オレンチ
はじめまして!オレンチと申します!
今回は『キングスマン:ファースト・エージェント』について書いて行こうと思います。
メガホンを取るの前2作から引き続きマシュー・ボーン。
キャスト勢は大きく入れ替わって主演にはレイフ・ファインズ。脇を固めるのはジャイモン・フンスーとジェマ・アータートンです。
というわけで以下目次より行ってみよう!
この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
『キングスマン:ファースト・エージェント』のネタバレ感想・解説・考察
歴史改変モノと歴史暗躍モノ
本作は『キングスマン』(2014年)、『キングスマン:ゴールデン・サークル』(2017年)に続くシリーズ3作目の作品。
第一次世界大戦を背景に、イギリスの諜報機関「キングスマン」の設立を描いた誕生譚となっていました。
シリーズは全てマシュー・ボーンがメガホンをとっており、全て自分で監督しているのは本シリーズのみ。
オレンチ
本シリーズへの思い入れがよくわかりますよね。
本作を語る上で必ず引き合いに出さざるを得ないのが『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』かなと思います。というのは『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』もマシュー・ボーン監督作品であり、人気シリーズ『X-MEN』の前日譚を描いた作品なんですよね。
しかし同監督作や前日譚という要素よりも両者を比較して語るべき点は、どちらも史実の中にフィクションを投じた点です。
わかりやすく言い換えるならば、「歴史上の事件は、じつはこうだった」という《じつは》の部分にスポットライトを当てた作劇なんですね。
例えば本作の場合「第一次世界大戦の裏で、実はオックスフォード公やその一味が暗躍しており、そのおかげで第一次世界大戦が終結した」ということになりますよね。
『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』の場合は「キューバ危機の裏で、実はX-MENが活躍し、そのおかげで第三次世界大戦を回避した」といったものでした。
またパッと思いつくもので『トランスフォーマー/ダーク・サイド・ムーン』にも同じような作劇が取り入れらていましたね。
『トランスフォーマー/ダーク・サイド・ムーン』は「アポロ計画の裏で、実はNASA(アメリカ合衆国)はトランスフォーマーと遭遇していた」といったエピソードが物語のきっかけになっていました。
個人的にこのような作劇がされている映画を《歴史暗躍モノ》と呼んでいます。
同じような作劇に《歴史改変モノ》と呼ばれているサブジャンルがあり、代表的なものでいうと『イングロリアス・バスターズ』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』などですね。
似ているようで《歴史暗躍モノ》は歴史を改変しないという大きな違いがあります。
《歴史改変モノ》での結末は、現実世界で習った歴史と違う方向に進んでいきます。つまりパラレルワールドが生まれるということになり、別の世界での出来事として認知するんです。
良く出来た《歴史改変モノ》は、パラレルワールド誕生への片鱗を徐々に伺わせ、バタフライエフェクト効果的に分岐点を描いています。
オレンチ
例えば『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では隣人から徐々にシャロン・テート事件へと関わりを持っていきますよね。
対する《歴史暗躍モノ》の結末は、誰もが知っている教科書と同じ内容に落ち着きます。そのため物語は視聴者と同じ世界線として語られ、「第一次世界大戦が終結したのはキングスマンのおかげだった」と思えるように、現実世界にちょっとした影響を及ぼすことになるんです。
故に《歴史暗躍モノ》は必ず「人知れず」という運命を辿ることになります。歴史書を顕微鏡で覗いたような感覚ですかね。
ただ同じ《歴史暗躍モノ》である『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』と『キングスマン:ファースト・エージェント』には決定的な違いがあるんです。
というわけで次の章では『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』と『キングスマン:ファースト・エージェント』には決定的な違いについてお話ししていこうと思います。
前日譚ではなくオリジン
両者の決定的な違い。それは『キングスマン:ファースト・エージェント』は厳密には前日譚ではない。という点です。
「最初に前日譚と紹介しておいて何言ってんだ。」と思うかもしれませんし、あくまでも僕の考察の範疇を抜けることができないので恐縮なのですが、マシュー・ボーンは本作を前日譚として考えていないと思うのです。
伝え方が難しいですが、後から1作目を出したような、そんな感じです。
オレンチ
ニュアンスが伝わりづらく申し訳ありません。
原題を比較してもらうとわかりやすいかもしれません。
『X-MEN』シリーズ、1作目の原題は『X-Men』。その前日譚として制作されたのがマシュー・ボーン監督作の『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』で、原題は『X-Men: First Class』となっています。
対する『キングスマン』シリーズの1作目の原題は『Kingsman: The Secret Service』。その前日譚とされている作品が本作『キングスマン:ファースト・エージェント』で、原題は『The King’s Man』となっています。
本作の方が非常にシンプルなタイトルになっており、1作目に好んでつけられるようなタイトルになっていることがお分かりいただけると思います。
さらにそう思わせるのは、前日譚というタイプの作品によくある「目配せ」がほとんど無いという点です。
例えば『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』では物語の本筋とは全く関係ないウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)が半ばファンサービス的に登場しますよね。
このように前日譚と呼ばれる作品には決まってファンを喜ばせる(悪く言えば喜ばせるためだけの)ショットが用意されています。
しかし『キングスマン:ファースト・エージェント』ではそういった描写はほとんどなく、あくまでもキングスマンという諜報機関がどのような行動原理で生み出されて行ったのかを丹精に描いていましたよね。
オレンチ
1番試着室を見せるショットや「ステイツマン」にこだわるあたりが目配せと言えば目配せですが。
ようするに、仮に公開順が入れ替わっていても違和感に感じるシーンが無いんですよね。
そう言ったことから前日譚というジャンルに当てはまらないのではと感じた次第です。
歴史の中に忍ばせた古き良きスパイ映画
さて本作の物語をコンパクトにすると「第一次世界大戦を通して様々な陰謀を目の当たりにしたオックスフォード公が、足枷なく暗躍できる諜報機関を作る」というお話しですよね。
この物語の中に『キングスマン』というシリーズが大切にしている「古き良きスパイ映画の再生」というテーマを見出すことができます。
最も大きく「古き良きスパイ映画の再生」を感じさせるのは、本作に登場する悪の組織です。
組織ということを認識させる指輪や、コードネームを彷彿させる幹部に割り振られた動物、そして坊主頭で顔が不明な黒幕…。
どっからどう見ても『007』シリーズにおける「スペクター」ですよね。
さらにこの組織は表舞台に立っている権力者を裏で操り第一次世界大戦を巻き起こします。これって古き良きスパイ映画における悪の組織が常に目論んでいた世界征服となんら変わりがないんですよ。
つまり第一次世界大戦という歴史上の大事件を、悪の組織の世界征服的計画だった。と大胆にも利用してみせたんです。
やはりと言うかなんと言うか、わかりやすいまでの悪の組織図には興奮を覚えざるを得ないですよね。
悪の組織といえば、本作屈指のスパイス的キャラクター、ラス・プーチンを語らずべくして本作の評を終わることはできないでしょう。
ラス・プーチンといえば青酸カリの毒で殺すことができなかったため、殴打によって殺害した遺体を川に流したそうですが、あとで確認してみると死因は打撲ではなく溺死だったという不死身としか思えないエピソードを持っている実在した人物です。
このような脅威的なエピソードをもっていることから、様々なフィクション小説や映画に登場することがあり、代表的なところで言うと『ヘル・ボーイ』のメインヴィランでした。
オレンチ
本作でも青酸カリで殺すことができなかった流れが描かれていましたよね。
そんなラス・プーチンも、マシュー・ボーンの手にかかればキングスマン感に侵食されていました。時代や国に合わせたクラシックミュージックをバックに繰り広げられた、ダンスを型とするラス・プーチンとの殺陣は最高でしたね。
秀逸なのは少し前にラス・プーチンをダンサーとオックスフォード公が弄ることで伏線を作っている点です。
似たような伏線は様々な場面に散りばめられていて、例えばショーラ(ジャイモン・フンスー)が飛行機嫌いな点だったり、ポリー(ジェマ・アータートン)がオックスフォード公に対し、「心配しすぎると現実になる」とコンラッドの死を予言していたりしました。
コンラッドの死といえば、物語のテイストが大きく変わる非常に重要な出来事ですが、彼の死を伝えにきた、どっからどうみてもアーロン・テイラー=ジョンソンなアーチー・リードという人物に気を取られたりもしちゃいましたね。
オレンチ
レーニンの登場や、チラ見したスタンリー・トゥッチの登場によりいよいよこっちのタイムラインでも続編やる気だな!と感じだしました(笑
殺陣といえばコンラッドが第一次世界大戦の前線で見せた、夜の殺陣もよかったですね。何が良いかって、音を立てる(両軍の塹壕にさとられる)ことのヤバさを最終的に見せてくれた点にあると思います。
視聴者の目も欺いたアガる演出
第一次世界大戦は激化し、護衛していたフェルディナント夫婦を殺害され、親友とも呼べるハーバート・キッチナーを失ってしても平和主義を貫くオックスフォード公に物語の停滞を感じた人は少なくないのではないでしょうか。
少なくとも僕はそう感じました。
もう少し停滞が続けば飽きを感じ出すすんでのところで、なんと秘密の扉が開くではありませんか。
中には最も信頼のおけるショーラとポリーがいて、すでに諜報活動をスタートしていたという点が最高でした。
このシーンで僕は本作最高の興奮を覚えたのですが、なぜそう感じさせたのかといえば物語の停滞という感覚を逆手にとっているからだと思います。
このケースの場合、物語の停滞は直接オックスフォード公へのストレスに関係してくると思います。
要するに「さっさと行動に移せよ」とコンラッドと同じような感覚に陥るわけですが、実はオックスフォード公がするべきことを、期待値以上にしていたという点が素晴らしいのです。
また使用人をネットワークにして諜報活動をするというアイディアも非常に良かったと思います。スパイの本質に最も近い描写だったのではないでしょうか。