みなさんこんにちは!オレンチ です!
今回は『Men in Black International 』(メン・イン・ブラック インターナショナル)についてのお話です!
まず単刀直入に
SFに大きく比重が寄ってしまいMIBの良さを殺してしまった。
という感想でした。
ではなぜそう思ったのでしょうか?
順番に解説していきます。
MIBの良さとは?
MIBの良さを殺してしまったと言いましたが、果たしてMIBの良さって一体何なんでしょう?
MIBの良さとは、
超現実主義が作り出す心地よい気味の悪さ
です。
まだよく分からないですね。もう少し噛み砕いてみます。
超現実主義
超現実主義とは、《強度の現実》《現実以上の現実》を表現したことで、一言で言うと《無意識の領域》だそうです。
思い出してみてください。
バリー・ソネンフェルド監督の、トミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスが活躍した『MIB』では、地球もビー玉の中に詰められた銀河の一部であり、それは異星人のおもちゃにすぎませんでした。
続く『MIB2』では、MIBニューヨーク本部のある扉は、巨大な異星人たちが支配する世界のロッカーの中に繋がっていました。
もっと掘り下げると、マンハッタンの至る所に異星人が隠れて暮らしていたり、自分が働いている郵便局の過半数が異星人だったりしました。
つまり自身が暮らしている日常のすぐ裏側に、想像を超えた現実が存在しているということを前提に、
《無意識の領域》に意識が踏み入れた瞬間の映像化がMIBの良さ。
それを追体験させてくれるのがエージェントJ(ウィル・スミス)の存在ですね。
心地よい気味の悪さ
そもそも都市伝説がMIBの大元なので気味が悪くて当然なのですが、それをうまい具合に心地よくさせてくれるのがバリー・ソネンフェルドの手腕とウィル・スミスのスター性でしょう。
バリー・ソネンフェルドの手腕については、『アダムスファミリー』の監督。という事実だけで説明が完結してしまいそうですねw
簡単に説明すると、
絵的に見たら関わりたくないような気味の悪い連中、もしくは彼等と関わる連中に、ほんの少し間のネジを外したり隙を与えたりしているのです。
《例えば虫には優しいバグ》だとか、《簡単に異星人の頭を吹っ飛ばすK》だとかが該当すると思います。
それに加えて、ウィル・スミスのコメディ的側面が大きく貢献しているでしょう。
巻き込まれながらも正義感に負け、皮肉を垂らしながら問題に向かう様がウィル・スミスお得意のコメディでありヒロイックな部分でもあると思います。
最近の『アラジン』でも上記のようなウィル・スミスの良さがよく表されていたと思います。
ちなみにトミー・リー・ジョーンズが『MIB』に対してこんなことを言っていました。
「8歳の子供にもわかるし、70歳の人でも楽しめる。」
このわかりやすさこそMIBの最も尊重すべき良さなのかもしれませんね。
思えば90年代の映画は上記のようなわかりやすい映画であふれていたように思えますし、ウィル・スミスのコメディ&ヒロイックなキャラクターを上手に使った作品であふれていたと思います。
どのように良さを殺したのか
ではどのように良さを殺したのか説明していきます。
思いっきりSF
端的にいうと、
SF的要素に思いっきり比重が寄っていたからです。
エージェントMが誕生してからの本作は、ほとんどと言っていいほどMIBという組織からみた世界観になっていたと思います。
エージェントMニューヨーク本部からロンドンに到着するまでの流れは100%SFの世界で完結されていましたし、冒頭で護衛を任された異星人のクラブ内も100%異星人たちだけのものでした。
エージェントHが冒頭でマフィアとやりあう空間も、100%異星人の空間でした。
これらに共通することは、
誰も異星人たちが身を隠そうとしていないという点です。
こうなってしまうと、『スターウォーズ』や『スタートレック』、最近だと『ヴァレリアン』と言ったようなスペースオペラなジャンルと何ら変わらないんです。
「質屋が実は宇宙人の武器屋だった」
とか、
「アパートの隠し部屋が武器庫だった」
みたいな日常の裏側がMIBには必要なんです。
寒い演出&コメディ
これは完全にF・ゲイリー・グレイ監督が苦手としている部分だと思います。
『ストレイト・アウタ・コンプトン』のような最高にクールな作品も作ったりしていますが、コメディに寄るとからっきしダメですね。
1作目をなぞろうとして、モリーからエージェントMへ変身するシーンはとてつもなくダサいテンポになっているし、
ニューヨーク大停電を引き起こした原因に触ってしまったJのオマージュが用意されてはいるものの圧倒的にインパクト不足だったり、
クリス・ヘムズワースということでソーネタをぶっ込んで見たもののあざとすぎたりと、所々寒い箇所が目立ちます。
『ゲット・ショーティ』に対して『Be Cool』で同じような失敗をしているところを見ると、やはりF・ゲイリー・グレイ監督が苦手としている部分なのでしょう。
追体験としては100点
ここまで印象が悪い部分を語ってきましたが、第一幕─。特にエージェントMが誕生するまでの構成というか、追体験としては100点の作りになっていると思います。
よくバディムービーで使われる方法ですが、バディの片一方を観客に近い人物にするのです。
『MIB』の場合エージェントJがそれで、エージェントJはMIBという組織のことを全く知らず、エージェントKやZから事細かに説明を受けます。
これはエージェントJに説明するのと同時に観客の我々にもMIBという組織について説明しているのです。
『MIB』という作品がその時シリーズ1作目なわけで、当然観客はJと同じような状況になっています。
では本作の場合はどうでしょう。
基本的にエージェントJとエージェントMは《新人》という点に変わりはないですが、圧倒的に違う点が一つあります。
JとMが圧倒的に違う点とは、
エージェントMはMIBの存在を知っていて真相を探している。
『MIB』が公開されてから22年もの月日が経っていて、見ている観客のほとんどは大まかな設定はすでに知っている。
しかし物語の構造上、新人として登場させたい。
そこで編み出された設定が、ニューラライザーから逃れた少女。ということです。
これってとても観客の状況と似ていると思いませんか?
このおかげで余計な説明もなく、シームレスにエージェントMはMIBの一員になっていけるのでした。
テッサ・トンプソンの可能性
本作でテッサ・トンプソンの新たな側面を見ることができたと思います。
これだけでも大きな収穫かなーと個人的には思っています。
というのもテッサ・トンプソンといえば、『ソー/ラグナロク』のヴァルキリーで強い戦士を演じ、『クリード』のビアンカで夫を支える強い妻を演じ、『ウエストワールド』のシャーロット・ヘイルでは権力者の役などを演じてきました。
これらに言えることは、
メンター寄りの役を演じることがほとんどだったということです。
メンターとは主人公を支える師匠的な存在のことを指します。
しかし本作では主人公として成長するエージェントMを演じていましたよね。
演じれる役の幅広さを確認でき、今後演じる役がとても楽しみな女優さんになりました。
終わりに
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!
映画は何度も何度も見て、己の正しい感想にたどり着くものだと思っています。
手元に『MIBインターナショナル』がやってきたらいろんなバージョンで鑑賞しようと思っています。
その時にまた追記をしようかなと。
発売やレンタル開始後にもう一度訪れていただけるとまた嬉しいです!
それではまた!