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『シー・ハルク:ザ・アトーニー』解説ネタバレ感想・伏線・考察【評価】

オレンチ
オレンチ

はじめまして!オレンチと申します。

今回は2022年にDisney+で配信開始されたMCUのフェーズ4に属するドラマ『シー・ハルク:ザ・アトーニー』について僕なりに考察し、解説していければと思います。

普段はドラマ作品を深掘りした考察はしない(というか長くてできない)のですが、あまりに最高だったのでやる気を出してみました。

個人的には現時点のMCUドラマの中で最高傑作だと思っています。

というわけで早速ですが本題へと進んでいきましょう!

注意

この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

『シー・ハルク:ザ・アトーニー』のネタバレ感想・解説・考察

MCUでミソジニーを切る!

マーク・ラファロ演じるブルース・バナー a.k.a ハルクの従兄弟として登場したジェニファー・ウォルターズことシー・ハルク。彼女を主人公に迎えた本作は、第一話で肉体的なオリジン(スーパーパワーを持つことになったきっかけ)を描きます。

ちなみにアメコミヒーローモノには基本的に肉体的オリジンと精神的オリジンの2つのオリジンがあり、スパイダーマンが蜘蛛に噛まれたり、ブルース・バナーがガンマ線を浴びた──などは肉体的オリジンに分類されます。

精神的オリジンは「与えられたスーパーパワーを使って自分は何をするのか」という問いの答えを見つけた時を示します。素晴らしい精神的オリジンを描いた例をあげると、ジョン・ワッツ監督の『スパイダーマン:ホーム』シリーズで、この3部作は3作を通して精神的オリジンを描いていました。

また近年公開されたマット・リーヴス版の『ザ・バットマン』は素晴らしい精神的オリジンを描いた作品でした。

『シー・ハルク:ザ・アトーニー』に話を戻し、本作の肉体的オリジンから繋がるある出来事が、本作のテーマを雄弁に語っています。

ある出来事というのは、ブルース・バナーが十数年かけて克服した怒りを制御する方法を、ジェニファーは一瞬で克服してしまうという点。

もちろんダラダラと十数年かけて怒りを克服していくのではドラマの作劇にかなりの制約がかかってしまい、満足なストーリーを語ることができなかったでしょう。ただそれは表面上の理由で真の理由は本作のテーマが”ミソジニー(女性蔑視)”についてだからなんです。

ジェニファーはブルースとの修行の中でこんなことを語ります。「女性として生きていたら怒りを抑えるなんて毎日やっていること。もし反論したらヒステリックだとレッテルを貼られる。」と。

この瞬間に本作はミソジニーについて語っていくのだと確信しました。

女性というだけで見下され、反論すればヒステリックだとレッテルを貼られ、恐ろしいことに見下している側は悪意なくやってしまっているんですよね。

悪意のない差別のことをマイクロアグレッションと呼ぶのですが、マイクロアグレッションに興味がある人はぜひ『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』という書籍を読んでみてください。

かくいう僕も男性で、気づかずマイクロアグレッションを与えてしまっていることは多々あると思います。なので本作のような作品に出会うたびに自分の言動や行動を鑑みることが大切なのかなと思います。

ブルース・バナーでさえ、ジェニファーにマイクロアグレッションを与えるような言動をしていましたし、超勘違いな同僚を筆頭に、マッチングアプリではミソジニーの権化みたいな男性たちが魑魅魍魎と沸いていましたよね。

とにかくキモくてムカつく男性たちでしたが、自分の中にもそう言った男性性を秘めているということを肝に銘じてみていました。

ミソジニーやジェンダー、フェミニズムのような作品に出会うと、”またポリコレ”と言った声を聞くことがありますが、「また」といえるのはいつだって特権を持っている側なんですよね。

「また」ではなく、ようやく世間が耳を傾けてくれるようになってきたから、声をあげているだけなんだと思います。

そもそも今の時代の映画やドラマをちゃんと見ていれば否定的な意見でも、「また」みたいなカナブンの脳みそくらいしか働いていないセリフは出てこないはずで、ちゃんとした反論があるはずですよね。

第四の壁を破るわけ

本作最大の特徴と言っても過言ではないのが”第四の壁”を破るジェニファーの演出です。

“第四の壁”とはもともと演劇から生まれた言葉で、演者たちが観客に語りかけてくる演出のことを言います。

もし演劇のロケーションが室内だった場合、観客と演者の間にも壁があるはずですよね。その壁のことを”第四の壁”と言い、演者が観客に語りかけることを”第四の壁を破る”と言うんです。

と言うわけで本作のジェニファーはことあるごとに観客に声をかけ、第四の壁を破ってくるわけですが、それにはちゃんとした理由があったことが最終話でわかります。

本作の最終話はそれまで以上に第四の壁を破り、語りかけるだけでなく現実世界に出て来てしまいます。

かなり奇抜な演出で賛否両論の分かれる最終話だったかと思いますが、これを「ぶっ飛んだ演出」だけで片付けてしまうのは勿体無いです。

というのは、この「ぶっ飛んだ演出」こそ本作のテーマにおけるアンサーのようなものなんです。ジェニファー a.k.aが現実世界に飛び出して何をしたかと言うと、ドラマ『シー・ハルク』のエンディングを自分らしさ溢れるエンディングに変更していましたよね。

これを紐解くと男性だらけの役員が出した決定に直談判し、決定を左右したということになります。つまりジェニファーが第四の壁を破る行為は、男性優位の社会に中指を立てる布石になっていたんです。

もしかしたらMCUは男女平等だという決意表明なのかもしれないですね。

いずれにしてもドラマの中の架空の企業や団体に直談判するよりも、現実世界のマーベル・スタジオという今や最も成功した映画スタジオに直談判する方が圧倒的にインパクトがあり、メッセージ性の強いものになっていると思います。

個人的にはこの最終話にはスタンディングオベーションを送りたいくらいの英断だったと思います。

男性優位の社会についても近年では様々な作品で発信され、その中でも一際おすすめしたいのがHuluオリジナルで見れる『ハンドメイズテイル』です。

革命が起こったアメリカ合衆国で男性が全ての実権を握り、女性は産む道具として扱われるディストピア世界を描いたSF作品で、とても男性に嫌悪感を感じるドラマですが、このドラマが現実世界の縮図となっていることに我々男性は気をつけなくてはならないのかもしれませんね。

ドラマの定義

ちょっと視点を変えて、本作は最近のMCUドラマの中でも一番ドラマを作っていたと思います。

そもそもMCUドラマの半分くらいはドラマとして機能していないので、土俵にすら上がれてないですね。Disney+オリジナルでドラマらしいドラマといえば『マンダロリアン』か『ワンダヴィジョン』くらいに思ってます。(『キャシアン・アンドー』は今鑑賞中ですが、もしかしたらこれらの作品に肩を並べられるような気がしてます。)

ドラマの定義は誰かが定めたわけではなく、一概に言えるわけではないですが、ドラマをドラマたらしめているものは必ずあると思うんです。

僕の思うドラマの定義は1エピソードごとにテーマがあり、スタートとゴールが存在するということ。

三幕構成でも起承転結でも序破急でも、なんでもいいのですが、エピソードには必ず始まりと終わりがあるものですよね。ドラマというのは複数のエピソードの集合体で、1エピソードごとにスタートとゴールがあって然るべきだと僕は思います。

その点で考えると本作『シーハルク:ザ・アトーニー』はしっかりと各エピソードにスタートとゴールがあり、テーマの違いもよくわかります。同じ作者の違う絵を並べているようなイメージでしょうか。ポストクレジットシーンが本作に多いのも、各エピソードにゴールがあることを如実に表しているのではないでしょうか。

基本的にポストクレジットシーンはゴールがないと成立しないですからね。

これが例えば『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』や『オビ=ワン・ケノービ』の場合、各エピソードにテーマとそれに対するスタートとゴールは無く、ドラマ全体で1つのスタートとゴールしか持っていません。

要するに映画の引き伸ばしのような状態になってしまっているんです。両作品が2時間半くらいの映画だったのならば、個人的には大好きで何回もリピートしたい作品になったと思います。

上記のように冗長な作品になってしまうと、ダラダラと長いだけでストーリーがメタボリック化してしまっているように感じます。さらにどうしても興行だけを狙った大人たちが見えて来てしまって純粋に物語を楽しめない気持ちもあります。

さっきように絵で例えると、一人の作者の大きな絵を何枚にも分割して、1枚1枚見せられているような感覚でしょうか。

全て合わせて俯瞰してみれば、素晴らしい絵になるのですが、1枚だけ見せられてもなんの絵かわからないですよね。『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』や『オビ=ワン・ケノービ』ではそう言ったことが起きているように感じました。

と言うわけで本作『シーハルク:ザ・アトーニー』はしっかりとしたドラマを作ったと言う意味でも賞賛を与えたい作品でした。

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