お疲れ様です!オレンチです!
今回はDC──、いやアメコミ界が誇るカリスマヴィランを単独で映画化した『ジョーカー』について語っていきます!
いかにして悪のカリスマが誕生したのか。
その真実を探っていきましょう!!
作品情報
- 原題:Joker
- 制作:2019年/アメリカ
- 上映時間:122分
- レーティング:R15
あらすじ/予告編
「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。(映画.comより)
監督・スタッフ
- 監督:トッド・フィリップス
- 制作:ブラッドリー・クーパー他
- 脚本:トッド・フィリップス
- 撮影:ローレンス・シャー
- 編集:ジェフ・グロス
監督はトッド・フィリップス。『ハングオーバー/消えた花ムコと最悪の二日酔い』で一気に知名度が上がった監督です。
遠距離恋愛をしている彼女にビデオレターと間違えて送ってしまったエロビデオを回収するためのドタバタ旅型コメディ、『ロードトップ』から『デュー・デート』や『ウォー・ドッグス』などほぼ一貫してコメディ作品を手掛けている監督でして、今回の『ジョーカー』は異色と言えば異色。ただしトッド・フィリップスのコメディは狂気と隣り合わせの笑いを作り出すので、『ジョーカー』との相性は抜群な気がしています。
撮影のローレンス・シャーもコメディ映画を多く手掛けており、トッド・フィリップスとの相性は抜群のようですね。近年では『ゴジラ・キング・オブ・モンスターズ』といったビッグバジェット映画にも参加しています。
編集のジェフ・グロスは『ウォー・ドッグス』からトッド・フィリップスと組んでいますが、手がけている作品はそれほど多くなく、これからが腕の見せ所といったところでしょう!
キャスト
- アーサー:ホアキン・フェニックス
- マーレイ:ロバート・デ・ニーロ
- ザジー・ビーツ
- ビル・キャンプ
- フランセス・コンロイ
- ブレット・カレン
- グレン・フレシュラー
- ダグラス・ホッジ
- マーク・マロン
- ジョシュ・パイス
- シェー・ウィガム
ジョーカー役に大抜擢された、ホアキン・フェニックス。受賞歴(『グラディエーター』『ウォーク・ザ・ライン』『ザ・マスター』など)を眺めれば、確実に実力を持っている俳優さんで、以外と知られていないのが、『スタンド・バイ・ミー』で有名なリバー・フェニックスの実弟です。
個人的には『グラディエーター』のコモドゥス役が圧倒的に印象に残っています。愛と尊敬に飢えて心が捻じれてしまった男を見事に演じておりました。
オレンチ
どうでもいいけど、クリームシチューの有田さんに似てると僕と弟の間で話題でしたw
本作の脚本は『タクシー・ドライバー』と『キング・オブ・コメディ』に影響を受けていると明言されており、どちらの作品も主演なロバート・デ・ニーロが出演しているのも何かの因果でしょうか。
また、『デッド・プール2』で奇跡な存在感を放っていたザジー・ビーツも参戦。どんな一面をみせてくれるのかたのしみであります!
感想・解説・評価
まずは誠に勝手ながら0.5刻みの5段階で僕の満足度を表すと・・・
[jinstar4.5 color=”#ffc32c” size=”50px”]4.5といった感じ!
社会が生んだ”怪物”
アメコミ界屈指のカリスマヴィラン”ジョーカー”。彼は、圧倒的な特殊能力を持っているわけでもなく、特殊な戦闘スキルを持っているわけでもなく、人知を超えたIQの持ち主というわけでもないです。
にも関わらず、なぜ世代を超えて支持され続けるヴィランなのか。
それは、なんの動機も持たない純度100%の悪だからです。
彼の行う破壊行動は、動機もなければ野望もない。ただ面白いから。つまりただのジョーク。彼にとってのコメディだからです。
故に全ての行動が予測不可能であり、見るものの興味を惹きつけ夢中にさせるのです。
これに説得力をもたらすのが、ジョーカーの生い立ちです。
ジョーカーがなぜ悪の道に進んだのか、登場するたびに理由が変わり曖昧にされてきました。つまり本当の理由は誰にもわからないのです。理由がわからないからこそ、ミステリアスな存在に仕立て上げ、人間らしさを排除することで、純度100%の悪を作り上げているのです。
これを上手く表現したのが2008年公開のクリストファー・ノーランによる『ダークナイト』のヒース・レジャー版ジョーカーです。
したがって、本作がジョーカーの誕生譚を描くという時点で、僕は失敗すると思っていました。なぜなら誕生譚を描くということは、人間らしさを掘り下げるということなので、ジョーカーの魅力を根こそぎ削ぎ落としてしまうと思ったからです。
しかし、その考えは一度鑑賞すると、すぐに間違っていたことに気づかされました。
トッド・フィリップスとホアキン・フェニックスは、全く新しいアプローチでカリスマヴィランのジョーカーを作り上げてしまったのです。
本作はアーサー・フレックのクローズアップショットに映し出される涙から始まります。涙は悲劇を象徴し、アーサー・フレックの置かれている状況を示唆します。
アーサー・フレックは、貧しい生活の中ピエロを演じることでなんとか生活をつなげ、精神を病んだ母親の看病に追われています。
つまり、どん底。時代の最下層をかろうじて生きているのがアーサー・フレックなのです。
何一つ幸せなことなどないのに、皮肉にも彼の母親は彼のことをハッピーと呼び、笑えることなど一つもないのに、精神病によって強制的に笑ってしまいます。
アーサーが置かれている状況と、強制的に与えられる幸せと笑いのコントラストが、どん底感をより鮮明に描き出します。
そんなアーサーが富裕層の証券マン3人を射殺したことから、運命は動き出します。話題の殺人ピエロは非難されるどころか、貧困層にとってのヒーローとして扱われるようになり、富裕層に不満を持った貧困層は次第にエスカレートし、最終的に悪のカリスマ、”ジョーカー”を生み出すのです。
つまり、本作におけるジョーカーは格差社会が生み出した必然的怪物なのです。
故に、貧困層の悲劇を喜劇的に映画いた喜劇王チャップリンの名作『モダン・タイムズ』が引用されているのです。
映画は必ずその時代を投影します。
かつて、レーガン大統領が打った富裕層減税により、アメリカの格差は取り返しのつかないほど大きなものになりました。
そして現在、トランプ大統領による移民の取り締まりによって歴史は繰り返されようとしています。
つい最近、格差社会をテーマに暑かった『アス』があるように、本作にも同じようなテーマが隠れていると僕は感じました。
本作におけるジョーカーは、今まさに現実世界が生み出そうとしている怪物なのかもしれません。これが『ジョーカー』が今作られた意味。社会に向けた警鐘なのかもしれませんね。
傑作な映画とは
かつて映画評論家の町山智浩さんが、「傑作な映画では、始まりと終わりとで登場人物が180度変化する。」と語っていました。
本作に置き換えてみるとどうでしょう。
アーサー・フレックからジョーカーへ180度変わっていったと思えます。
その変わっていく様がいずれも興味と共感を湧き起こすものであり、故に本作は面白く衝撃的でなのです。
知らず知らずのうちにアーサー・フレックに共感し同情し、彼の価値観に引きずり込まれていくのです。
本作の宣伝文句で、「ジョーカーになった瞬間」が話題だったりしますが、僕的にみると「今ここでジョーカーになった!」などというシーンは存在しないように思えます。
本作でアーサーの身に降りかかる悲劇。積もり積もったストレスが、徐々にアーサーをジョーカーに変えていったのだと思います。
むそろそうでなければ、ジョーカーになった瞬間でこの映画のピークは終わってしまうのだと思います。
じっくりと、どっぷりと引きずり込ませてからいつの間にかジョーカーが現れている。だからこそ本作のジョーカーに囚われて、見終わった後放心状態になってしまうのだと思います。
一瞬のインパクトよりも、徐々に侵されていくほうが、作品のより深くまで引きずり込まれると僕は思います。
映画技法の踏襲と進化
監督のトッド・フィリップスはマーティン・スコセッシ監督の『キング・オブ・コメディ』や『タクシー・ドライバー』を参考したと語ります。
ここでは『キング・オブ・コメディ』に注目してみましょう。
参考にしているが故、当然『キング・オブ・コメディ』を踏襲したシーンが現れます。
それが、マレー・フランクリンのTV番組を見ていたアーサーが、妄想に入るシーンです。このシーンの上手いところは妄想を妄想らしい抽象ショット(例えば外枠にモヤがかかっているような)として描くのではなく、より現実的に描き、前のシーンとシームレスに繋いだことです。
これが何を表すかというと、現実と妄想の区別が曖昧なアーサーの心境を体現しているのです。
このシーンは『キング・オブ・コメディ』の映画技法をそのまま踏襲していますが、これだけで終わらせないのがトッド・フィリップスの偉いところ。
この技法を踏襲し、進化させることで本作のスパイスとして観客に衝撃と畏怖を与えました。
それが、ザジ・ビーツ演じるソフィーとの関係が明らかになったシーンです。
『キング・オブ・コメディ』では、抽象的ではないものの、妄想シーンが妄想とわかるようなカット割りが必ずありました。
しかし、アーサーとソフィーの関係はあたかも現実化のように映画の後半まで描かれているのです。
冒頭で妄想癖があることを示唆し、後半でどんでん返し的な衝撃を与える非常に上手い映画技法と言えるでしょう。
映画技法でいうと、本作はルプソワールが多用されています。
[box04 title=”ルプソワール”]被写体の前景に置かれたオブジェクトのことで、鑑賞者の目線を被写体に向けさせるための小道具。
[/box04]アーサー・フレックが映し出されるシーンには必ずといってルプソワールが存在します。当然上で説明したような効果をもたらしますが、前景を置くことで1歩下がって鑑賞している印象を与え、アーサーの悲劇とジョーカーの喜劇を傍観している印象を与えます。
おそらくこれは”劇”である。ということの象徴でしょう。
さらに、本作はしばしば鏡ごしにアーサーが映し出されます。
映画における写り込みは、その人物の2面性を表します。
つまり、アーサーのもう一つの顔、ジョーカーを象徴するテクニックがいたるところに散りばめられているのです。
ジャンルから解放された監督たち
最後に僕の持論ですが、勝手ながら紹介します。
それは、監督が得意なジャンルから離れた作品は成功する。といった内容です。
『アビス』や『ターミネーター』、『アバター』という数々の傑作SF映画を生み出したSF映画の巨匠ジェームズ・キャメロンはSF映画とは似ても似つかない、『タイタニック』で歴代1位を獲得しました。
『死霊のえじき』からスプラッター映画を得意とするサム・ライミは『スパイダーマン』でアメコミ映画界に革命を起こしました。
『グッド・フェローズ』や『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』などクライム映画でその名を轟かせたマーティン・スコセッシ監督は映画愛に溢れた『ヒューゴの不思議な発明』という傑作を生み出しました。
本作が賛否あれども映画史に残る映画だということは間違い無いですが、監督のトッド・フィリップスは『ハングオーバー!』シリーズや『ロード・トゥ・トリップ』などコメディ畑でその名を轟かせてきた監督です。
『ジョーカー』を無料で見るには?
『ジョーカー』を無料で見るには動画配信サービスを利用するのが便利なのですが、現在『ジョーカー』を配信している動画配信サービスはありません。
情報が入り次第以下の記事にてお伝えいたしますので是非チェックしてみてください!