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『マッドマックス:フュリオサ』解説ネタバレ感想・伏線・考察【評価】

オレンチ
オレンチ

はじめまして!オレンチと申します。

今回は2024年に公開されたジョージ・ミラー神による『マッドマックス』シリーズ第5弾。

『マッドマックス:フュリオサ』についてお話をしていきます。

原題は『Furiosa: A Mad Max Saga』となっているので、ナンバリングタイトルというよりスピンオフ的な位置付けという理解で良いのかもしれないですね。

というわけで早速ですが本題へ!

注意

この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

『マッドマックス:フュリオサ』のネタバレ感想・解説・考察

『フュリオサ叙事詩』

2015年──、27年ぶりに封切られたシリーズ第4弾となる『マッドマックス:怒りのデス・ロード』(以下『怒りのデス・ロード』)はDNAレベルで渇望する物語と、視覚と聴覚で感じることができるストーリーテリングによって世界中の映画ファンの度肝を抜きました。(詳しくは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』評をご覧ください)

『怒りのデス・ロード』以前までのシリーズはタイトル通り、本能のみで荒野を彷徨う元警官・マックス・ロカタンスキーが主人公でした。

しかし『怒りのデス・ロード』では実質主人公が二人。

一人はもちろんマックス・ロカタンスキーでしたが、その片棒を担ぐのが金髪爆弾ことシャーリーズ・セロン演じるフュリオサ大隊長だったわけです!

オレンチ
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おそらくフュリオサ役が『アトミック・ブロンド』(金髪爆弾)の配役に影響していますよね!

場合によってはフュリオサが主役!といっても過言ではないくらい存在感は圧倒的なもので、元々構想があったことも助けてかかなり奥行きの深いキャラクターだったことは言うまでもないでしょう。

そして『怒りのデス・ロード』からおよそ9年。

シャーリーズ・セロンからアニャ・テイラー=ジョイへと継承され、前日譚としてフュリオサがスクリーンの前に帰ってきたのでした。

そんな『マッドマックス:フュリオサ』がどんな映画だったのか、簡単に表現をすると『フュリオサ叙事詩』だったと言えます。

叙事詩(じょじし)とは、英雄的な出来事や神話、歴史的な事件を物語形式で描く長編の詩のことを指します。

叙事詩は主に以下のような特徴を持っています。

  • Ⅰ.英雄的テーマ:英雄が登場する壮大な物語を描くことが多く、戦争・冒険・試練などのテーマが扱われる。
  • Ⅱ.長編形式:通常は非常に長い詩であり、多くの章に分かれて語られる。
  • Ⅲ.詩的構造:韻律や定型詩形式に基づいて書かれる。古代の叙事詩はしばしば口承で伝えられたため、覚えやすい形式になっていることに由来する。

ちなみに最も古い叙事詩は『ギルガメシュ叙事詩』で紀元前2100年頃から紀元前1200年頃に作られたとされる人類最古の文学作品です。

オレンチ
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『フュリオサ叙事詩』という例えは『ギルガメシュ叙事詩』からもじりましたw

叙事詩の主な特徴を『マッドマックス:フュリオサ』に照らし合わせてみると、ジョージ・ミラー神が本作をいかに叙事詩として構築しようとしてた──ということが見えてきます。

まずⅠ.英雄的テーマについては、「何があろうと、どれだけ時間がかかろうと、必ず家に帰る」という母との約束を果たすため、帰郷という試練がフュリオサに与えられていますね。

帰郷については本作の行動原理となっている、非常に重要なテーマなので後述します。

続いてⅡ.長編形式については言うまでもなく、『マッドマックス:フュリオサ』は章立ての構造になっており、ここでも叙事詩を目指していたことが伺えます。

ただこの構造を選択したことが、本作の評価が分かれる決め手となったように思えます。

個人的に『マッドマックス:フュリオサ』がⅡ.長編形式を選んだことに大賛成なので、帰郷についての点と合わせて後述します。

最後はⅢ.詩的構造についてですが、ヒストリーマンという男を物語の中に放り込むことによって具現化しています。

思い出していただきたいのですが、『マッドマックス:フュリオサ』という作品は、すべてヒストリーマンの語りによって進行しています。

ここが『怒りのデス・ロード』との大きな違いで、『怒りのデス・ロード』ではマックスの回想のように物語られるのでいわば自伝的であるのに対し、『マッドマックス:フュリオサ』はここまで比較してきた通り叙事詩的となっています。

つまり本作を鑑賞している皆様は、今まさに、フュリオサという伝説を口承によって伝えられている真っ最中なんですよ。

そのためヒストリーマンは子供時代のフュリオサと常に行動を共にしており、ディメンタスの最期についても彼が語ります。

フュリオサのそばに立つヒストリーマン
オレンチ
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ヒストリーマンは本作においてかなりのキーマンですね!

ちなみにヒストリーマンですが、実は『怒りのデス・ロード』のクロージングカード(ラストの格言テキストショット)で名前だけ登場しており、『怒りのデス・ロード』と『マッドマックス:フュリオサ』がセットになるよう、最初から構想されていたことがわかりますね。

思えば原題も『Furiosa: A Mad Max Saga』というように、”フュリオサ”という名前がメインタイトルとして掲げられているんですよね。

これは『ギルガメシュ叙事詩』や『オデュッセイア』、『べーオウルフ』など古くから名を残す叙事詩に則ったものなのかもしれません。

帰郷譚としての『マッドマックス:フュリオサ』

『マッドマックス:フュリオサ』が叙事詩として構築されていたことはわかりました。

ではそんな叙事詩の中で、フュリオサはどんな行動原理に基づいて歩むのでしょうか。

物語の主人公には必ず能動的に動ける行動原理が必要で、主人公が受動的になっている物語は往々にして面白くならないです。

本作におけるフュリオサの行動原理とは、第一章で語られた「何があろうと、どれだけ時間がかかろうと、必ず家に帰る」という亡き母との約束です。

復讐劇として語られることが多いですが、復讐劇としての構想はほとんど無いと思うんです。

復讐劇の場合、主人公の行動原理はもちろん復讐です。

本作に当てはめるとディメンタスへの復讐ということになりますが、、フュリオサの心は復讐に対して重きを置いていないように感じます。

確かに最後の章は、ディメンタスへ怒りの闘志を燃やしていますが、それ以前の──特に砦(シタデル)に身売りされた潜伏期間中、ディメンタスに対する復讐心は一度も描写されていないんです。

その代わり、星の航海術を利用して左腕に故郷への地図を書いたり、母親から受け取った桃の種を常に携帯している様を繰り返し描いたりと、フュリオサの故郷に対する──母との約束に対する──想いが色濃く語られています。

またオクトボスとの戦いでは、食料を積んだバイクとともにウォー・リグの裏に隠れていることから、故郷への脱出を試みていたことがよくわかります。

ディメンタスが支配するガスタウンへ向かう道中なので、復讐のチャンスを狙っているのであれば、そのことを示すシーンが前段にあるはずなのです。

ということで『マッドマックス:フュリオサ』は帰郷譚と言えるでしょう。

とにかく何があろうと、どんなに時間がかかっても故郷へ帰るという熱い想いが叙事詩として、丹精に描かれているんです。

つまりディメンタスへの復讐はフュリオサにとって、ただの通過点でしか無いのだと思います。

ともすると『怒りのデス・ロード』は『フュリオサ叙事詩』のクライマックスの部分を切り取ったモノのようにも思えてきます。

何はともあれ、前日譚が加わることで、ここまでオリジナル──『怒りのデス・ロード』──をアップデートする作品も珍しいですね。

マッドマックス:フュリオサ』がサーガに加わったことで、故郷が無くなってしまった現実を知ったフュリオサが、両膝をつき悲痛の叫びを上げるシーンの重さは今までと全く異なると思います。

行動原理を装飾している「何があろうと」の部分については、劇中に起こる様々な事件がそれに該当するのですが、「どんなに時間がかかろうと」の部分についても映画全体を使って表現されています。

本作を見た人なら誰もが感じたと思いますが、実は映画が開始してから60分以上、フュリオサ役として大々的にマーケティングされていたアニャ・テイラー=ジョイが登場しないんですよね。

場合によってはマイナス面として捉えられてしまうかもしれませんが、このような作劇を選択することで、歳月の長さを感じることができると思います。

オレンチ
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そもそもアニャ・テイラー=ジョイが登場しないからマイナス評価!っていうのもおかしな話だと思うんですよね。

故郷への帰還をテーマにした叙事詩には、様々な教訓や暗喩が込められていて、しばしば忍耐についても言及されます。

そういった意味では、歳月の長さを観客に感じさせることで、フュリオサの忍耐・不屈の精神という強さは鮮明に伝わってきますよね。

さらにフュリオサの忍耐をじっくりと丁寧に醸成させることで、アニャ・テイラー=ジョイがフュリオサ大隊長へと昇華する瞬間の凄みはより強力なものなっていたと思います。

言ってしまえば転生に等しいですね。

そんなフュリオサの転生を如実に表したシーンが、弾薬畑(バレットファーム)でのひとま。ディメンタスのRPGをもろに食らった直後、埋もれた砂から這い出てくるシーンがそれです。

このシーンは『怒りのデス・ロード』でも全く同じシーンがあり、『怒りのデス・ロード』評で論じた<英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)>にも共通する部分があると思います。

ここまでくるとジョージ・ミラー神は本当に神話──ともするとジョーゼフ・キャンベルによる『千の顔を持つ英雄』──が好きなのだなと思います。

オレンチ
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アニャ・テイラー=ジョイが60分も出てこない!というより子供時代のフュリオサを演じたアリーラ・ブラウンにもっとスポットライトが当たるべきだと思います。

黙示録の第五の騎士フュリオサ

またヒストリーマンがフュリオサを黙示録の第五の騎士として比喩してた点も面白かったですね。

新約聖書のヨハネの黙示録には、終末時に四騎士が出現し、これらの騎士は世界に厄災をもたらすとされています。

  • 白い馬に乗る騎士:「征服」を象徴し、彼の出現は戦争や侵略、征服をもたらすと解釈される。
  • 赤い馬に乗る騎士:「戦争」を象徴し、彼の出現は暴力は戦争、内乱をもたらすと解釈される。
  • 黒い馬に乗る騎士:「飢饉」を象徴し、彼の出現は飢饉や経済的な苦境を引き起こすと解釈される。
  • 青白い馬に乗る騎士:「死」を象徴し、彼の出現は大量の死と破壊をもたらすとされる。

『マッドマックス:フュリオサ』をジャンル映画の枠に収めると、ポストアポカリプスという終末後の世界を描いたジャンルになります。

アポカリプスというのはヨハネの黙示録のことなので、ポストアポカリプスというのは黙示録の四騎士が出現した後の世界ということなるんですね。

四騎士が世界を滅ぼした後に出現する第五の騎士フュリオサ───、なんともウィットに富んだ表現ですね。

オクトボスとの戦いとズーム・アウトショットについて

ここまで叙事詩や帰郷譚といった『マッドマックス:フュリオサ』における物語の構造的な部分について語ってきましたが、本作のショットについてもメスを入れていきたいと思います。

オレンチ
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映画とはショットだ!という持論があるので、映画を論じるにはショットを語らないと終われないです!w

個人的に本作のベストアクションシーンだと思うのが、オクトボスとのチェイス・シーン。

フュリオサが警護隊長ジャックと初めて接触するシーンなんですが、ここのアクションがとにかく凄いです。

『怒りのデス・ロード』評でアクションのアイディアについて語りましたが、ウエストランド流狩りの方法はまだまだ絞り出せるのですね。

小島監督(小島秀夫氏)が同チェイスシーンのワンショットについて「もはやアクション・アートだ!」語っていましたが、なんて的確な表現なんでしょうか。

オレンチ
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完全にそれだ!って感じです。

ウォー・リグを狙うオクトボス

小島監督の絶賛コメントを要約すると、つまりオクトボス流狩りの面白さを最大限に引き出すショットを選択しつつ、チェイス・シーンには必要不可欠な位置関係のわかりやすさを、完璧にクリアしているということだと思います。

目まぐるしく移動するチェイス・シーンでは追う者と追われる者の位置関係が視覚で把握できるか否かで、完成度が大きく異なります。

加えて僕が言及したいのが、ズームインアウトショットの上手さですよ。

個人的に素早いズームインとアウトは難しく、下手をするととてもマヌケなショットになってしまう危うさを孕んでいると思うのですが、ジョージ・ミラー神のズームインアウトショットの使い方はハリウッド随一だと思います。

オレンチ
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他に素早いズームインが上手いなと思うのは、クエンティン・タランティーノです。

例えばオクトボスとのチェイス・シーン。

トラッキングショットによってウォー・リグの爆走感を演出しつつ、素早いズームアウトでスケート靴を履いたオクトボスの部下がフレームインしてきます。

ややオクトボスの部下を煽る構図になるようにズームアウトするので、スケート靴が強調され、直後にスケートマンが浮上。カメラも追うように空中へと飛び立ちます。

こんなに華麗で前後のアクションを繋いでくれるズームアウトは、ともすると初めて見たかもしれません。

ズームインで言えば、被写体が本能で何を感じた時に合わせて彼ら彼女らの顔面へと素早くズームインするショットが多用されています。

例えばジャックとフュリオサが初めて顔を合わせるシーンではフュリオサへのズームショットの後、リバースショットでジャックのズームショットへと繋がれています。

こうすることで二人の出会いは本能レベルで意味のある者だということが強調されているんです。

つまりジョージ神のズームインはキャラクターの本能と呼応しているんですね。

さらに神ともなると、カメラがズームインしなくても被写体自らカメラに引き寄せられてくるパターンもあります。

「車の全体ショットから運転席のクローズアップショットへ」または「運転席のクローズアップショットから車の全体ショットへ」というふうにズームインとズームアウトを巧みに使いこなしています。

『怒りのデス・ロード』でも繰り返し使われたショットですが、『マッドマックス』シリーズは車も重要なキャラクター性を持っているため、こうすることで車と運転者との一体感が生まれるようになっています。

ディメンタスについて

ここからは新キャラ、クリス・ヘムズワース演じるディメンタスについて深掘りしてみようと思います。

今回のイモータン・ジョーはオマケのようなものなので、その代わりに登場したのがディメンタス。『怒りのデス・ロード』の前日譚を描いたコミックスにはDr.ディメンタスと名前だけは登場しているみたいですね。

要するに新たなヴィランとして投入されたのですが、個人的にはヴィランというよりもう一人の主人公のように思えるんですよ。

というのもフュリオサが耐えた15年の歳月の中で、ディメンタスもまた様々な変化を遂げているんです。

元々荒野を彷徨うだけのバイカー集団のを率いていたディメンタスですが、砦(シタデル)にたどり着き、洗礼を浴びつつも力づくでガスタウンの領主となり、さらに弾薬畑(バレットファーム)も占領し、最終的にウエストランドの40日戦争を仕掛ける──と、まるで独裁者的サクセスストーリーとでも言うかのような歩みをしていますよね。

サクセスストーリーというのは要するに成り上がりの物語なのですが、人が成り上がっていく様と言うのは、どんな世界観でも十二分に魅力がありますね。

ちなみにポル・ポトやスターリンなど歴史上の独裁者が参考にされているようで、彼の破壊的な成り上がりストーリーが独裁者的だと言う視点は間違ってなさそうです。

オレンチ
オレンチ

そう言われるとディメンタスの髭がスターリンっぽく見えてきませんか?w

ともあれよくもここまで掴みどころのないキャラクターを創造したものです。

目立ちたがり屋で、行き当たりばったりかと思えば、緻密な計画で欲しいものを掌握したり、どこかマヌケなのかと思えば、身も凍るような恐怖で統率を取ったり、カリスマ的マイクパフォーマンスで部下たちを魅了したりとカメレオン役者ならぬ、カメレオンキャラといったところ。

毎回見る角度を変えれば何度かディメンタスだけでも楽しめそうです。

目立ちたがり屋といえば、ディメンタスのマシン、チャリオットですよね。

ディメンタスのチャリオット
オレンチ
オレンチ

バイクでチャリオットだとっ!!と思った矢先、しっかりと曲がれるギミックを見た瞬間もう耐えられませんでしたw

広がるウエストランド

最後は舞台となっているウエストランド(崩壊後の世界)について簡単に。

『怒りのデス・ロード』では名前でしか言及されていなかった「ガスタウン」と「弾薬畑(バレットファーム)」についにカメラが足を踏み入れたことに感動を覚えますね。

そもそも本作は冒頭の「緑の地」を除けば、ほとんど「砦(シタデル)」、「ガスタウン」、「弾薬畑(バレットファーム)」のトライアングルの中で物語が展開するので、カメラが足を踏み入れて然るべきなのですが、映像として具現化されるのはやはり嬉しいですね。

「ガスタウン」と「弾薬畑(バレットファーム)」が登場することで、ウエストランドにロケーションが生まれ、エスタブリッシングショットも活用しやすくなるのでシーンとシーンの間に緩急も生まれていたかと思います。

なんとなく頭の中でマップが描けるようになった今、「この世界を舞台としたオープンワールドゲームなんかやってみたいな。」なんて風に思うのでした。

2 COMMENTS

のんこ

オレンチさん、2回観ただけでこんなに考察できるの天才ですか??
フュリオサが持っていた種、桃なんですね!なんだろう?りんご?トマト?って思っていたので、桃と聞いてすっきりしました

わたしもこれから、ジョージ・ミラー神って呼びます

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オレンチ

のんこさん
コメントありがとうございます!
そんな風に言っていただき本当に嬉しいです!
桃だったと思いますよっ!僕も最初はりんごかと思ってましたw

やっぱ神ですよねぇ・・・w

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