オレンチ
はじめまして!オレンチと申します!
今回は『アメイジング・スパイダーマン2』について書いて行こうと思います。
メガホンを取るのは前作『アメイジング・スパイダーマン』から引き続きマーク・ウェブ。スパイダーマン役にも前作から引き続きアンドリュー・ガーフィールドが務めます。
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』に向けた予習的な鑑賞なのでサクッとレビューしてみます。
というわけで以下目次より行ってみよう!
この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
『アメイジング・スパイダーマン2』のネタバレ感想・解説・考察
物語と劇伴のシンクロ率100%
前作『アメイジング・スパイダーマン』は評判通り受け付けれない作品でした。しかし本作『アメイジング・スパイダーマン2』はスパイダーマンの実写作品の中で最高傑作だと個人的には感じています。
何よりも前作と打って変わりマーク・ウェブが伸び伸びと映画作りに勤しんでいる様子が作品の随所に見て取れます。
というのもマーク・ウェブは数々のミュージック・ビデオを手がけた監督で、映画界には2009年に大絶賛された『(500)日のサマー』で進出した人物。
そのため『(500)日のサマー』は音楽との親和性がとても高い作品になっています。
しかし『アメイジング・スパイダーマン』は『ダークナイト』の影響もあってか、ダーク路線のアメコミ映画を目指しており明らかにマーク・ウェブの作家性を殺してしまっていました。
それに比べ『アメイジング・スパイダーマン2』は劇伴(音楽)との親和性を強く感じられます。
様々なシーンで強い親和性を感じることができるのですが、『アメイジング・スパイダーマン2』の中で最も素晴らしいのは、マックス a.k.a エレクトロの心に秘めた鬱憤を劇伴で表現している点です。
映画の冒頭、マックスの部屋のシーンで、彼が「注目されたい」「友人からの愛がほしい」といった印象が表現されておりマックスのなんとも言えない孤独感を感じることができるシーンになっていると思います。
このシーンではバックに哀愁漂う劇伴が流れていますが、よく耳を澄ますと哀愁漂う劇伴とは相反するビートの早い音楽とともにヒップホップのような音楽が聞こえてくるんです。
映画は進み、マックスが事故を起こしてしまうシーンでも哀愁漂うゆったりとした劇伴と、ビートの早い音楽の2種類が流れています。
そしてマックスがエレクトロへと覚醒するタイムズスクエアでのシーン。徐々にボリュームを挙げ、マックスの怒りを表現しているヒップホップが非常に印象的でしたが、タイムズスクエアでのヒップホップが先述したマックスの部屋でかすかに聞こえていたヒップホップと同じなんですね。
つまりマックスの部屋のシーンや事故のシーンで、すでに彼のうちに秘めた鬱憤や怒りを、かすかながら表現していたのです。
このようなちょっとした配慮がエレクトロへと覚醒をよりダイナミックなものにしてくれていたと思います。
オレンチ
神は細部に宿るですね。
またエレクトロとの発電所での最終決戦シーンも秀逸です。このシーンではコイルのような多数の柱がイコライザーのように表現され、視覚的に音楽を感じ取れるシーンでした。
更に素晴らしいのがアクションと音楽がシンクロしている点。この先頭シーンではコイルを伝ってスパイダーマンを攻撃するエレクトロの動きがそのまま曲を奏でていたり、コイルに当たるスパイダーマンと劇伴がシンクロしていました。
これはミュージック・ビデオなどによくある演出で、曲とダンスがシンクロしているのと同じような心地よさを感じることができると思います。
オレンチ
まさにマーク・ウェブの手腕といったところでしょう。
さらに秀逸な点がもう一つ。ハリーがゴブリンとなってサプライズ的に登場した後の劇伴がこれまた素晴らしかったです。
ここでの劇伴は、ここまでの劇中で聞いたことのないタイプのメロディで、かなり邪悪な雰囲気を醸し出しています。
つまりとてつもなく邪悪な何かが現れ、何かよくないことが起こるかもしれない。ということを示唆しているんです。この後何が起きてしまうかは見ての通りですね。
もう一人の主役に昇格したヴィラン
前作『アメイジング・スパイダーマン』評ではヴィランの描写不足を指摘しました。第一幕でコナーズ博士の葛藤描写が不足し、ピーターの葛藤描写に遅れをとった結果、リザードは物語を盛り上げるためだけのアイテム程度の存在にしかなれていませんでした。
それが今作では大きく改善。第一幕の段階で、もう一人の主人公としてしっかりと語られていました。
個人的にアメコミ映画におけるヴィランはもう一人の主人公でなければならないと思うのです。
もう一人の主人公として最も印象的に大成功させたのがクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』におけるジョーカーですね。
本作のもう一人の主人公とも言えるメインヴィランはエレクトロです。
もちろんハリーことグリーン・ゴブリンも本作に登場するヴィランですが、あくまでもメインヴィランはエレクトロ。本作におけるグリーン・ゴブリンはクライマックスを底上げするサプライズ的な要素でしかありません。
本作でエレクトロことマックスが初登場するのは10分あたりの箇所で、スパイダーマンが8分あたりの箇所なのでほとんど同時に登場するといって過言ではないことがわかると思います。
その後はスパイダーマン(ピーター・パーカー)とクロスカッティングするようにマックスの内面や葛藤を掘り下げるシーンが続きます。
このような構成にすることで、共感はできずともマックスの心理をより深く理解することができるんですね。
心理が理解できたヴィランは魅力的なヴィランになり得ます。
正直マーク・ウェブを含む本作のフィルムメーカーたちは、前作『アメイジング・スパイダーマン』の失敗からライミ版『スパイダーマン』をかなり研究・引用したのではないかと思われます。
というのも先述したヒーローとヴィランをクロスカッティングするような描き方はライミ版『スパイダーマン』の御家芸みたいなものなんですよね。
引用といえば放浪者チャップリンの引用も面白かったと思います。
ピーターがオズコープ社内でグウェンを逃そうと追っ手を邪魔するシーンがありましたよね。スラップスティック味の強いシーンでしたが、あれは明らかにチャップリンの引用でした。
揺らぐ信頼をダッチアングルショットで表現
さて最後は映画の撮影技術的な側面で、面白かった描写を一つご紹介します。
ダッチアングルショットという撮影技法をご存知でしょうか。ダッチアングルショットとはカメラを右もしくは左に傾けて撮影したショットのことで、主に被写体の精神異常を表すために用いられます。
ルーツとしては1930年ごろ表現の手法として使われ出しており、もともとはドイチュアングルショットと呼ばれていました。
いつしかドイチュが訛ってダッチになって行ったと言われています。
ダッチアングルショットについてもっと詳しく知りたい人は『filmmaker’s eye 映画のシーンに学ぶ構図と撮影術:原則とその破り方』を参考にしてください。
さてそんなダッチアングルショットが本作のどんなシーンに使われていたかというと、まず最初に「父親はお金のために会社や自分を裏切ったとメイおばさんから告げられるシーン」です。
ここではメイおばさんが語るエピソードとともに、ピーターを被写体としたカメラは右へと徐々に傾いていきます。
つまり父親への不信感を表しているんです。
次に「ルーズベルト駅で真実を知るシーン」でもダッチアングルショットが使われています。
「ルーズベルト駅で真実を知るシーン」がとても秀逸で、ダッチアングルショットの型を破るような形として利用されています。
というのは真実を知ったピーターを被写体としたカメラが右から徐々に平行へと傾きを戻していくんですよ。
つまりメイおばさんが語ったエピソードのシーンで揺らいだ信頼が、父親が語る真実によって回復していくことをダッチアングルショットで表現しているんです。
徐々に不安になっていく様を、徐々にカメラを傾けることで表現することはよくあります。しかし傾きを戻すという技法はかなり斬新だったと思います。
そもそも前のメイおばさんが語るのエピソードシーンでの傾きがなければ、後の「ルーズベルト駅での真実シーン」の傾きを戻す演出は成立しません。
映画のこんなところにも伏線は存在するということがよくわかる演出でした。