オレンチ
はじめまして。オレンチと申します。
今回はお話しする映画は、NETFLIXで配信されているオリジナル映画『エリサ&マルセラ』です。
メガホンを取るのは『死ぬまでにしたい10のこと』や『マイ・ブックショップ』などのイザベル・コイシェ。主演はスペイン出身のナタリア・デ・モリーナとグレタ・フェルナンデスという俳優さんです。
というわけで以下目次より早速行ってみよう!
この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
『エリサ&マルセラ』のネタバレ感想・解説・考察
現代まで繰り返される理不尽感と孤独感
全編モノクロで描かれた本作。カラーの時代にあえてモノクロを選択した作品と言えば、同じNETFLIX映画というだけあってアルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』を思わせますよね。
他にも『シンドラーのリスト』や『アーティスト』、『シン・シティ』や『フレンケン・ウィニー』、『ムカデ人間2』などカラーの時代にあえてモノクロを選択した映画は多々あります。
その選択の理由には漫画らしさやモノクロの持つコントラストなど、様々な理由があるのですが、本作の場合は”時代”を象徴しているように思えます。
というのも本作は1901年においてスペインで初めて同性婚をした、とある二人の物語だからです。
本作の鑑賞で大切にすべきポイントは、物語の後半戦で感じることができる理不尽感かなと思います。この理不尽感を感じる大きな要因として前半では情熱的かつ官能的に、エリサとマルセラの恋の行方を、二人だけの閉じた世界で描かれているからかと思います。
オレンチ
中でもタコを使ったセックス描写はかなりアブノーマルな官能的描写でしたね。ただ実はタコには欲望と執着、そしてトラブルや障害を象徴する側面もあるようで、今後の展開を予想した演出だったのかもしれません。
エリサとマルセラが初めて海岸をデートするシーンでも繰り返しタコの映るショットがありましたよね。
つまり前半戦はエリサとマルセラの内側を描くことで、観客に情や共感を抱かせているんです。それが後半戦では徐々に二人の外側が牙を剥き出します。なかでも外側からの攻撃が浮き彫りとなるのが、エリサが森を歩いているだけで石を投げられるシーンですよね。
さらに男装したエリサと結婚したことを疑い、家にやってくる牧師と近所の人々には強い理不尽感を感じます。
かなり拡大されてはいますが、これらのシーンに感じる理不尽感・孤独感こそ、LGBTQ+の問題に当事者として悩んでいる理不尽感や孤独感と同じ物なのかなと思うのです。
物語の進行に沿って──、つまりエリサとマルセラの気持ちに立って考えてみたら、ただ愛する人と暮らしているだけなのに、なぜ石を投げられたり逮捕をされなくてはならないのかと感じるのではないでしょうか。
LGBTQ+を扱った映画は近年多く輩出されており、『エターナルズ』もその一つでした。
そんなテーマを持った作品のなかで、エンディング・クロールはかなり衝撃的だったかと思います。今だに同性愛は13カ国で死刑に処されてしまうのですから。
本作に見えた家父長制
本作にはわずかながらフェミニズム的な訴えも表現されていたように思えます。ある2つの食事シーンからそう感じることができます。
その食事シーンというのが前半のマルセラ一家が食事するシーンと、ポルトの知事が食事しているシーンです。
この二つのシーンの構図は、画面上で最も立場的に強い人が真ん中にいるというシンメトリーな構図になっています。
オレンチ
前者はマルセラの父親、後者は知事ですね。
そんな構図の中で、真ん中に座る権力者は2シーンとも同じ行動をとるのです。その行動というのが、どちらも食事に文句をつけているんです。
とてもさりげない演出ですが、家父長制的な行動に嫌悪感を感じる演出となっていました。