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『ケープ・フィアー』解説ネタバレ感想・伏線・考察|【評価】

オレンチ
オレンチ

はじめまして!オレンチと申します。

今回は1991年公開、マーティン・スコセッシ監督のスリラー映画『ケープ・フィアー』について僕なりに考察し、解説していければと思います。

ここのところ『アイリッシュマン』を観たくてデニーロ×スコセッシ映画の系譜を辿ってきたのですが、ようやく『ケープ・フィアー』を含め残り2本(ラストは『カジノ』)になりました!

『ケープ・フィアー』は最もスコセッシっぽくなく、それでいてスコセッシらしさを持った作品だったと思います。何言ってんだって感じですよね。本記事の中で詳しく語るので是非ついてきてください!

というわけで早速、本題へと進んで行きましょう!

注意

この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

『ケープ・フィアー』のネタバレ感想・解説・考察

最もスコセッシっぽくなく、スコセッシらしさを持った映画

『ケープ・フィアー』は1962年に公開された『恐怖の岬』を『タクシードライバー』や『グッドフェローズ』などのマーティン・スコセッシ監督がリメイクしたスリラー映画です。

14年間の刑期を終え出所したマックス・ケイディ(ロバート・デ・ニーロ)は、自分の罪を重くした当時の弁護士サム・ボーデン(ニック・ノルティ)に復讐することだけを考え、ジワジワとボーデンの家族を巻き込んで復讐を行なっていくってのが大まかなストーリー。

本作を見て僕は「スコセッシっぽくないな」という感想を最初を抱きました。

恥ずかしながら全てのスコセッシ映画を観ているわけでないので、あまり大きなことは言えないのですが、少なくとも【スコセッシ × デニーロ作品】としては異色中の異色だと思います。

まず舞台がニューヨークではない点ですね。これだけで作品から感じる温度のようなものが大きく異なります。『ケープ・フィアー』までの【スコセッシ × デニーロ作品】はすべてニューヨークを舞台にしたものでした。

スコセッシもデニーロもニューヨーク出身だったことも関係しているのか、ニューヨークという街を第3の主人公として赤裸々に語ってきたのが【スコセッシ × デニーロ作品】だったというわけですね。

赤裸々にと言う点が重要で、ニューヨークに住む一部の人の気持ちを代弁するような作品をこれまで作ってきたのがこの二人であり、つまるところ非常にソフトストーリーな映画を作ってきたわけです。

ソフトストーリーというのは、芸術映画と言い換えることができ、主人公の内的な葛藤を描いた作品です。『タクシードライバー』や『レイジング・ブル』はまさにその典型と言えるでしょう。要するにソフトストーリーはとても私的な作品と言えます。

また彼らの初期作『ミーン・ストリート』は当時ニューヨークに住んでいた人々からしてみると、ドキュメンタリー映画のような劇映画だったそうです。

一方で『ケープ・フィアー』は【スコセッシ × デニーロ作品】としては非常にハイコンセプトな作品だと言えます。

ハイコンセプトとは、商業映画と言い換えることができ、主人公の外的な葛藤を描いた作品です。『ケープ・フィアー』では主人公サム・ボーデンの外的な葛藤がマックス・ケイディの存在と言えるでしょう。

ハイコンセプトは商業映画と言い換えることができる通り、興行収入を狙った映画です。興行収入を狙う映画に求められるのは大衆向けであり、大衆向けとは分かりやすさですね。

つまりソフトストーリーに比べ、ハイコンセプトはわかりやすいんです。

というのが、これまでソフトストーリー的な映画を作り続けてきたスコセッシにとって『ケープ・フィアー』はとてもスコセッシっぽくない作品に見えたという理由です。

実際スコセッシも「最も自分らしくない」と語っていますし、スコセッシ作品でも興行的成功を大きく収めた作品でもありました。

ではそんな『ケープ・フィアー』の中で見えたスコセッシらしさとはどんなところでしょう。それについては次節で語っていきたいと思います。

リメイクのお手本のようなリメイク作品

前述どおり『ケープ・フィアー』は1962年公開『恐怖の岬』のリメイク作品で物語の大筋は概ね同じ。

しかしただモノクロ映画からカラー映画にリメイクしたわけではありません。

オリジナルの面白さをそのままにして、細部まで作り込むことでさらに味わい深い作品に仕上げたのが『ケープ・フィアー』というリメイク作品です。

例えば『恐怖の岬』では犯罪者であるマックス・ケイディにキャラの濃さを全振りしていましたが、『ケープ・フィアー』でスコセッシはマックス・ケイディとバランスを保てるよう、ボーデン一家も普通の家族とは違う問題を抱えさせたんです。

『恐怖の岬』でボーデン一家は何の問題もない家族でしたが、『ケープ・フィアー』ではサムの浮気という要素を染み込ませ妻や娘にも葛藤を産ませていましたよね。

サムの妻、リー・ボーデンがサムとのセックスの後で化粧をするシーンがありますが、あれはサムとの関係に満足していない潜在意識を表しているんです。

そういった細かい配慮から作品をリメイクする意味を見出しているように思えます。

『ケープ・フィアー』でもマックス・ケイディは『恐怖の岬』と同様に7年の刑期でしたが、劇の外側の時間で問題を起こし、14年まで刑期を伸ばしていたりしますよね。ここでも細かい設定の追加でマックス・ケイディという人物像をより深く端正に描いているんだと思います。

さらに編集とカメラワークで物語を語るスコセッシ節も『ケープ・フィアー』には光ります。

最もわかりやすいのはオープニングのシークエンスで挿入される”目”のショットと”タカ”(ワシかも?)のショットから繋がる様々なショットに見ることができます。

“目”と”タカ”から連想されるのは常に監視されているということ。

そのため『ケープ・フィアー』ではサム・ボーデン一家を見下ろすようなショットが非常に多いのです。

サム・ボーデン一家を見下ろすショットが多い理由はタカのように獲物を狙うマックス・ケイディを連想させ、常に監視されている不安感を醸し出しています。

さらにマックス・ケイディとサムの娘ダニエルの関係も非常に面白いですね。

サムの浮気によって生まれたボーデン一家の不和はダニエルの心の闇を産んでおり、物語をよりドラマチックに展開させます。

ダニエルはあろうことかマックス・ケイディに恋心まで抱き、サムの心を大きく揺さぶるんです。

ちなみにマックス・ケイディがダニエルの口の中へ指を入れる官能的なシーンがありますが、あのシーンはデニーロのアドリブなんだとか。

よりダニエル役のジュリエット・ルイスのリアルな演技を引き出すために取った行動だったそうです。デニーロは『レイジング・ブル』でジョー・ペシのリアルな演技を引き出すため脚本にあったセリフとは違うセリフで本番に望んだりもしています。

超一流の役者にもなると、一流の役者の良さも引き出すものなんですね。

またスリラー映画といえばアルフレッド・ヒッチコックということでヒッチコックらしさ溢れるスリラー演出も随所に見ることができます。

例えば露骨にアングルが斜めになったダッチアングルショット(ダッチアングルショットは不安を誘う効果のあるショット)だったり、ブラインドやドアノブに急激にズームインするクローズアップショットなど。

古典の良さを現代に継承して新しいものを作り出す、博識のスコセッシらしい演出と言えるでしょう。

このように『ケープ・フィアー』はただのリメイクにとどまらず、同じ果物でも育て方によって味わい深さに大きな差が生まれるのと同じように内容の濃いものとして作り直した作品であり、リメイクのお手本のようなリメイク作品となっていました。

カメオ出演による遊び心

さて最後は『ケープ・フィアー』における遊び心について少し語って終わりにしたいと思います。

実は『ケープ・フィアー』には『恐怖の岬』のメインキャストである、グレゴリー・ペック、ロバート・ミッチェム、マーティン・バルサムがカメオ出演しています。

それぞれのオリジナルでの役はグレゴリー・ペックがサム・ボーデン役。ロバート・ミッチェムがマイク・ケイディ役、マーティン・バルサムが警察署長役といった感じ。

中でもロバート・ミッチェムとグレゴリー・ペックの使われ方が非常に面白いので紹介させていただきます。

3名の中で最も出番の多いロバート・ミッチェムは警察としてマイク・ケイディを裁く権利を持っている役として再登場し、マジックミラー越しではありますが、かつて自分が演じたマイク・ケイディと対峙もしています。

なかでも面白いのがサム・ボーデンへ助言するワンシーン。ロバート・ミッチェムが演じたエルガート刑事がサムへ助言する内容は、『恐怖の岬』のクライマックスでサムが画策する作戦そのものなんですよね。

つまり自分が過去の役でやられた作戦を新しいサム・ボーデンへ伝授しているわけです。

さらにグレゴリー・ペックの『ケープ・フィアー』での役はなんとマックス・ケイディを弁護するリー・ヘラー役。

過去作では自分を苦しめた張本人を全力で守る役として再登場しているわけです。何とも皮肉じみた遊び心ですよね。

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