お疲れ様です!オレンチです!
今回は『記憶にございません!』をレビューして行こうとおもいます。
久しぶりの国内産。当ブログでは『飛んで埼玉』以来でございます。
特に邦画を避けているわけじゃないんですが、なにぶん劇場に足を運べるチャンスが少ないものでして。どうしても観たいものを選択すると。。。といった感じでございます。
ただね、尊敬する映画ブロガーふかづめさんの「昭和キネマ特集」を毎日のように約1ヶ月半も読み続けていたのでね。全然久しぶりな気がしないんですよw
オレンチ
「昭和キネマ特集」はめちゃくちゃ面白いので是非是非ご覧くださいね!
それでは『記憶にございません!』の感想・解説・評価、いってみましょー!
作品情報
- 原題:記憶にございません!
- 制作:2019年/日本
- 上映時間:127分
あらすじ/予告編
国民からは史上最悪のダメ総理と呼ばれた総理大臣の黒田啓介は、演説中に一般市民の投げた石が頭にあたり、一切の記憶をなくしてしまう。各大臣の顔や名前はもちろん、国会議事堂の本会議室の場所、自分の息子の名前すらもわからなくなってしまった啓介は、金と権力に目がくらんだ悪徳政治家から善良な普通のおじさんに変貌してしまった。国政の混乱を避けるため、啓介が記憶を失ったことは国民には隠され、啓介は秘書官たちのサポートにより、なんとか日々の公務をこなしていった。結果的にあらゆるしがらみから解放されて、真摯に政治と向き合うこととなった啓介は、本気でこの国を変えたいと思いはじめようになり……。(映画.comより)
監督・スタッフ
- 監督:三谷幸喜
- 制作:石原隆、市川南
- 脚本:三谷幸喜
- 撮影:山本英夫
- 編集:上野総一
キャスト
- 黒田啓祐:中井貴一
- 井坂:ディーン・フジオカ
- 黒田聡子:石田ゆり子
- 番場のぞみ:小池栄子
- 寿賀さん:斉藤由貴
- スーザン・セントジェームス・ナリカワ:木村佳乃
- 山西あかね:吉田羊
- 大関平太郎:田中圭
- 南条実:寺島進
- 黒田篤彦:濱田龍臣
- 夜のニュースキャスター:有働由美子
- 柳友一郎:山口崇
- 小野田:梶原善
- 梶原善:藤本隆宏
- 野々宮万作:迫田孝也
- 鱒淵影虎:ROLLY
- 八代:後藤淳平(ジャルジャル)
- ジェット・和田:宮澤エマ
- 鶴丸大悟:草刈正雄
- 古郡祐:佐藤浩市
感想・解説・評価
餅は餅屋。脚本は脚本家。
まず身も蓋もなく、語彙力を全開に崩壊させて申し上げると、シンプルに脚本が面白い!
名の知れた脚本家が自分で書いて自分のイメージのまま監督しているんだからそりゃ面白くなりますよ。
じゃあ面白い脚本って何かってことですが、それは
《伏線と回収》
だと僕は思います。
今僕が見返しているタランティーノは《伏線と回収》がとても上手いし、ブルース・ウィリスの代表作『ダイ・ハード』は《伏線と回収》の宝庫だったりします。
伏線と聞くとビックリするようなどんでん返しなどを想像しがちですが、もっと細かな部分にも潜んでいます。《伏線と回収》を上手に扱っている映画は、無駄なシーンが少なく感じるはずです。
というか脚本というものは伏線と回収によって味わいが増すように出来てると思うんです。
本作を例に挙げてみましょう。
大きいところで言えば、草刈正雄が演じる鶴丸が10年間も官房長官を務めているという事実が、後になって政界が腐敗している原因に繋がってきます。
K2計画についても序盤から何度かわざと正式名称を伏せた状態で会話の中に登場し、後になってその詳細が「国会議事堂2」ということがわかり、さらに井坂(ディーン・フジオカ)が改心するきっかけにも繋がります。
さらに、黒田内閣総理大臣(中井貴一)が独断でさくらんぼを食べるシーンは、記憶喪失によって政界に不慣れであることを示していますが、後のアメリカンチェリーの件と繋がってくるんです。
さらにさらに細かいところで言えば、記憶喪失の黒田総理を捕まえた大関平太郎巡査(田中圭)についても映画の冒頭に井坂が「警官もなんとかしなければ」とつぶやいていますが、その結果、稚内まで左遷されていたことを映画の後半に知ることができます。
もっと細かいと黒田総理大臣になぜ石から守れなかったのか聞かれたSP古賀(藤本隆宏)は、2度目のスナイパーから見事に総理大臣を守ってみせました。
というように、本作は随所に《伏線と回収》が丁寧かつ賢く散りばめられているんですよ。
ギャグセンスの是非は置いといて、以上から脚本としてはとても良くできた作品だったと思います。楽しませてもらいました。餅は餅屋、脚本は脚本家ということですね。
ちなみにギャグについて、最も笑ったのは官邸の抜け道ですね。
いや、あるんかい。とw
総理大臣は子供達が目指すものであること。
三谷監督は本作について「風刺はしていない」と発言していますが、僕にはどうしても風刺を感じざるを得ないんですよ。
政治を知らない者や、興味がない者、かつては熱意を持っていたがいつの間にか冷めてしまった者──。
黒田総理の周りには本人を含め、政治から心が離れた人物ばかりが集まっています。
これって今の日本そのものではないでしょうか?僕を含めてになっちゃいますが、政治や日本という国に興味のない人が圧倒的に多いと感じています。
選挙が近くなると街頭インタビューで「自分の一票だけじゃ何も変わらないから選挙に行かない」というスットコドッコイが必ず現れますしね。
ただしその一票を形にしない限り、本作のようなダメ総理大臣が国を回すことになり、結果的に末端の労働者が被害を被ることになるんですよね。本作のきっかけとなった投げられた石もダメ総理がゆえに起こってしまったことです。
税金が上がることで少し話題になっていますが、それも政治家だけの問題や責任ではないんじゃないかなと思います。
元をたどれば我々国民によって選ばれた政治家な訳で。
つまるところ、政治家というのは国民の声をすくい上げそれを実行してくれるというだけであって、本来国を動かすべきは国民一人一人なんじゃないかと。
何もしないことが自由なのではなく、発言し行動できることこそ本当の自由なんじゃないかなと思った次第でございます。
ごめんなさい、政治について全然わからないのにそれっぽいことを言ってしまいました。怖いツッコミは無しでお願いしますw
選挙は毎回欠かさず行くようにしているのですが、薄っぺらい義務感や惰性で行っていたことを本作を見て深く反省しました。
「政治家の華やかな暮らしを見せて何がいけない。もっと見せて、興味を持たせ、子供達の夢が将来は総理大臣になりたいと思わせなければならない。」
と、黒田総理の恩師が言っていましたね。
至極その通りだと思います。少なくともこの言葉で僕の心は動かされました。
そう思わせたのは、本作が政治に対して何も描写がないからだと思います。
政治に対して描写がないのに政治に対して心を動かされる──。なんだかすげー矛盾しているように聞こえますが、要するに政治の難しい部分は全く描かれていないということです。
難しくなれば難しくなるほど、集中力は失われ興味は薄れて行ってしまいます。本作の場合、政治というフィールド上でクセのある人物たちが誰にでもわかるやり取りを交わしているだけに過ぎないんですよ。
故に集中力は維持できますし、興味は持続するんです。
奥行きと長回し
兎にも角にも本作はルプソワールと言われる、被写体に観客の焦点が行くように前景に配置するオブジェクトがほぼ全てのシーンに挿入されています。
例えば、室内に飾られている観葉植物の一部だったり、椅子のごく一部だったり。
時には総理自身がルプソワールの役目を果たしたりもしていました。(肩越しショットと呼ぶにはあまりにも総理の部分が少ない)
これがうまいのは下手なのかちょっと僕ごときではまだ判断できませんが、あまりにも多くて気になった次第でございますw誰かこの意図を教えてw
さらに特徴的なのは言わずもがな長回しショットですよね。
長回しショットの特徴は、次に何が起こるかわからないという緊張感の意地です。
例えば長回しではない会話シーンの場合、
- マスターショット(二人とも画角に収まっているショット≒ツーショット)があって、
- ミディアムクローズアップ程度の距離感でお互いの顔を反復させ、
- ある瞬間どちらかの顔にクローズアップする。
みたいなセオリー的流れがあり、3の段階で「観客は何かが起こるかも」と身構えれます。そもそもカットを破るごとに緊張感はリセットされてしまいますしね。
長回しの場合、このような映画目が通用しないんですよ。
基本的にシーンの最後には何かが起こるもので、故に「いつ何かが起こるのか」という緊張を観客に与えることができるのです。
吉田羊との絡みシーンはある段階まで、これから何がおこるのかわからない緊張感がうまく機能していましたよね。
最後になりますが、小池栄子を久しぶりに見ましたが、
めっちゃ美人!
ここ最近で一番刺さったかもしれません。内Pに出ていた頃が懐かしいですが、今の方が圧倒的に良いですなぁw
歳をとってなんとも言えない色気を放っとりました。
あともう一人、ROLLYさん!!!!!
いやね、すげークセのある人だなぁ〜と思ってたんですよ。夫人の兄ちゃん。ものすっごい違和感あって。
ギターを弾いた瞬間にね、繋がりましたよw。ROLLYさんにw
ROLLYさんはNHKの傑作スチームパンク『ムジカピッコリーノ』に出ていて記憶に新しいですが、さすがにノーメイクでは気づかねーわww