はじめまして!オレンチと申します。
今回は1995年に公開されたマーティン・スコセッシ監督のマフィア映画『カジノ』について僕なりに考察し、解説していければと思います。
『カジノ』は実際に起きたラスベガスの事件を元にしたマフィア映画で『グッドフェローズ』の犯罪小説家、ニコラス・ピレッジ原作の作品。
『グッドフェローズ』同様にロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシが共演しています。
スコセッシとデニーロが組んだ作品としては8作目という位置付けになります。
というわけで早速ですが本題へと進んでいきましょう!
『カジノ』のネタバレ感想・解説・考察
欲望によって破滅する人々の物語
『カジノ』は1995年に公開されたマーティン・スコセッシ監督によるマフィア映画で、1980年代に実際に世間を賑わせたラスベガスのカジノにまつわる犯罪を題材にしています。
『グッドフェローズ』同様にニコラス・ピレッジを原作としていますが、『グッドフェローズ』と大きく異なる点は『カジノ』は撮影開始当時にはまだ原作小説が完成してなかったということでしょう。
『カジノ』の原案はピレッジがニュースでラスベガスの実態を目の当たりにし、「是非小説にしたい!」というところからスタートしており、その話にスコセッシが食いついたという流れになります。
同じような作り方をしている作品としてはスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』やスティーブン・スプリバーグの『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』などが挙げられます。
ピレッジが小説化への動きを行っていた当初、関係者はことごとく取材を拒否していたのに対し、映画化の話がリークしスコセッシ監督、デニーロ主演の情報が流れると取材を拒否していた関係者は揃って協力的になったというエピソードがとても面白かったです。
ブライアン・デ・パルマ監督の『スカーフェイス』も同じようなことが言えますが、映画で描かれている世界で生きている人々にとってもスコセッシやデニーロ、パチーノやジョー・ペシなどはリスペクトの対象になっているんですね。
そういった経緯で制作された『カジノ』ですが、『ミーン・ストリート』『グッドフェローズ』に並びスコセッシにおけるマフィア映画三部作と言えるような気がします。
面白いのはいずれもデニーロが関わっており、スコセッシとデニーロの年齢に合わせてマフィア組織における立ち位置も変化している点ですね。
『ミーン・ストリート』では街のチンピラを描き、『グッドフェローズ』ではマフィアの下っ端──言い換えるなら歩兵──を描き、そして『カジノ』ではマフィアにおける中堅を描いています。
年齢のTPOに合わせて制作されているので、よりリアルなドラマを構築できているというわけですね。
そんな『カジノ』のテーマは『グッドフェローズ』と同様に【マフィアにおける繁栄と破滅】ですね。『グッドフェローズ』でもそうでしたが、なぜ破滅の道をたどってしまうのかと言えば、欲望が心を支配してしまうからです。
「”神”のようなマフィアのボスからカジノという”楽園”を与えられた男たちが、犯した罪によって楽園は壊れし、周囲もろとも崩壊する」とスコセッシが語っているように、『カジノ』では人間の欲望についてより色濃く描いた作品となっていました。
クリスチャンであるスコセッシらしい解釈で、まるでエデンの園から追放されてしまったアダムとイヴのようですね。
たとえばジョー・ペシ演じるニッキーはその典型。ニッキーはラスベガスを手付かずの金脈と称し、欲望にかられるまま悪行の限りを尽くしていきます。ついにはラスベガスにおける裏社会のボスにまで上り詰めますが、最終的には仲間に裏切られ弟とともに生き埋めにされてしまいます。
ロバート・デ・ニーロ演じる”エース”も同様に与えられた権力によって徐々に性格を蝕み、最終的には周囲もろとも崩壊へと追いやってしまいますよね。エースを惑わしたジンジャーも同じようなことが言えます。
ちなみにジンジャーの存在によって『カジノ』はフィルムノワール的とも感じることができました。というのはジンジャーはフィルムノワールにおけるファムファタールのような役回りに感じることができるんです。
ファムファタールというのはフィルムノワールに欠かせない要素の一つで、物語をドラマチックに動かし始める燃料のような存在です。
ファムファタールがフィルムノワールの中でどのような役割を果たすかというと、これまでミスのない人生を送ってきた刑事やマフィアの主人公を惑わし、破滅へと導く役割を果たします。
主人公はファムファタールに惚れてしまったがばっかりに、完璧だった人生の歯車を狂わせてしまうんですね。
そういった観点でみると『カジノ』のジンジャーは非常にファムファタール的と感じることができるのではないでしょうか。
華やかな衣装で物語る感情
さてテーマの他に『カジノ』において注目したいのが、登場人物たちの衣装です。
とりわけロバート・デ・ニーロ演じるエースと、シャロン・ストーン演じるジンジャーの衣装には是非注目してみたいです。
まずエースの衣装に注目してみましょう。
エースは常にスーツかガウンを着こなしており、誰もがその派手さに目を見張ることでしょう。あんな派手なスーツが似合うロバート・デ・ニーロもさすがと言ったところで、イケオジの権化みたいな存在ですよね。
面白いのが劇中で同じ服を2度と着ない点。これはエースのモデルとなったフランク・”レフティ”・ローゼンタールの習慣を再現したものだったそうです。
またラスベガスの権力者パット・ウェッブがエースの元を訪れるシーンで、エースはズボンを履かずに執務をこなしていますが、これもズボンにシワができてしまうことを嫌ったローゼンタールの習慣も再現したもの。
このように身だしなみにとても気を遣っていたエース(ローゼンタール)ですが、実はエースの感情や身の回りに起こる出来事に応じてスーツの色が変化していくんです。
特にジンジャーが子供を縛り、感情が大きく高ぶった時の真っ赤なスーツがとても印象的ですよね。思えば爆弾が仕掛けられていたキャデラックに向かう最中に来ていたスーツも赤に近いピンクのスーツでしたし、ライセンスの審査でピリピリしているときはよくピンクを身に纏っています。
ちなみにキャデラックの爆破は実際にあった出来事で、爆弾は助手席に仕掛けられていたようなのですが、キャデラックの助手席の足元には鉄板が敷かれていたことが幸いし、ローゼンタールは奇跡的に助かったと言います。
続いてジンジャーの衣装にも注目してみます。
ハスラー(詐欺師のようなもの)として登場した冒頭のジンジャーの衣装はとてもカラフルで、かつ三角のシルエットから誰にも縛られない自由奔放な彼女の性格を表していました。
しかし愛するレスター(ジェームズ・ウッズ)に制裁を加えられ酒とドラッグに溺れ、だすと次第に三角から逆三角のシルエットに変わり、単色で生地も硬いもの(レザーなど)に変わっていきます。レザーを身に纏ったジンジャーはまるで何かから身を守っているようにも見えてきますよね。
挙げ句の果てにレスターと駆け落ちした後のジンジャーは一変し、髪型はベリーショートに変わり豊胸手術まで施しているんです。
これはエースへの抵抗を表しており、豊胸の案はシャロン・ストーン自らの提案だったそうですよ。
ハリウッドへの警鐘
人間の欲望について色濃く描いた『カジノ』ですが、実は当時のハリウッドへ警鐘を鳴らした作品でもあるのです。
スコセッシは『カジノ』とハリウッドについてこう語ります。
「欲望や破滅するまで尽きることがない。
そして本作で描いた世界はハリウッドの映画業界に通じるものがある。金のかかる派手な映画ばかり作っていたら、ついには爆発してそこが抜けてしまう。
映画の現状を変える努力を続けていかねば超大作と低予算の映画が全く別の存在になるだろう。超大作でも傑作になりうるし、新しい技術を使った名作もある。
だが金がかかるから採算が取れない。
その分、大勢に見てもらわねばならないからだ。
すると作品は単一化する。複雑な主張があったり善悪が不明瞭な作品は、どうしても敬遠される。
悪者と善悪を明確にし、音楽などで絶え間なく何が教訓かを示し続けねばならないんだ。
一方、低予算の映画でも名作はあり得るが監督たちは常に貧しい。
では彼らが大金を使う機会をつかんだらどうだろう。
1970年代の私自身が経験したようにだ。
だが結局のところ採算はとれない。
だから『カジノ』は私にとっての道徳的な訓話であり、業界関係者を刺激する作品だったんだ。」
『カジノ』オーディオコメンタリーより引用
つまり『カジノ』公開当時のハリウッドでは興行成績への注力へ大きく比重が偏り監督たちの作家性が失われつつあることをマーティン・スコセッシは危険視していたということになります。
スコセッシのこの主張は僕も概ね同意であり、悲しきかな『カジノ』の時代からさらに興行成績への注力は肥大化しているように思えます。
もちろん映画は多くの人が関わる他に類を見ない芸術作品であり、関わった人たちによって生み出され支えられています。そのため彼らには然るべき報酬が与えられるべきだと思いますし、製作費の回収は絶対に視野に入れなくてはならない大事なことだと思います。
そう考えてみてもやはりスコセッシが危惧していたことは予言が当たるかのような道を辿っているように思えるのです。
僕の映画評ではよくハイコンセプト(商業映画)とソフトストーリー(芸術映画)という言葉を使いますが、ハイコンセプトに大きく偏った作品が魑魅魍魎のようにハリウッドを支配していっているように思えます。
例えば近年Disney+で配信されるスター・ウォーズやMCUのドラマ群はその典型で、ほとんどのドラマ作品が映画の引き伸ばしのような作り方をされているんです。
ドラマ作品は本来、一つ一つのエピソードにテーマがあり緩急があるものですが、Disney+のドラマは1シーズンで1つのエピソードを語り1シーズンの中で緩急をつけています。
そうすると緩だけのようなエピソードが生まれてしまい、一つ一つのエピソードに感じるエモーショナルな感覚は大きく異なってしまいます。
これが2時間の映画にまとめれば、その作品への感想は180度変わるかもしれません。
いずれにしてもDisney+という配信サービスを契約し続けてもらう策のような思惑がどうしてもチラついてしまうように感じました。
リアルな殺人
最後はちょっとした小ネタをお話しして終わりにします。
本作には顧問としてフランク・ヴィンセントが演じたフランク・マリーノが参加しています。(ニッキーの右腕のような役)当時のラスベガスの裏社会をその身で体験したフランク・マリーノのアドバイスが入っているというだけで、とてもリアルに感じられる『カジノ」ですが、実はフランク・マリーノ本人も映画に出演しているんです。
というのが、アンディ・ストーン(アラン・キング)と金の運び屋ジョン・ナンス(ビル・アリソン)を殺害する殺し屋の役。
この殺しのシーンに立ち会ったフランク・マリーノが「実際はそんな殺し方をしない」とスコセッシにアドバイスしたところ、「じゃあ、君が演じてくれ」とスコセッシに依頼されたことがそもそもの始まり。
つまり上記2件の殺しのシーンは、フランク・マリーノが実際に目の当たりにした(本人が手を下したかは不明)マフィアにおけるリアルな殺し方だそうです。
そう思うとなんとも恐ろしいしーんですよね。
というわけで『カジノ』の映画評でした。