はじめまして!オレンチと申します。
今回は2023年に公開された山崎貴監督の最新作『ゴジラ -1.0(マイナスワン)』についてお話ししていこうと思います。
というわけで早速ですが本題へ!
目次
『ゴジラ -1.0』のネタバレ感想・解説・考察
70年間生き続けるキング・オブ・モンスター
1954年。東宝の小さなスタジオで本多猪四郎、円谷英二、その他多くの情熱を持った寄せ集め集団によって産声を上げた『ゴジラ』。
公開前はゲテモノ扱いで、東宝の社員ですらまともに扱おうとしなかったのだとか。
しかし蓋を開けてみれば世紀の大ヒットを記録。70年の歳月が過ぎてもなおゴジラは、”キング・オブ・モンスター”として堂々と映画史に君臨し続けています。
その理由には円谷英二を筆頭にした特撮組の情熱と、本多猪四郎を筆頭にした本編組の真剣な姿勢が、”特撮モノ = ゲテモノ”という偏見をなぎ払い、人々の心に訴えかける作品として完成させたからだと思います。
当時すでに黒澤組の俳優として地位を気づいていた志村喬(『生きる』、『七人の侍』など)をキャスティングするあたりからも本気度が伺えますよね。
本多猪四郎は『ゴジラ』に対して、「私のねらう真実は、水爆下の恐怖にあえぐ現代人の心理的デフォルマシオン(直接的に描けない心の奥底を別の角度から描いたもの)である。」とコメントしています。
つまり『ゴジラ』には原水爆を批判した反戦映画でもあるのです。
『ゴジラ』が公開された1950年代前半は、まだ戦争の傷も癒えておらず、唯一の被爆国であることも相まってか、米ソで繰り返し行われていた水爆実験に恐怖を感じていたんです。
そんな矢先、1954年3月1日。日本のマグロ漁船・第五福竜丸がアメリカ合衆国がビキニ環礁で行った水爆実験によって被爆。ついに恐怖は現実となってしまったのです。
『ゴジラ』(54)の冒頭で消息不明となる漁船は第五福竜丸事件のメタファーであり、その後『ゴジラ』(84)や『シン・ゴジラ』が”船”から始まるのはこの系譜を辿っていると感じています。
本多猪四郎自身も戦場へと出ており、終戦後半年間の捕虜も経験しています。
当時のことを語るキミ夫人の貴重なインタビューが『メカゴジラの逆襲』のBlu-rayに収録されているので、気になる方はぜひ!
その後ゴジラはヒロイックになって行ったり、子供の味方になったりと様々な変化を遂げながら、世界中の人々に恐れられつつも愛される存在となっていきました。
しかしゴジラ映画の根底には、反戦や社会風刺が込められているんです。例えば『ゴジラ対ヘドラ』では、高度経済成長によって汚染されていく地球を風刺していたり、『シン・ゴジラ』では3.11の際にあらわになった国家の頼りなさを描いていたりしました。
『ゴジラ -1.0』に掛けられた想い
では今回の『ゴジラ -1.0』ではどんなメッセージが込められていたのでしょうか。僕が思うにそれは「命の大切さ」だと思います。
「命の大切さ」などと言うと、飽きるほど描かれてきたことだし、薄っぺらさを感じる人も少なくないでしょう。
しかし、どんなに繰り返し描かれてきたことでも、描き方次第で心に深く残るもの。
その点で言えば今回の『ゴジラ -1.0』は、近年稀に見るくらい立派な反戦映画だったと思います。
なぜ我々は反戦をするのか。様々な議題があると思いますが、結局のところ反戦の真意には「命が大切だから」という想いに帰結すると思います。
本作の主人公・敷島浩一(神木隆之介)は、特攻隊に指名されるも生きることにしがみつき、ウソによって生還したがために、「自分は生きていてはいけない人間だ」という呪縛に囚われた人物。
終戦後、故郷に戻ってきてもなお、生きて帰ってきたことを隣家の太田澄子(安藤サクラ)から咎められる始末で、終戦直後のムードが痛いほど伝わってくるシーンがありました。
そんな中、大石典子(浜辺美波)とその連れ子・明子と出会うことで敷島の呪縛は徐々に変化していくことになります。
ちなみに安藤サクラ演じる澄子についても言及しておきたいのですが、この役が非常に素晴らしく、前述した通り終戦直後のムードを伝えるのにこれ以上ないくらいの説得力を与えている役だと思います。
初めは高圧的で近寄りがたい人物として描かれていますが、彼女は戦争に”変えられてしまっただけ”。時間が彼女を癒し、元の思いやりのある人物へと少しづつ変化していく様がとても感動的でした。
上記のように「命の大切さ」というテーマは、敷島の生きていてはいけないという感情と、典子の何としても生きるという信念の間でにらみ合うように語られています。
真っ向勝負で、とてもシンプルに語っているがゆえに伝わりやすい反面、薄っぺらく感じてしまうきらいがあると思います。特に多くの映画を見ている人にとっては薄っぺらく感じてしまうことが多いのではないでしょうか。
だからこそ本作は、終戦直後を舞台に特攻隊の生き残りを主人公にした物語だったのです。
特攻隊とは戦闘機や小型艇で戦艦に体当たりする攻撃を行う部隊のことで、出撃したら最後──。決して生きて帰ることはできません。
命を賭して祖国を守ろうとした彼らの気高さは敬意に値しますが、特攻という思想自体は誇れるものではないと思います。
だからこそ野田健治(吉岡秀隆)は「先の戦争でこの国は命を粗末にしすぎた。」と語っているのであり、クライマックスの”海神作戦”では全員生還にこだわったのです。
そんなテーマの中で”海神作戦”では誰一人犠牲者を出さなかったから、近年稀に見る立派な反戦映画というように語ったのでした。
ともすると、ゴジラと共に散った初代『ゴジラ』のラストに対するアンチテーゼだったのかもしれませんね。
このように一見、繰り返し描かれていて飽き飽きしたテーマのようにも見えてしまいがちですが、よく目を凝らすと、生きて抗ってきた先人たちの力強さが見えてくるんです。
歴史に勝る説得力とドラマは無いんですよね。
そんな先人たちが命を大切にしたからこそ、今の私たちがあることは決して忘れてはならないことだと思います。
円谷英二の右腕として撮影助手を務め、後の二代目特技監督として『ゴジラ』シリーズを牽引した有川貞昌は「戦争がもう少し長引けば『ゴジラ』に参加できなかった」と語ります。
なぜなら有川も、特攻隊に指名された一人。出撃前に終戦を迎えたおかげで生還したのでした。
ともすると有川が戦死していたら、『ゴジラ』はこの世に誕生していなかったかもしれません。本多猪四郎だって戦場で捕虜になっていたのですから、同じことが言えます。
つまり『ゴジラ』は戦争でギリギリ生還した人によって生み出された作品でもあるのです。
本作『ゴジラ -1.0』の中でも「もっと戦争が長引いていれば俺だって」と語る水島四郎(山田裕貴)に対して敷島が激怒するシーンがありますが、これは生還したことで命拾いし、未来へと繋ぐことができた命への想いからだった気がします。
有川のエピソードと『ゴジラ』シリーズの繋がりは、そんなシーンの想いを象徴するものでしょう。
市井の人々とゴジラ
『ゴジラ』シリーズの醍醐味の一つにその時代を写す鏡とでもいうべきか、時代に合わせられた風刺が入っていることが多いです。
例えば先ほどもお話しした通り『ゴジラ対ヘドラ』は高度経済成長による汚染を、『シン・ゴジラ』は3.11から見えてきた国の頼りなさを描いていました。
これは前述した本多猪四郎が初代『ゴジラ』に込めた「真実」のスピリットをずっと受け継いでいるものだと思います。
さてゴジラのみで勝負しているゴジラ映画は『ゴジラ』(1954)、『ゴジラ』(1984)、『シン・ゴジラ』(2014)、『ゴジラ -1.0』(2023)の4本のみです。
ゴジラのみで勝負すると言うことは、相手怪獣が不在なのでより一層人間の役割が強くなっていきます。
そんな中で『ゴジラ』(1984)と『シン・ゴジラ』(2014)はついになっているような関係で、どちらもゴジラにまつわるポリティカルアクションを描いた作品です。
『ゴジラ』(1954)もポリティカルアクションと言うほどのものではありませんが、ゴジラ殲滅には自衛隊が動き、国が強く関与しています。
では『ゴジラ -1.0』(2023)はどうだったでしょう。
最初から最後まで、国が国として機能しておらず、市井の人々の力によって動いていたように感じます。
新生丸の乗組員も、海神作戦のメンバーも皆、市井の人々のみで構成されていましたよね。これはゴジラのみで勝負している『ゴジラ』映画としては初めてのことで、先のパンデミックから今日に至るまでのさまざまな出来事の中で、世界中の人々が感じた「自分たちで何とかしなくては」と言う思いを投影しているのかもしれませんね。
零戦から震電へ。『ゴジラ -1.0』のメタファー
さて、先ほどから何度かお話ししている通り、本作『ゴジラ -1.0』は終戦直後を舞台に特攻隊の生き残りを主人公にした物語です。つまり主人公はパイロット。
というわけで主人公・敷島が搭乗する戦闘機にも注目してみたいと思います。
敷島が最初に搭乗している戦闘機は特攻用に改造されたされた零式艦上戦闘機──、通称・零戦です。
零戦は空母に搭載して運用する艦上戦闘機に属し、その性質上、前線に配備される戦闘機です。つまり攻めの戦闘機ということになります。
本作の後半で敷島は別の戦闘機にも搭乗しますが、そちらについて語る前にゴジラの放射熱線についても注目しておきたいと思います。
ゴジラといえば放射熱線。放射熱線といえばゴジラと言っても過言ではないくらい、キング・オブ・モンスターを象徴するのが放射熱線ですが、今回の放射熱線には特別なメタファーが与えられています。
それというのが原爆を象徴しており、ゴジラが熱線を放つと激しい閃光の後、着弾地点はまるでキノコ雲のような禍々しい黒煙を上げ、その後黒い雨を降らせていました。
ゴジラの放射熱線は、過去に金子修介監督による『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』でも原水爆のようなメタファーが与えられており、「命の大切さ」というテーマや1作目に対するリスペクトなど、今回の『ゴジラ -1.0』と同じ血統を感じるので、未見の方はぜひ一度鑑賞してもらいたいです。
とにかく今回の放射熱線──、ひいてはゴジラの存在自体が原爆を象徴しています。
大江健三郎著の『ヒロシマ・ノート』の冒頭には、「爆心地の話を伝えてくれる人は、いません。」という一文が綴られています。
放射熱線の着弾地点もそんな絶望感や悲しさを感じさせるような光景だったかと思います。
話を戦闘機に戻しましょう。
敷島が物語の後半で搭乗するのは幻の戦闘機・震電でした。
震電は第二次世界大戦末期に日本海軍が試作した戦闘機で、実際の戦闘記録はなくミリタリーファンを興奮させる機体な訳ですが、震電が何のために作られたのかという理由が、しっかりと物語へと絡んでいるんです。
震電は局地戦闘機として開発されています。
局地戦闘機とは、ざっくり言うと基地や艦隊の上空の防御を担当する戦闘機のことを指し、B-29など重爆撃機の撃墜を目的に開発されています。
そして広島と長崎に原爆を投下したのがB-29だったのです。
つまり、原爆を運ぶ重爆撃機を撃墜するために作られたが出撃することができなかった震電が、今度は原爆を象徴するゴジラから日本を守るために出撃すると言う熱い熱い展開になっているんです。
さらに特攻隊を筆頭に、命を粗末にしてきた過去を清算するかのように、震電には脱出装置を備えられ、生きることを肯定する作りになっていました。
殺す道具に対して生きることを肯定する意味がつけられていて矛盾を感じなくもないですが、やはり舞台装置としては最高の演出だったと思います。
一つ批判的な言及するのであれば、震電の脱出装置は呼び出された整備兵の橘宗作(青木崇高)によって設置されたものですが、「敷島の依頼」もしくは「元から備わっていたもの」として描いて欲しかったと思ったり。
前者なら誰かに与えられるのではなく、自ら生きることを肯定する強さを感じることができ、後者なら最後の最後で日本という国が兵士の命を守ることに意識を向けていて、日本も捨てたもんじゃないと感じることができたのかなと。
本作の場合、橘によって脱出装置が設置されたということは、「敷島の呪縛に対する赦し」だと思うのですが、そもそも赦されなければならないほど、敷島は贖罪を背負ってはいないと思うのです。
ただ生きたかっただけ。大戸島での出来事も彼に責任があるとは思えなかったです。
初代『ゴジラ』へのラブレター
さて本作『ゴジラ -1.0』は山﨑監督がゴジラのファンボーイズであり、初代『ゴジラ』と最も時代が近いゴジラであることから、初代『ゴジラ』へのラブレターともみて取れるシーンで溢れています。
そんな山崎監督から初代『ゴジラ』へのラブレターの数々をご紹介していこうと思います。
まず本作最初のシーンとなる大戸島は、初代『ゴジラ』が最初に上陸した島で、呉爾羅(ゴジラ)という名前が大戸島の島民から与えられたという流れも同じです。
ちなみに大戸島のゴジラ初登場シーンはまるで『ジュラシック・パーク』の恐竜のようでしたが、そもそも初代『ゴジラ』を参考にし、初代『ゴジラ』のDNAを持っているのが『ジュラシック・パーク』なので、ある意味兄弟のようなものなのかなと思います。
さらに初代『ゴジラ』といえば銀座。
初代ゴジラの身長は50mという設定ですが、これは1954年当時、最も大きいビルの一つだった銀座三越よりも大きい怪獣を作りたかったためと言われています。
銀座三越をゴジラが破壊していくシーンや、ゴジラが電車を咥えるシーン、さらに決死の覚悟で現場をリポートするアナウンサーなどなど、銀座シークエンスは初代『ゴジラ』愛に溢れているんです。
初代『ゴジラ』のアナウンサーのシーンは有名で、取材陣がいる鉄塔をゴジラが倒してしまい、鉄塔と共に崩れ落ちていくアナウンサーが「それではみなさんさようなら!」という名言も残っています。
アナウンサーのシーンで初代『ゴジラ』の名言が飛び出ることはなかったですが、崩れゆくビルと共に散っていく様も明らかにオマージュでした。
さらに野田健治(吉岡秀隆)がゴジラ殲滅作戦の解説を行なっているシーンは、志村喬演じる山根博士がゴジラの生態について解説しているシーンを彷彿させていますし、海神作戦によってゴジラが泡に包まれながら海底へと沈んでいく様は、まるでオキシジェンデストロイヤーをくらった姿とダブってしまいます。
このように『ゴジラ -1.0』は初代『ゴジラ』愛に溢れる作品なのでした。
生き続ける伊福部昭のテーマ
さてゴジラの劇伴についても触れておきたいですね。
ゴジラの劇伴といえば誰もが思いつくゴジラのメインテーマがあります。(下記リンクの25秒くらいから)
ともするとゴジラ映画を見たことがない人でさえ一度は耳にしたことがあるのではないかと思います。
そんな超有名な劇伴を生み出したのが作曲家の伊福部昭(いふくべあきら)。
なんとこのメインテーマは1954年の初代ゴジラで生み出されてから、微妙なアレンジが加えられながらも現代まで生き続けているんです。
70年代、80年代、90年代と時代を超えて愛され続けたゴジラのテーマですが、とりわけ90年代のゴジラ映画ではゴジラが活躍するシーンに挿入されることが多かったと思います。
しかしながら実のところこの曲はゴジラと戦う人間たちのテーマとして作曲されたものだったんです。
伊福部は挿入されるシーンについて事細かに監督に尋ね、時に監督側が「もう勘弁してくれ」と思うほど意欲的だったと言います。
その理由は自分が作曲をするのであれば、そのシーンに最適の音楽を付けたいからで、音楽に対して並々ならぬプライドを持った人物だったようです。
最初は「伊福部=ゴジラの作曲家」と代名詞にされるのが嫌だったようですが、いつしかそんな代名詞が誇りに変わって行ったそうです。
さて本作でゴジラのメインテーマが流れるシーンを思い出して欲しいのですが、『ゴジラ -1.0』でゴジラのメインテーマがどこで流れたかというと、海神作戦で市井の人々が1つになってゴジラに向かっていくシーンでした。
まさにゴジラと戦いに挑む人々のシーンに挿入されていて、伊福部の意図をしっかりと汲んだ最高のタイミングで流れたと言って過言ではないでしょう。
特撮からVFXへ
続いては軽く本作と『ゴジラ』映画としてのVFXにも触れておきます。
ミニチュアやスーツアクター、カメラスピードや操演など、さまざまな職人の”特撮”によって生み出された『ゴジラ』。
1990年代後半のゴジラ映画から徐々にデジタル化が進み、2000年代ではフルCGのゴジラも登場。しかしフルCGでゴジラを描くにはまだまだ時代が追いついていませんでした。
しかし、2010年代の『シン・ゴジラ』や、そこからさら技術が進歩した2020年代の本作『ゴジラ -1.0』ではほぼ違和感を感じさせないレベルまで到達していたかと思います。
デカめの深海魚が浮いているショットだけCGっぽさが気になってしまいましたが、それでも技術の進歩の凄まじさを感じます!
VFXが進歩し、もちろんゴジラにスピード感が生まれたり、迫力も段違いになっているのですが、VFXが進歩し最も大きな貢献をしたのは水や火の表現力だと思います。
『ゴジラ -1.0』公開に合わせて『ゴジラ』シリーズを1作目から順番に観てきて感じたことの一つに、どんなに精巧なミニチュアを作って、どんなに素晴らしいスーツアクターが怪獣を演じて、どんなに巧みな操演の技術で触手や尻尾に命を吹き込んでも、特撮ではどうしても誤魔化せないものがあります。
それが水と火の表現でした。
特に水のしぶきはどんなに頑張っても小さくすることができず、その他の演出で巧みに隠されていますが、よく目を凝らすとしぶきや泡立ちは人間の等身大のサイズなんです。
それがVFXになってようやく水しぶきの表現にリアリティを生むことができていたかと思います。
だからこそ、クライマックスに海戦が選ばれ大迫力の戦艦映画としても見応え十分な作品になっていたのだと思います。
ラストはダイナモ作戦みたいでしたね!(『チャーチル』や『ダンケルク』を参照してください!)
ゴジラとクトゥルフ神話
最後はちょっと変わった角度から『ゴジラ -1.0』について覗いてみて終わりにしようと思います。
と言うのも超がつくほどゴジラマニアの佐野史郎が「『ゴジラ』映画はクトゥルフだ」と言う話をしていて、これが結構面白かったんです。
クトゥルフ神話とはH・P・ラヴクラフトが生み出した架空の(小説上の)神話のことで、クトゥルフと言う神を筆頭にさまざまな邪神が登場する物語です。
またクトゥルフ神話は海と強く関係しています。
そんな中、佐野史郎はゴジラ=ダゴン説を唱えており、海からやってくる半魚を彷彿させるダゴンの特徴とゴジラの容姿がどことなく似ているんです。
思えば今回の『ゴジラ -1.0』におけるゴジラは神としても描かれていて、かつ海上戦が非常に多かったことから、よりクトゥルフ映画とも言えるような描かれ方がしていたような気がしました。
ゴジラの最後と、典子の生還
最後と前節で言いましたが、ちょっとだけ追記を。
ラストのゴジラに対する敬礼について、そして生還した典子の首筋に見えたG細胞的な何かについて、ちゃんと読み解いておかなればと思い至っての追記です。
まず、なぜ海神作戦の参加者は滅びゆくゴジラに敬礼をしたのでしょう。
それはきっと、人間の都合によって生み出されたゴジラを、人間の都合によって滅ぼしてしまったため──なのかなと。
今回のゴジラはかなり恐怖を感じるように作られていますが、そもそもゴジラを放射熱線を吐く巨大な怪物にしてしまったのは、他でもない人間なのですから。
今回の『ゴジラ』には、ビキニ環礁での水爆実験のシーンがあり、まさにゴジラへと変えられてしまうショットがあります。目のみを写したショットですが、あの目はどこか悲しげというか、痛みのようなものが感じられるのではないでしょうか。
「ゴジラは人間の傲慢によって生み出された怪獣」は全てのゴジラ映画に共通する標語で、あの敬礼には申し訳なさや、これから変わっていくぞと言う覚悟のようなものが見えた気がしました。
そして奇跡の生還を果たした典子の首筋に見えたG細胞的な何か。
映画を見終わった後、唯一と言っていいほどノイズとして残ってしまったのが、あのG細胞的なもので、せっかく敷島は生きていくことを肯定し、典子は奇跡の生還を果たしたのに、なんで水をさすんだ!と思っていたのですが・・・。
ともするとG細胞的な何かは、被爆のメタファーなんじゃないかと思うのです。
先ほど大江健三郎著の『ヒロシマ・ノート』について言及しましたが、この書籍の内容は以下のように解説されています。
広島の悲劇は過去のものではない。一九六三年夏,現地を訪れた著者の見たものは,十数年後のある日突如として死の宣告をうける被爆者たちの“悲惨と威厳”に満ちた姿であり医師たちの献身であった。
著者と広島とのかかわりは深まり,その報告は人々の胸を打つ。
平和の思想の人間的基盤を明らかにし,現代という時代に対決する告発の書。
岩波書店
原爆による爆撃は、破局的でインパクトがあるので、原爆によって破壊されてしまった街にのみ目が向けられがちですが、原爆による被害は破壊された街だけではないんですよね。
せっかく破局的な爆撃を何とか奇跡的に生還しても、数年後に被爆の被害によって死の宣告を受けてしまう──。
きっと広島や長崎原爆投下の後にも、本作のように奇跡の再会を果たした家族のドラマがたくさんあったのではないでしょうか。
そしてその数年後、突如として死の宣告を受け絶望の淵へと追いやられてしまった家族のドラマも数えきれないほどあるはずです。
原爆による被害はその一瞬だけでなく、何十年先まで続くものだと言うことを本作のラストは言っている気がします。
「なんで水をさすんだ!」と言う怒りは映画に向けるのではなく、戦争という行為に向けるべきなのでしょう。
その怒りこそ反戦への礎にすべきなのかなと思いました。