オレンチ
はじめまして。オレンチと申します。
今回は『ディヴァイド』について考察し、僕なりに本作について解説をしていこうと思います。
監督は『ヒットマン』やホラー短編を集めた『ABC・オブ・デス』などに参加したフランスの監督ザヴィエ・ジャン。キャストには審判の日を止めようと戦った我らがカイル・リースことマイケル・ビーンや、『グラン・ブルー』で透明感を放っていたロザンナ・アークエットなどが出演!
というわけで以下目次より早速いってみよう!
この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
『ディヴァイド』のネタバレ感想・解説・考察
核戦争によってニューヨークが壊滅する直前、9人の男女はアパートの地下シェルターに逃げ込むことで難を逃れる。しかし外の環境で人間が生きていくことができず、限られた食料と窓のない地下で生き抜くことを余儀なくされる・・・。
闇堕ちのキャラクターアーク
本作は閉鎖された缶詰のような空間の中、ゴールの見えない極限状態で、人間の本性を炙り出していくようなサバイバル映画と言えるかなと思います。缶詰のような空間で、限られた缶詰で命をつなぐとはなんとも皮肉ですね。
シチュエーション的に似たような映画では『10クローバーフィールド・レーン』やジョエル・エドガートンの『イット・カムズ・アット・ナイト』などがありますが、個人的には『es[エス]』にとてもよく似ている構成かなと思いました。
また『K-19』や『クリムゾン・タイド』といった潜水艦モノにも非常に似た一面がありますね。
いずれにしてもこの類の作品たちに求められるカタルシスは「登場人物に起こる精神面の劇的な変化」かなと思います。
カタルシスというのは、感情の浄化のこと。誤解を恐れずに要約すると、映画を観ていて面白いと感じる部分やストレス解消になっている部分のことを言う。
とりわけこれらの作品では前述した通り、人間の本性を──それも醜い部分が炙り出されて行く変化にこそ需要があるのでは無いでしょうか。上記に挙げた作品たち(特に『es[エス]』)の登場人物はいずれも似たような精神的変化を垣間見ることができます。
ただ本作が他の作品たちと一線を画するのは、おおよそ予想もしなかった最も意外な人物が大胆な行動に出る点で、ここが『ディヴァイド』という作品の印象を強めていることは間違い無いでしょう。
さて、このような登場人物が物語を通じて生じる精神的なのことを「キャラクターアーク」と言います。
出典:Khan Academy
物語中に登場人物の心の変化を円弧状に表現したもので、上記の『トイ・ストーリー』におけるウッディの例がわかりやすいですね。
大衆受けするブロックバスター映画などは、ウッディのように物語の中盤で一度最も低いところまで心を落ち込ませ、クライマックスにかけて大きく成長し、最終的に物語の始まりと終わりを比較するとちょっと成長した人物が出来上がっていることが多いです。
この線の変化が大きく、また共感できるものであればあるほど、登場人物に魅力を感じることができるという仕組みです。
ただしキャラクターアークは必ずしも上記のような線を描かなくてはNGというわけではなく、変化があれば観客を惹きつけることは十分に可能です。
『ディヴァイド』の場合、キャラクターアークは高いところからじわじわジワジワと最下層まで降りて行く、言うなれば闇堕ちのキャラクターアークと呼べる魅力を持っているのではないでしょうか。
順撮りによる肉体的変化
さて『ディヴァイド』はジワジワと人々が闇堕ちしていく、精神的変化のある物語だとお話しました。しかしさらに注目したいのが登場人物たちの肉体的変化です。
実は個人的に『ディヴァイド』は2度目の鑑賞が非常に面白いと思っていまして、その理由は登場人物たちの肉体的変化にあるんです。
というのもこの作品、順撮りというスケジュールの手法が使われいて、順撮りというのは物語が進む通りに撮影をしていく方法です。
実は映画というのはほとんどの場合、クライマックスから撮影して冒頭を撮影して中盤を撮影して・・・と言うように映画の進む通りには撮影されないんですね。おそらくキャストのスケジュールの都合とかロケ地での都合とか色々あるんでしょうけど、そのあたりの詳しいことはわかりません。
ただ順撮りという方法は非常に珍しく、30年以上のキャリアを誇るマイケル・ビーンも本作が初めての経験だったようです。
では“順撮り”が『ディヴァイド』にどのように作用するかと言うと、登場人物たちが痩せて行く様をリアルに描くことができる点です。
物語中は10週間程度の時間が流れているのですが、撮影期間もおよそ2〜3ヶ月とほぼ同じ。その間、キャストたちはかなりのダイエットを強いられていたようで、ジョッシュ役のマイロ・ヴィンティミリアは10キロ近く痩せたそうです。
あまりにもジワジワ痩せていく様が、物語の信憑性を担保しているかのようでした。
クイズ番組で、絵の一部が徐々に変化していく箇所を当てる問題がありましたが、あんな感じ(伝われ)。最初の絵と最後の絵を見比べると明らかに違うのに、徐々に変わって行く動画を見ていても気づかないんですよね。
なので『ディヴァイド』を観終わった後、もう一度本作の冒頭を観ると、確かな違いに驚愕することができるかなと思います。
ちなみにおそらくですが、この順撮りを可能にしたのはなるべく無名のキャストを選んだことと、シチュエーションが1箇所に固定されていることが理由に挙げられるかなと思います。
とくにキャストはなるべく有名じゃない俳優を選ぶことで(マイケル・ビーンやロザンナ・アークエットはレジェンドとして数えることもできますが、世代によるかなということで・・・。)できるだけキャストのイメージに引っ張られない構造を作ろうとしているのでは無いかなと思いました。
例えばここにブルース・ウィリスがいたら、「こいつがなんとかしてくれそう」感はどうしても拭えないですよね。
さて本作は9人の人となりをなるべくボカすことで、誰かに感情移入させることをできる限り抑制しているようにも思えます。9人をチンピラ、リアリスト、母親、子供──、といったようにある種の属性のように配置しているんです。
こうすることで観客は、自然と自分に似た属性目線で物語と向き合うことができます。つまり本作は”力を持った人間はどんな行動を取るのか、力のない人間にどのような影響を及ぼすのか”ということがテーマにあります。
唯一、人となりがよくわかったのはマイケル・ビーン演じるミッキーですね。彼は9・11を経験した消防士だったのでイスラム系に偏見を持っており、終末に備えていたのでしょう。
そんな中、ラストでエヴァが取る行動はやはり衝撃ですよね。最も裏切りとかけ離れていそうな人物が、自分だけが助かるために一心不乱な行動に出るラスト。まさに急激にキャラクターアークに変化のあった瞬間だったと言えるでしょう。