どうも。オレンチです。
今回は『1917 命をかけた伝令』(20)の感想に行ってみます。
感想・解説・考察
●ワンカットではなくノーカット
全編長回し”風”の撮影で公開前から大いに話題になった本作だが、あくまでも“風”は”風”。
時に俳優のため、時にスタッフのために、あの手この手を使ってカットを割っております。
ちなみに監督のサム・メンデスによれば本作は《ワンカット映画》ではなく《ノーカット映画》だそうな。
無論カットをつなぎ合わせているので《ワンカット映画》ではないわけですが、カットがかかるまでに回した映像は編集で削除することなく使っているので、確かに《ノーカット映画》ならしっくりくる。
巨匠は上手いこと言いなさる。
要するにサム・メンデスのエゴむき出しの映画でもあるわけです。
伝令に命をかける羽目になるのはウィリアム・”ウィル”・スコフィールドを演じるジョージ・マッケイと、トム・ブレイクを演じるディーン=チャールズ・チャップマン。
二人とも見たことがないような俳優だったが、ジョージ・マッケイは『ディファイアンス』(08)、チャップマンは『ゲーム・オブ・スローンズ』で出会ってました。
特にチャップマンはトメンと言う割と重要な役(わかる人にはわかる)でした。
ヘルメットしてると分からんな〜。
“攻撃中止の伝令”という骨子となる物語はフィクションであり、スコフィールドやブレイクは架空の人物はありますが、エンディングでもテロップが入るとおり、サム・メンデスの祖父を初め多くの戦争体験者のエピソードがスコフィールドとブレイクの身に降りかかる出来事に内包されております。
故に『ロード・オブ・ウォー』(05)におけるユーリ・オルロフ(ニコラス・ケイジ)のように、2人は第一次世界大戦の代弁者ともいえるキャラクターとなっております。(『ロード・オブ・ウォー』(05)は世界を股にかける武器商人をテーマにした映画で、主人公のユーリ・オルロフは5人の武器商人の証言を一つにまとめたキャラクターである)
そんなスコフィールドとブレイクの二人は将軍から名を受け、遠く離れた前線まで「攻撃中止の伝令」を届けに行くことになりますが、将軍のコリン・ファースから始まり、道中ではマーク・ストロング、ベネディクト・カンバーバッチ、そしてゴールのリチャード・マッデンと英国俳優のスタンプラリー的要素も兼ね備えた楽しい映画です。
●タルコフスキーの亡霊
前述の通りコリン・ファース将軍から命を受け、西部戦線の塹壕を進む2人を長回し風に追うわけですが、塹壕のセットがかなり忠実に作られているらしく、撮りやすいために広くするなどということは一切しなかったそうな。
さらにドイツ側の塹壕へたどり着くとすぐお気づきになるかと思いますが、塹壕の質が圧倒的に違うのであります。
こちらも史実に基づいてセットが組まれており、ドイツの塹壕にはちゃんとした設計士が入っていたそうです。
さすがドイツ。
ちなみに他は西部戦線の塹壕が見れる映画はといえば『戦火の馬』(07)や『西部戦線異常なし』(30)などで、変わり種を行って仕舞えば『ワンダーウーマン』(17)も。
まぁ『ワンダーウーマン』(17)は冗談にしても特に『西部戦線異常なし』(30)は大傑作なので要チェックされたし。
しかし本作の引き合いに『プライベート・ライアン』(98)を出したり出さなかったりしているのをたまに見かけるけど、そこそこ時代が違うので切り分けたほうがいいと思うんだな。
やっとこさ塹壕を抜けると、そこは死臭が漂う無人地帯。ここでのシーケンスがなかなか秀逸でございました。
二人の背後を追うショットから始まり、馬にたかるハエを見るブレイクの表情をしっかりと捉え、カメラは二人の横に回ることでワイドショットに変わり、続いて正面に移動し表情を見せたりと、映像に飽きさせない工夫が随所に見られます。
どこぞのPOVと違い、綿密な計算と最新の機材、そしてスタッフの技術の賜物だなと素直に称賛を送りたい所存です。
さらに2人が意思疎通を図る際は必ずフレーム内に2人を収めることで、無駄にカメラを振らなくても良い構図が取られております。
これが間を挟むような構図だったら、目まぐるしくカメラがパンされ、ゲロ必須の三半規管ぶち壊し映像になっていたところでしょう。
ドイツの塹壕でひとイベント経験し、とある農家でブレイクは離脱してしまうわけですが、スコフィールドに抱えられながら次第に青くなっていくブレイクがとても印象的。
「どうやって顔を青くしていく演出をしているんだろう」と思っていたのですが、あれはディーン=チャールズ・チャップマンの演技出そうで、サム・メンデスですら「どうやってるんだろう?」と首を傾げておりました。
『1917』の七不思議です。
ちなみに完全に絶命した後、仲間の兵隊が現れ一緒に運ぶショットでの顔はメイクの青さですので悪しからず。
途中マーク・ストロング大尉に助けられ、大幅にショートカットを得るスコフィールドですが、作中のミッドポイント(脚本のちょうど真ん中。折り返し地点)ともいえるポイントで撃たれてしまい、劇中唯一のカット割りが入ります。
カット割の目的の一つは、時間を飛ばす(観客に時間を忘れ去れるため)で、もう一つは前半が広大な背景と第一次世界大戦の惨状を見せる自然主義的映像だったのに対し、後半からは神話的映像に切り替えるためです。
ちなみに監督のサム・メンデスと撮影監督のロジャー・ディーキンスはアンドレイ・タルコフスキーの大ファンだということで、作中にはタルコフスキーの亡霊が随所に見られます。
ちょうど切り替わったあとのエクーストは『ノスタルジア』(83)が見えるし、燃えている教会は『サクリファイス』(86)も思わせます。
少し前で農場に寄ったとき、窓から外が見えるショットはモロに『サクリファイス』(86)のオマージュでした。
そういえば、農場でゲットしたミルクをエクーストで出会った赤ん坊に与えてますが、あれは絶対アウトだと思う。
ただでさえなんの処理もされていないしぼりたての牛乳であるし、保冷性が低そうな水筒で何時間たったか分からないほど持ち歩いてるのさ。
大人が飲んでも腹を壊すわ。
運動会の弁当箱開けたら寿司だったくらいやばいと思う。
●優れているけど嫌いな映画
というわけで『1917 命をかけた伝令』(19)は、
ものすごーーく優秀なフィルムメイカーたちが、
ものすごーーく綿密な計画を立てて、
ものすごーーく正確に実行した、紛れもなく優れていて画期的な映画なことには間違い無いですが、身も蓋もないことを言ってしまうと、全編ワンカット風はこっちの身が持ちません。
というのもそもそも長回しという技法は、カットが割らないことで起こる予測不可能性によって、こちらの集中力を駆り立てるための技法であるがため、必然的に集中力を要するのであり、これが没入の正体である。
ただ全編ワンカット風の作品は本作以外にもヒッチコックの『ロープ』(48)や『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』(14)などあることにはあるし、これらの作品で「身が持たない」と感じた記憶がないことを鑑みると、『ロープ』(48)や『バードマン』(14)が基本的に会話劇だからなのかもしれない。
ぶっちゃけてしまうと本作の道中は思ったよりもイベントが少ないがため、退屈を感じてしまうのです。
世の中には4種類の映画があって、
- 優れていて好きな映画
- 優れていないけど好きな映画
- 優れているけど嫌いな映画
- 優れていなくて嫌いな映画
の4つ。
僕にとっての『1917 命をかけた伝令』(19)は優れているけど嫌いな映画に分類されるのでした。
ちなみに本作のドルビーアトモスは素晴らしく、とりわけ無人地帯で頭上を飛ぶ飛行機のシーンは再&高でした。
以上。
スタッフ
- 監督:サム・メンデス
- 制作:サム・メンデス
- 脚本:サム・メンデス
- 撮影:ロジャー・ディーキンス
- 編集:リー・スミス
- 音楽:トーマス・ニューマン
キャスト
- スコフィールド上等兵:ジョージ・マッケイ
- ブレイク上等兵:ディーン=チャールズ・チャップマン
- スミス大尉:マーク・ストロング
- レスリー中尉:アンドリュー・スコット
- クレア・デュバーク
- ブレイク中尉:リチャード・マッデン
- エリンモア将軍:コリン・ファース
- マッケンジー大佐:ベネディクト・カンバーバッチ