オレンチ
はじめまして!オレンチと申します!
今回は2004年に公開された『スパイダーマン2』について書いて行こうと思います。
メガホンを取るの前作から引き続きサム・ライミ。主演も前作から引き続いてトビー・マクガイアです。
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』に向けた予習的な鑑賞なのでサクッとレビューしてみます。
というわけで以下目次より行ってみよう!
この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
目次
『スパイダーマン2』のネタバレ感想・解説・考察
最先端の技術が可能にしたドック・オク
『スパイダーマン』シリーズの持ち味といえば、自由自在、縦横無尽にニューヨークの街を飛び回るエクストリームなアクションですよね。
前作のグリーン・ゴブリン戦からさらにグレードアップしたエクストリームアクションを『スパイダーマン2』では魅せてくれていました。
全編通して贅沢に盛り込まれたアクションのおかげで、誰もが楽しめる珠玉の娯楽映画となっている本作ですが、前作とは明らかに違うある要素によって、技術の進化を感じざるを得ない点があります。
というのは前作と本作では徹底的にヴィランに違う点があるです。
グリーン・ゴブリンとドック・オク。一体どんな違いから技術の進化を感じることができるのでしょうか。
答えは顔。
たしかにウィレム・デフォーとアルフレッド・モリーナでは顔の系統が違いますが、そういうことではありません。
グリーン・ゴブリンやスパイダーマンはフルフェイスで顔を覆っているのに対し、ドック・オクはサングラスをかけているというだけでほとんど素顔ですよね。
素顔をCGで描くという技術が前作から明らかに向上しているのです。
前作『スパイダーマン』の中に「ピーターが素顔のまま壁を登るシーン」というのがあるのですが、そこをみていただければその進化は顕著にあらわれていると思います。
ちなみに「ピーターが素顔のまま壁を登るシーン」に感じられる人間をCGで描いた時のCGっぽさを業界用語で[不気味の谷]と呼び、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』で登場したヴィジョンには逆転の発想として[不気味の谷]が用いられています。
ドック・オクを素顔のままCGで描くことを可能にした技術が[イメージベースドライティング]と呼ばれる技術。
これは現実世界において、360度全方向から光を当てながら被写体をキャプチャし、人間の顔の非常に繊細な凹凸を再現することに成功しています。
[イメージベースドライティング]が映画に応用されたきっかけは、VFXのシタデルとも言うべきILMが『パール・ハーバー』に導入したこととされています。もちろん2021年現在でも[不気味の谷]を脱することができていないのは、最新映画を観れば一目瞭然ですが、本作はサングラスと激しいアクションによって巧みに[不気味の谷]を誤魔化すことに成功した恒例と言えるでしょう。
サム・ライミ版がアメコミ映画の青写真を確立させた
前作のレビューでもほんの少し触れましたが、今回の予習でアメコミ映画史において、本シリーズが非常に重要な分岐点だと言うことが見えてきました。
前作・本作・次作を俯瞰してみると、アメコミ映画における三部作の青写真を確立したことがよくわかります。
サム・ライミ版『スパイダーマン』が登場する以前のアメコミ映画はDCコミックス原作が主流であり、主に『スーパーマン』と『バットマン』が牽引していたという事実を前回の記事でお話ししました。
『スーパーマン』も『バットマン』も4作品作られており、どちらも俯瞰してみてもそれぞれ大きなつながりを感じることはできません。
オレンチ
『バットマン』はティム・バートン版を起点としてお話ししています。
しかしサム・ライミ版『スパイダーマン』三部作を俯瞰してみた場合、大きな一つの物語として見ることができるのです。
様々な要素がそうさせていますが、最もわかりやすいのは「ピーターとハリーの物語」になっている点ですね。
面白いことにサム・ライミ版『スパイダーマン』が登場した後の、クリストファー・ノーラン版『バットマン』はサム・ライミ版『スパイダーマン』と非常に似た構造の三部作となっていました。
三作目の役割については次作『スパイダーマン3』で詳細にお話しするとして、ここでは二作目の役割を『スパイダーマン2』に当てはめて考察してみましょう。
新しい葛藤を与えストーリーを前に
『ヴェノム レット・ゼット・ビー・カーネイジ』評でも話題にしましたが、アメコミ映画二作目の役割はヒーローとなった人物の《キャラクター性の深堀》です。
キャラクター性とはその人らしさ、つまり個性のことですね。その人らしさを表すにはその人の日常を描くことで自然と浮かび上がってきます。
というわけでアメコミ映画二作目は、ヒーローとなった人物のヒーロー的な日常を描くことが非常に多いです。
そのパイオニアとなったのが本作『スパイダーマン2』なんですね。
『スパイダーマン2』では冒頭で、スパイダーマン的ピザの配達を見せることでスパイダーマンになったピーター・パーカーの日常をうまく表現していました。スパイダーマンとしての活動が障壁となり、ピーター・パーカーとして生活がままならず、小さな葛藤として積もり積もっていましたよね。
結局この葛藤は本作における大きな葛藤へと変貌していき、スパイダーマンを引退にまで追いやります。
オレンチ
ちなみにピザのお金を払ってくれなかった受付は『ボーンズ』で主演を演じたエミリー・でシャネル。『500日のサマー』などで有名なズーイー・デシャネルのお姉さんですね。
ほかにもブリジット・モイナハンやヴァネッサ・フェルリトが出演していたり、過去作を見るとチョイ発見があって楽しいですよね。
このように二作目ではヒーローになったがゆえの障壁を詳細に描き、ストーリーを前に進める新たな葛藤として増長させます。葛藤なくして物語は前に進みません。
結果的にヒーローは力を失ったり、引退を経験したりします。『スパイダーマン2』ではどちらも経験していましたね。
本記事を執筆時点でまだ劇場公開中ですので、ネタバレを避けるために詳細は避けますが『ヴェノム レット・ゼット・ビー・カーネイジ』も同じような流れを辿っていたと思います。
もちろん前作のグリーン・ゴブリン同様、ドック・オクことオットー・オクタビアスも丹精に描くことで彼の行動原理を示していますし、スパイダーマンvsドクター・オクトパスをラウンド戦として見せることで満足度を高いものにしてくれていましたね。
中でも列車上での決闘ラウンドでの結末は全『スパイダーマン』作品の中でも屈指の感動シーンとなってたと思います。
というわけで次の章では列車上での決闘ラウンドについてお話ししていこうと思います。
ヒーロー映画における人命救助の重要性
アメコミ映画の中で出来るだけ描いた方が良いシーンの一つに、人命救助というものがあります。
本作における人命救助シーンは列車上のシーンとなるわけですが、このシーンはある種スパイダーマンのアイコンとなり、後に実写化される『スパイダーマン』作品でも模倣されることになります。(原作にもあるんでしょうか?)
ヒーロー映画における人命救助シーンの醍醐味はそのヒーローの能力を駆使して、人命救助を行うこと。つまりそのヒーローにしかできない人命救助を行うことです。
オレンチ
ヒーローにおける人命救助の重要性は漫画『僕のヒーローアカデミア』でも描かれていましたね。
『僕のヒーローアカデミア』や本作でメイおばさんも語っていましたが、ヒーローの本質とは誰かの指針となることだと思います。
指針となりうる徳の高い行為として見せることができるのが、人命救助というわけなんです。
本作ではドック・オクの策略によって暴走してしまった列車を奈落に落ちる直前、スパイダーマンがスパイダーマンらしさ満点で列車を停止させ、乗員・乗客を救うことになっていましたよね。
しかし他のアメコミ映画と一線を画するのは、この後の展開です。なんと気を失ってしまったスパイダーマンを今度は乗客たちが救うのです。
彼らはスパイダーマンの素顔を見てしまいますが、黙秘を約束し、スパイダーマンのためにドック・オクの前に立ちはだかるんですよ。
ドック・オクの前に立ちはだかる時に見せる乗客の恐怖に怯えつつも、親愛なる隣人のために自己犠牲を払おうとする姿がなんとも感動的なのです。
オレンチ
他者同士の心が一つになるシーンは、どんな映画でも感動的ですよね。そこに言葉はいらない感じがとても好きです。
スパイダーマンを他のヒーローとは違う、「親愛なる隣人」として描いた最高のシーンでした。