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『運動靴と赤い金魚』解説ネタバレ感想・伏線・考察|【評価】

オレンチ

はじめまして。オレンチと申します。

今回は『運動靴と赤い金魚』について考察し、僕なりに本作について解説をしていこうと思います。

僕にとってはおそらく初のイラン映画。イランは映画の検閲が厳しく、様々な工夫によってメッセージ性の高い作品を輩出していると言うくらいの拙い知識から、できる限り知恵を振り絞って考えてみました!

というわけで以下目次より早速いってみよう!

注意

この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

『運動靴と赤い金魚』のネタバレ感想・解説・考察

妹の靴を無くしてしまった少年アリ。しかしアリの家庭には新しい靴を買うお金はなく、両親に話す勇気もない。アリの運動靴を妹とシェアすることでなんとか生活するの中、マラソン大会3位の商品が靴であることを知る。

イラン映画と検閲

イラン映画を語るなら、やはり検閲の厳しさについて少しは知っておかなければと思い、調べてみたので前書きとして記録しておきたいと思います。

そもそもなぜイランは映画の検閲が厳しいのか調べてみると、どうやら1978年に勃発した「イラン革命」が少なからず関わっていそうなことがわかってきました。

「イラン革命」よりも以前のイランは外国から様々な映画を輸入しており、ミニスカを履いているイラン女性を見かけることもあったそうです。

イラン革命より以前の国王はアメリカ合衆国の支援を元にイランの近代化や西欧化を目指していたのですが、急速な改革により貧富の差が生まれ、もともとイスラム圏だったこともあり改革に否定的な人々には秘密警察によって弾圧したりと、独裁的な改革によって国民の不満が高まっていったそう。

その不満はピークになると国王を「アメリカの操り人形」とみなしイラン革命が勃発、それ以降、現在に至るまでイスラム体制による宗教国家が出来上がることになります。

それ以降は国をあげてアメリカ合衆国の文化や西欧文化を否定し、必然的に閉鎖的な社会となり、映画に対しても厳しい検閲が生まれた背景があるようです。

『運動靴と赤い金魚』でも見ることができる貧富の差は、前述した改革によって生まれたものなのかもしれない。なんて思ったりしてしまいますね。

ちなみに当の国王はアメリカ合衆国に亡命し、合衆国がこれを受け入れたことで、イラン国民の怒りの矛先はアメリカ合衆国大使館へと向かいます。その事件を扱ったサスペンス映画の傑作中の傑作(事実にかなり加筆されていると言う批判もありますが)がベン・アフレック主演の『アルゴ』なわけです。

さらに冷戦真っ只中だったこともあり、イラン近隣へ革命が波及することを恐れたソ連は、アフガニスタンへと侵攻。ソ連のアフガニスタン侵攻がきっかけとなり9.11の悲劇を生むことになったりもしています。

この辺りは『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』と『マーシャル・ロー』を合わせてみるとより深く楽しく理解できると思うので、気になる方はぜひどうぞ。

イラン革命については『5分でわかる「イラン革命」原因やその後の影響、アメリカとの関係などを解説』を拝見させていただき、とても参考になりました。

このように「イラン革命」はイラン映画の検閲にかかわらず、歴史上の様々事件に関わっている大きなターニングポイントとなっており、前述された記事で紹介されていた『すべては1979年から始まった:21世紀を方向付けた反逆者たち』がとても面白そうなので、一応こちらでも紹介しておきます。

そろそろ「一体なんの話をしているんだ」と思う方もいるだろうし、そもそもここまで辿り着いてくれた方いるのかどうか疑問ですが、話を『運動靴と赤い金魚』に戻していこうと思います。

『運動靴と赤い金魚』に感じたイラン

本作の鑑賞で、イランという国に対して特に印象深かったのが2点ありまして、1つが男女が徹底的に分断された社会だということ。もう1つが前述した貧富の差についてでした。

この2点は特に劇中でうまく表現されていたように思えたので順番に解説していきます。

まず1つめ男女が徹底的に分断された社会についてですが、アリと妹がそもそも運動靴をシェアできる環境こそがイランの社会を如実に表していますよね。調査不足で恐縮ですが、おそらくイランの学校は完全に男女で分けられており、注意深く観ると教員たちも皆、男女で分けられていました。イランには法的なレベルで女性差別が存在するらしく、そういった状況を表現したかったのかもしれませんね。

続いて貧富の差についてですが、こちらは一度鑑賞すればハッキリと感じることができますよね。アリが父親と庭師の仕事を探しに行くシーンで、これでもかと言うほど違う世界を見せつけられます。

ただもう少し目を凝らしてみると、映画技法的に光るものが見えてきます。というのは、アリたちが暮らす──、貧困層が暮らす地域はエスタブリッシングショットがないのに対し、富裕層の地域のシーンにはエスタブリッシングショットが挿入されているんです。

エスタブリッシングショットとは、シーンの舞台となる建物や街などを撮った長ロングショットのこと。エスタブリッシングショットを挿入することで、シーンがどんな場所で起こっているか理解しやすくなる。

エスタブリッシングショットがなく壁に囲まれた貧困層の地域はとても窮屈に感じ、エスタブリッシングショットを挿入した広々とした空を映した富裕層の地域はとても開放感を感じることができたのではないでしょうか。

撮影や編集の細かい配慮で貧困の差を巧みに表現した好例だと言えるかもしれませんね。

子供には子供時代を

さて周知の事実かもしれませんが、前述したように厳しい検閲を掻い潜るため、イラン映画では子供を物語の主人公にする潮流があります。

本作も例外ではなく、物語の中心にいるのは少年アリとその妹。彼らを通じてイランという国の状況を描いているわけですね。つまりイラン映画には隠されたメッセージのようなものが常に内包されているようなフォーマットがあるわけですね。

強盗を知らせるためにピザ屋に電話するふりをして警察にSOSを求める人のような感覚を覚えますね。

ただ、過酷な環境を生きる健気な子供の物語として見てしまうとどうしても、親心的な感情が芽生えてしまう人も少なくないはずで、もちろん僕もその一人。冒頭から妹の靴を無くしてしまい、途方に暮れて涙するアリの姿に心を打たれてしまいました。

妹の靴を返してもらおうと訪れたある少女の家の前で「自分たちは恵まれている」と悟って静かに帰るアリと妹の背中に、社会が生み出した重さのようなものを感じました。

そんな中とても印象的だったのはアリの父親が浴びせる「9才はもう子供じゃない」と言うセリフです。

日本的な感覚でみると9才は子供ですよ。

子供には然るべき子供時代が必要だと思いますし、劇中でもおそらく似たようなメッセージが込められているように感じます。

特に2つの印象的な子供時代を象徴するシーンがあって、1つ目は靴を洗いながらシャボン玉で遊ぶ二人のシーン。そして貧困層のアリと富裕層の少年が貧富の垣根を超えて遊ぶシーンです。

特に後者は仕事としてやってきたアリを子供時代に返すとても感慨深いシーンだったかと思います。

さらに冒頭でアリのことを「お前はバカか」と罵ったセリフと呼応するように「アリはすごいな」と彼の可能性に気づく父親のシーンはとても美しいですよね。

もう一つ印象的だったのは、物語の中心にいるアリと妹の二人は常に走っているんですよね。もちろん靴をシェアするために日常で自動的に訓練された体は、クライマックスで結実します。

それよりも常に前を見て走る二人の姿からは、子供の可能性とバイタリティを感じた僕でした。

最後にイランにおける赤は勇気とか英雄の証なんだとか。ラストの金魚は妹のために走ったアリを讃え、癒しているかのようでした。

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