう。

個人的な経験を語ると『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』と『猿の惑星:新世紀』を二本立てで劇場鑑賞したのですが、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』が面白すぎて、『猿の惑星:新世紀』の内容が吹っ飛んでしまうほど衝撃をうけた覚えがあります。

オレンチ
オレンチ

『猿の惑星:新世紀』も監督交代のドタバタ劇で時間のない中、映画を成立させた素晴らしい作品ですw

とにかく『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の何がそんなに面白かったのかと言えば、『スター・ウォーズ』以来と言っても過言ではない、純度100%のスペースオペラだったという点が、大きな理由の一つだと思います。

純度100%のスペースオペラとは

そんな『スター・ウォーズ』以来の衝撃を与えた『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』ですが、一体どんなところが純度100%のスペースオペラだったのでしょうか。

端的に言えばスペースオペラで出来る面白いことを1本にギュッと凝縮させたのが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』だったと感じています。

例えばマーベルロゴ後のファーストシーンは、このシーンだけでもスペースオペラ味の面白さがパンパンに詰まっています。

まず舞台となるのは惑星モラグという文明が失われた惑星。

この惑星を宇宙レベルのロングショットで惑星全体を画角に捉えたショットから始まりますが、まさにスペースオペラならではのエスタブリッシングショットでした。

さらに惑星モラグに降りてからは、失われて入るものの、地球外惑星の発展した文明を見ることができ、これもスペースオペラ的な面白さに繋がります。

またオーブの探索をしに失われた文明を探索するという動機は『インディ・ジョーンズ』のような期待感も与えてくれていて、この手の作品が好きな観客にとって”ワクワク感”はピークに近かったと思います。

そしてスペースオペラとしては絶対に欠かせないのが、地球外惑星との文化交流なんですが、ジャイモン・フンスー演じるコラス・ザ・パーサーや、クイルのミラノ号で寝ていた異星人の女性から感じ取ることができたと思います。

その後はモラグ星、ザンダー星、ノーウェアなどなど、さまざま惑星や衛星をまたぐ冒険活劇となっていて、そういうところからも「これぞスペースオペラ!」という感覚を味わうことができました。

ただ過去のスペースオペラを単純になぞったというわけではなく、新しい試みもしています。

これまでのスペースオペラは極力色味が抑えられていて、映画全体的にくすんだような地味な色味の印象が強かったんです。対する『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はアンチテーゼ的にビビットでカラフルな色彩を積極的に組み込んでいます。

映画を一度見れば感じるかと思いますが、肌の色を始め、宇宙船や装備など至る所で、赤なら赤、青なら青、黄色なら黄色と言うように、色の数値がMAXまで振り切られたかのような原色に近い色が使われています。

さらに注目して欲しいのが背景色です。

『スター・ウォーズ』の宇宙と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の宇宙を比較してもらうとわかりやすいのですが、『スター・ウォーズ』の宇宙が黒と白の2色なのに対し、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の宇宙は様々な色のグラデーションになっていることに驚くはずです。

このように『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は原色に近いカラフルな色味を多用することによって、一目見れば『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の宇宙だとわかるように視覚的に刻印したのでした。

情報整理が完璧な第一幕

このように第一幕においては「これはMCUのスペースオペラだ!」という情報をギュッと詰め込みつつ、さらにどんな物語になるのかという情報も同時に華麗に説明されているんです。

例えばモラグを飛び立った後ですぐにヨンドゥを紹介し、続くザンダー星ではドラックス・ザ・デストロイヤーを除くすべてのガーディアンズを紹介しています。

オレンチ
オレンチ

ヨンドゥの通信をとってしまうのが、ワンナイトの女性だった流れもすごく自然ですよね!

特にザンダー星でのまとまりは尋常じゃなく整理されていて、自分でも感知できないくらい自然に物語に引き込まれていきます。

というのもガーディアンズの紹介を、メンバーのケンカとして選択したのがとても秀逸でした。

メンバーをそれぞれ戦わせることによって、それぞれの個性は際立ちますし、みんな腕は立つけど一人では何処か欠けているという印象を与えます。

その後ザンダーのノヴァ軍に身柄を拘束され、一人一人の情報がノヴァ軍へ説明される皮を被り、観客へと伝えられるんです。

つまりまずは動的にメンバーを紹介し、直感的に印象を与えた後で、すぐに静的にメンバーの詳細を説明しているのです。主要キャラクターが多いにも関わらず、一人の魅力も溢すことなく観客に提示する教科書的な第一幕だったと思います。

監獄はSF作品にけるアイディアの宝庫

さてノヴァ軍によってキルン刑務所へと送られてしまったガーディアンズ一向。

刑務所というのはスペースオペラや宇宙を舞台にしたSF作品において、その世界観の魅力を語るのに非常に有効なツールだと思うのです。

例えば『エイリアン3』は惑星を丸ごと刑務所にしたフィオリーナ161が舞台でしたし、『リディック』では昼間は地表が灼熱地獄になる惑星クリマトリアに収監されたり、宇宙ステーションがそのまま監獄となっているMS-1が舞台の『ロックアウト』なんて映画もありました。

このようにスペースオペラをはじめとする宇宙を舞台にしたSF作品における《刑務所》には、人をその場から絶対に逃さないというテクノロジーと、絶対に送還されたくないという場所という作り手側の意地の悪さとも言えるアイディアが詰まってるんです。

オレンチ
オレンチ

テクノロジーだけで言えば、『スター・ウォーズ』のカーボン冷凍も似たような意地の悪さ(褒めてる)を感じますよねw

そんなSF映画における刑務所の仲間入りを果たしたのが、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のキルン刑務所です。

キルン刑務所は宇宙空間にポツンと浮かぶ、大型宇宙ステーションによる刑務所で、いわばSF作品におけるアルカトラズのような存在。(立ち位置的には『ロックアウト』のMS-1にいていますね)

普通では不可能とも思えるこの刑務所からの脱出が、ガーディアンズが初めて力を合わせて解決させたミッションで、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』にとっても非常に重要な役割を果たしてくれていました。

脱出劇が始まる直前、ロケットの作戦説明と、背景でグルートが取っている行動のギャップにコメディが効いていて、本作におけるリズム・テンション・トーンのようなものが決定づけられている気がします。

また常に観客の予想を裏切りたいジェームズ・ガンらしさがよく表れているシーンでもありますね。

そんなケルンでのアクションは『ジョン・ウィック:コンセクエンス』評の中で語った三次元アクションと二次元アクションを観ることが出来ます。

ロケットとグルートのガンアクションは中距離・遠距離で真価を発揮するタイプのアクションなため、三次元的な構図と配置でアクションシーンが構築されています。

翻ってガモーラの格闘アクションは俳優の手足の動きと立ち位置がとても重要なので、二次元的な構図と配置でアクションシーンが構築されているんです。

そんな映画作りの上手さも凝縮されているようなケルン刑務所ですが、ここにはジェームズ・ガンの師とも言えるトロマ映画の創始者、ロイド・カウフマンもカメオ出演しているので、ぜひチェックしてみてください。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』におけるユーモアの源泉

さて続いては多くの人の心を掴んだ『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のユーモアについて深掘りしてみようと思います。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』がなぜ多くの人の心を掴んだのかを考えると、作品から滲み出る”和気藹々”とした雰囲気が大きな役割を担っているように感じます。

しかも本作から滲み出る”和気藹々”は、作劇上のものではなく、本物だということが多くの人の心を掴んだ理由でしょう。

例えばヨンドゥ役のマイケル・ルーカーは必ずと言っていいほどジェームズ・ガン作品に出演しているほど親交が深いことで有名ですが、ジェームズ・ガンはそんなマイケル・ルーカーのことを「50歳の親父の体を持つ3歳児」と呼びます。

ヨンドゥはマイケル・ルーカーの性格を踏襲して書いたキャラクターで、ザンダー星のブローカー(クリストファー・フェアバンク)とのやりとりは、現実のマイケル・ルーカーそのものだそうです。

またイギリスに住んでいたジェームズ・ガン&ショーン・ガン宅へ訪れたクリス・プラットは、結局隣の部屋を借りて、ほとんど一緒に住んでいるような状態になっていたのだとか。

クリス・プラットが中指を立てるシーンをはじめとする本作におけるギャクは、ほぼクリス・プラットとジェームズ・ガンが休憩時間に考え出したものだそうです。

また、コレクターの館でピーター・クイルがオーブを落としかけてしまうシーンがありますが、あれは本当にハプニングだそうでクリス・プラットが機転を利かしてあのような演技になったそうです。

クリス・プラットのユーモアに気づいていたジェームズ・ガンは、この作品でかなりリスキーだったラストのダンスバトルシーンをクリス・プラットに託すことにしたそうです。

結果はご覧の通り最高の本作らしさでしたよね。ちなみにガモーラを誘うのはアドリブだそうです笑。

また、ピーター・クイルが70年代〜80年代の地球カルチャー(『フットルース』や本作のMixなど)をガーディアンズたちに語ることで、まるでタイムスリップ映画におけるカルチャーショック的面白さもありますね。

ヒーロー映画に必要な要素も踏襲

さてスペースオペラとは言ったものの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はMCUを代表するヒーロー映画です。そんなヒーロー映画に必要なものも実はしっかりと踏襲されているんです。

スーパーパワーは持っていないと言っても本作は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの第1作目であり、ヒーロー映画における第1作目はヒーローのオリジンを描くことが定石です。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』におけるオリジンとは何か。

それはチームの団結です。

つまり団結力こそガーディアンズのスーパーパワーなんですね。

先ほどから何度か語っていますが、最初のザンダー星ではメンバーのケンカから始まり、一人一人では何かが欠けていることを印象付けられていました。

『アイアンマン』に見立ててみれば洞穴に捉えられたあたりで、ライミ版の『スパイダーマン』に見立てればスクールバスにでさえ乗れない鬱屈した日常というあたりでしょう。

続くケルン刑務所では初めてガーディアンズが団結して脱獄を成功させることから、彼らが初めてスーパーパワーを持ったあたりとして観ることが出来ます。

『アイアンマン』に見立てるとプロトタイプスーツが完成したあたりで、ライミ版の『スパイダーマン』に見立てると蜘蛛に噛まれて自分の特殊能力に気づくあたりかなと思います。

そしてノーウェアで一度挫折(ガモーラの瀕死や、ドラックスの失敗など)を経験し、ザンダー星に戻り、人々を救うことで真のヒーローとなるオリジンが描かれているんです。

さらにヒーロー映画に絶対に必要な要素として人命救助をライムスターの宇多丸氏が挙げていますが、ザンダー星の人々を救う流れはまさにヒーローらしさあふれる人命救助だったと思います。

ヨンドゥとマカロニ・ウェスタン

銀河を守るため、ザンダー星に戻ってきたガーディアンズ一向。ロナン軍と激しい攻防の中、渦中にいたヨンドゥは志半ばで墜落してしまい、ロナン率いるサカアラン兵に包囲されてしまいます。

実は個人的にMCUキャラクターの中で、最も”推し”なのがヨンドゥなのですが、そんなヨンドゥの唯一と言ってもいい見せ場が件のシーンで、ここでのギャップに心をノックアウトされた人も少なくはないのではないでしょうか。

僕がヨンドゥを好きな理由は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVol.2』で成就するのですが、ここでのギャップにやられたことは間違い無いです。

端的に言うとこのシーンのヨンドゥは兎にも角にもカッコ良すぎるんです。

オレンチ
オレンチ

こんなに強かったなんて思いもよりませんでしたよねw

強さが未知数だったヨンドゥが、一瞬にしてサカアラン兵を葬ってしまうという衝撃がこのシーンのかっこよさにもちろん貢献しているのですが、実は絵的な構図もこのシーンだけ明らかに他とか異なるんです。

ヨンドゥのシーンがどんな構図で描かれていたかというと、マカロニウエスタン風に描かれていたんです。

例えばヨンドゥの腰に収められた矢だけにクローズアップしたショットや、ヨンドゥの口にのみクローズアップしたショット、また非常に強い煽りで(下から見上げるような構図)でヨンドゥを写したショットなど、このシーンでのみ観ることが出来るショットで構成されています。

特に意識されているのがセルジオ・レオーネによるマカロニ・ウェスタンで、『ドル箱三部作』とも称されるクリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』シリーズや、ハーモニカが非常に印象的なチャールズ・ブロンソンの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』などと比較すると非常に面白いと思います。

つまり映画史の中で導き出された最も渋く見える方法をもって、ヨンドゥのカッコいいシーンは作り上げられていたということですね。

次作ではメリー・ポピンズと称されるヨンドゥですが、本作ではクリント・イーストウッドだったということでしょう。

映画における音楽の重要性

最後は本作における音楽の使われ方について深掘りしてみます。

ジェームズ・ガンは映画における音楽の重要性について独自の理論を持っていて、撮影現場もユニークです。

というのも映画音楽というのは、撮影の後にシーンに合わせて作られるのが一般的なのですが、ジェームズ・ガンの場合ほとんどの映画音楽を先に作らせるそうです。

出来上がった音楽を、その音楽が使われるシーンで流すことで、どのようなシーンになるのか俳優に想像してもらいながら演技をしてもらうのがジェームズ・ガン流なんです。

このことは、俳優陣のほとんどが「とてもやりやすかった!」と語っていました。

ただジェームズ・ガン流が正解というわけでもなく、例えば『オズ はじまりの戦い』でミラ・クニス演じる魔女のテーマ曲は映像を見て作曲された映画音楽ですが、最初はワルツを踊るオルゴールの曲としてとても心地の良い曲として流れます。

しかしこの曲が再登場するシーンでは編曲されていて、メロディは同じなのに全く違う印象を与えます。ミラ・クニス演じる魔女の心の変化を最高に表現していて、まさに映画は総合芸術だということを表現していた好例と言えるでしょう。

そして本作のラスト付近で流れる『Ain’t No Mountain High Enough』はジェームズ・ガン曰く、母親と子供のことを歌った曲であり、まさにシーンに合った楽曲だったと言えます。

このように『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズはそのシーンに合わせて楽曲が選ばれているので、曲の歌詞にもぜひぜひ注目してみてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です