オレンチ
はじめまして!オレンチと申します。
今回は『十二人の死にたい子供たち』について書いていこうと思います。
ちなみに『十二人の死にたい子供たち』はU-NEXTにてレンタル作品として配信中!
見逃してしまった人は以下の記事を参考にしてください!
さらに1月31日には地上波にて放送されるので要チェックです!
では、さっそく『十二人の死にたい子供たち』の感想へ行ってみたいと思います!
目次
作品情報
- タイトル:『十二人の死にたい子どもだち』
- 制作:2019年/日本
- 上映時間:118分
スタッフ
- 監督:堤幸彦
- 原作:冲方丁
- 脚本:倉持裕
- 撮影:斑目重友
- 照明:木村匡博
- 編集:洲崎千恵子
キャスト
- アンリ:杉咲花
- シンジロウ:新田真剣祐
- ノブオ:北村匠海
- サトシ:高杉真宙
- メイコ:黒島結菜
- リョウコ:橋本環奈
- マイ:吉川愛
- タカヒロ:萩原利久
- ケンイチ:渕野右登
- セイゴ:坂東龍汰
- ミツエ:古川琴音
- ユキ:竹内愛紗
- ゼロバン:とまん
犯人はコイツだ!
感想・解説に入る前に、手っ取り早く本作の犯人についておさらいしちゃいましょ!
ただし一重に犯人といっても、本作には“犯人”と呼ぶべき人物が数名存在します。
大筋の犯人は「ゼロバンを殺した人」ですが、結果的に共犯となる人物がいたり、物語の展開していくと小さな事件が発生したりするので、寄り道するような形でいくつかの犯人にわかれます。
それぞれを整理すると、
- ゼロバンを殺した人物
- ゼロバンを運んだ共犯者
- ノブオを突き落とした人物
ですね。
ではそれぞれの犯人と、動機を簡単に解説しましょう。
ゼロバンを殺した人物
ズバリ、ユキ(12番)です。
厳密に言うと、ゼロバンは死んでいなく植物状態でした。
ゼロバンはユキの兄で、事故にあってしまい植物状態に。
ユキはそれを自分のせいだと思い、兄と共に<集団安楽死の集い>に参加しようとしますが、すでに枠は1名しかありませんでした。
ゼロバンを運んだ共犯者
ズバリ・・・、アンリ(7番)とノブオ(9番)です。
アンリとノブオは主催者のサトシが到着11時よりも前に廃病院を訪れており、参加者を屋上から視察しており車椅子で訪れた人物に接触を試みます。
しかし車椅子の人物はすでに息途絶えており、招かれざる死によって<集い>の中止を恐れたアンリとノブオは、車椅子の人物を<集い>の集合場所へと運ぶのでした。
ノブオを突き落とした人物
ズバリ・・・、メイコ(6番)です。
物語の第一幕あたりで、ノブオがゼロバンを集合場所へ運んだことが参加者全員にばれます。
なぜそんなことをしたのか、明かすべく一同は集合場所である地下へ向かいますが、「ノブオの動機によっては<集い>が中止になるかも。」と恐れたメイコが真相を闇にほおむるべく実行しのでした
利己主義らしい犯行でしたね。
感想・解説
まずは誠に勝手ながら0.5刻みの5段階で僕の満足度を表すと・・・
[jinstar3.0 color=”#ffc32c” size=”50px”]オレンチ
3.0といった感じ!
率直な印象を述べると、
なんか思うてたんと違う!
です。
あまり前情報を入れなかったものですから、『ソウ』のようなサイコで鉄の冷たさを感じるシチュエーションスリラーの様なものを想像していたんですが、、、。
そんな感情を踏まえて細かい感想・解説に行ってみます。
サイコ × 青春 = ミステリ
シチュエーションスリラーや、サイコパスを彷彿させるマーケティングの方法もいかがなものかと思いますが、本作はまぎれもないミステリものです。
ミステリものに必要不可欠な「サスペンス」「スリル」「ショック」の三大要素が大きく欠けていたように思えます。
それどころか、監視カメラの様なショットや魚眼レンズを使ったアップショットなどを使ってサイコ感を醸し出しつつも、隙間風かのごとく青春の風が吹き込み、居心地が良いんだか悪いんだかハッキリとしない気持ちの悪い空間になってしまっていたように感じます。
サイコ感を醸し出す演出は本作の監督である堤幸彦さんの作家性によるもので、出世作『トリック』を見ると非常に顕著に現れています。
『トリック』が成功したのはサイコ×コメディだったから。
『ショーン・オブ・ザ・デッド』や『ゾンビランド』が成功したようにサイコとコメディって実は隣り合わせにいるんですよね。
本作にも堤さんは我慢しきれなくなって、ミツエが謎の力持ち設定という堤テイスト丸出しのコメディを挿入しています。
あとは登場人物の誰かが閃いたとき、背景が乱れるほどのスピードで閃いた登場人物にズームショットをしますが、これも堤さんが繰り返し使ってきた技法ですね。
ミステリ的側面で本作を見る分には申し分なく面白いです。それについてはミステリ作品を多く手掛けてきた堤さんの手腕によるものでしょう。
例えば冒頭で推理の手がかりとなるショットを、自然かつ手際よく見せてくれています。(例えば脱げた靴や、放置されたほうきなど)
しかし前述した通り、ミステリものに必要不可欠な「サスペンス」「スリル」「ショック」の三大要素が弱いため、ハラハラドキドキすることなく映画が終わってしまうんです。
かつてサスペンスの神様と呼ばれたヒッチコックはこんな名言を残しています。
汽車の時間に間に合うかどうかギリギリの所で駅に駆けつけるのが『サスペンス』。
発車間際にその列車のステップにしがみつくのが『スリル』。
ようやく座席に落ち着き一息ついたところで、行先が違うことに気づく。これが『ショック』だ。
同世代の俳優たちによる「青春」
本作を青春ものたらしめている大きな要素として、登場人物が全員若手俳優なんです。
しかも動きのある映画ではなく、会話劇に大きな比重を持った映画なので、映画の質は俳優の演技力に左右される特性を持っています。
実際に本作を見てみると、「演技がわざとらしい」と感じる個所が多々あったのではないでしょうか。
善し悪しについて、後述するとして、
これからの日本映画界を担う若手俳優たちによるある意味実験的映画であり、チャレンジ精神にあふれる映画であったように思えます。
これが舞台だとしたら非常に見ごたえのある作品になったように思います。
しかし撮り直しがきく映画である以上、多くの人は無意識ながら質を求めてしまうもので、若手であるが故に演技の粗い部分がノイズになってしまうのもまた事実でしょう。
12人の意味
さて次は少し外して、12という数字の意味について考えてみます。
「十二人が一つのロケーションでディスカッションをする。」という設定は、まず間違いなくシドニー・ルメット監督の名作『十二人の怒れる男』から多大な影響を受けているでしょう。
12と言う数字は、西洋において非常な神聖な数字で、北欧神話ではオリンポス12神。キリスト教ではイエス・キリストの弟子を示す12使途。イギリスのアーサー王伝説における円卓の騎士は12人。
だったりと世界中の伝説や神話に12という数字が登場します。
さらに注目したいのが、これら神話に登場する13番目の人物です。
北欧神話では、招かれざる13番目の神、ロキの手によってラグナロク─、つまり終焉が訪れます。
キリスト教では13番目の弟子、ユダの裏切りによってキリストは磔にされます。また最後の晩餐の時ユダは13番目の席に座っていたとされています。
本作における13とは、物語の発端になるゼロバンのこと。
この招かれざる客の登場によって『十二人の死にたい子どもたち』という映画は動き出すのでした。
死にたい子どもたちの死にたい理由
最後は僕なりに感じた「本作が伝えたかったこと」について考えてみます。
単刀直入にいえば、
死に急ぐな。ということですよね。
死ぬという選択ができるのなら「生きると言う選択もできる」という言葉に胸を撃たれました。
十二人の死にたい理由は、外野から見れば大きい悩みもあれば小さい悩みもありました。
「そんなことで普通死のうと思うか?」と感じる人も少なくなかったと思います。
しかしそんなことは外野の目でみた悩みの測り方であって、本人にとって死にたいほどの悩みに差なんて無いんですよ。
彼らの悩みの苦痛を理解し、手を差し伸べてあげることによって救われる命もある。
そんなことを感じた映画でした。
あとがき
さてここまで読んでいただきありがとうございました!
今回は粗削りな部分が多く見えた若手俳優陣ですが、今後どのような昇華をとげてくれるのか楽しみですね!
それではまた!