「私はどんな仕事をするときも、観客を見下さない。」──アーサー・A・ロス(脚本家)
こんにちは!オレンチです!
我が家のチビーズ(3歳と1歳)は空前のゴジラブームでして、ついには白黒時代のゴジラ作品にまで手を出しました。
この際なので白黒映画への抵抗をなくすべく、所有する白黒映画を定期的にチビーズの前で流していこうかなと思っている所存です。
そんなわけで今回はDVD棚から引っ張り出してきた『大アマゾンの半魚人』を取り上げていきますよ。
美女と野獣
1920年代から1950年代にかけて、ユニバーサル・スタジオはモンスター映画を量産した。
1920年代の『オペラの怪人』に始まり、1930年代には『魔人ドラキュラ』『フランケンシュタイン』『ミイラ再生』『透明人間』を、1940年代には『狼男』といったように、誰もが知っているモンスター映画を生み出していった。
これらの作品達はユニバーサル・モンスターズと呼ばれ、その後期となる1950年代に生み出されたのが『大アマゾンの半魚人』である。
ギレルモ・デル・トロ監督が『シェイプ・オブ・ウォーター』は『大アマゾンの半魚人』から着想を得たと発言したことで少しだけ話題になったが、本作を鑑賞すればそれも納得。
ベースは美女と野獣、もっと言えば『キングコング』の半魚人版なのだ。
アマゾンの奥地にて発掘中のカール・マイア博士によって、水かきのついた手の化石が発見される。
マイア博士はブラジルの海洋研究所に在籍しているリード博士に応援を求め、所長のウィリアムズ、助手のケイとともに調査へ向かう。
調査は難航し、リード博士の提案により一行は現地人が「魔物が住む」と恐れるブラック・ラグーン(黒い入り江)へと進んでいく・・・。
とまぁ非常にわかりやすく半漁人(以下、ギルマン)が住むブラック・ラグーンへと進んでいくのだが、これはコナン・ドイルの『失われた世界』が大きなベースとなっている。
原案のモーリス・ジムは『失われた世界』を基盤に、アマゾンの現地住民たちの間で実際に伝わる半漁人の伝説に置き換えることによって新たなストーリーを作り上げ、物語を都市伝説的にすることで親しみやすくした。
全ての物語はDNAで繋がっていると言える良い例であるなぁと思う。
後に『大アマゾンの半漁人』で強い印象を残したモンスターの主観ショットというDNAは、スティーブン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』へと受け継がれていくのだから。
さて一行はブラック・ラグーンを拠点に再度調査を開始することになるのだが、ここでヒロインのケイ・ローレンスが泳ぐシーンから美女と野獣─。ひいては『キングコング』が垣間見えだす。
水面を美しく泳ぐケイを海底から見つめるギルマンのショットから、ギルマンはケイに一目ぼれをするのだが、ここでのギルマンから見たケイのショットが面白い。
白黒のなせる技というべきか、ライティングによってケイの体が黒いシルエットのみとなり、裸に見えてくるのだ。
これは明らかに意識されており、後に監督のジャック・アーノルドは「このシーンはケイとギルマンのベッドシーンだ。」と認めている。
ギルマン、発情しとるやん。
発情してしまい、いてもたってもいられなくなったギルマンは、ケイと並走してブラック・ラグーンを泳ぐ。
うつ伏せで泳ぐケイ、仰向けで泳ぐギルマン、向き合いながら共通の運動をする二人。
まさしくベッドシーンである。
見る人から見れば美しいショットなのだろうけど、ギルマンが発情しているという事実、そしてなによりも「半魚人見えとるだろ」という邪念が個人的には気になってしまうんです。
ちなみにギルマンのスーツアクターは二人いて、泳ぎ担当はリコー・ブラウニング。
彼はギルマンのマスク以外なにも着用しておらず、水中眼鏡もなければ酸素ボンベもしょってない。
つまり、息を止めて演技しているのだ。
見えないところにチューブがついた酸素ボンベが設置されていて、そこから息継ぎをしていたようだけど、まぁまぁ体張っているよね。
とまぁここからギルマンの報われない恋の物語がはじまるのである。
モンスターが報われない物語というのは、『フランケンシュタイン』よろしく『ミイラ再生』よろしく、30年代~50年代のトレンドなんだなぁ。
60年代からはアメリカン・ニュー・シネマが流行りだすわけで、なんだかんだで報われないストーリーがアメリカン人は好きよね。
そして、この報われない物語を幼いころに鑑賞したギレルモ・デル・トロ少年が、もし二人が結ばれたら?と思い続け『シェイプ・オブ・ウォーター』を完成させることになる。
50万ドルの美脚
本作のヒロイン、ケイ・ローレンスを演じるジュリー・アダムスは当時27歳。
むちゃくちゃ美人である。
交じりっ気なしというか、当時はいじりようがないだろうから、純度100%の美人なんだろうなぁ。
さて彼女は本作の大ヒットで一躍スターダムにのし上がることになるが、本作については「叫び声がうるさいだけ」と酷評されてしまっている。
確かにお手本のように記号的でバリエーションもなく言われてみればうるさいだけなのだが、この時代に記号的という批評も野暮な気もするなぁ。
本作のジュリー・アダムスについて注目すべきはうるさい叫び声ではなく、その美脚!
特にギルマンを発情させる水泳のシーンだが、当時の水着としては明らかに脚を出し過ぎているらしい。
なんでも特注で、これ見よがしに脚をだしたそうな。
このことからも「シルエット=裸」というアプローチが見て取れる。
あまりにも美しい脚だったため、事務所勢は彼女の脚になんと50万ドルの保険をかけた。
以降、ジュリー・アダムスの出演作で本作ほど脚を出した作品は無いんだそうです。
つまり50万ドルの美脚を拝めるのは本作だけ!!
ただしだまされてはいけない。
泳いでいる姿の大半はボディダブルの方だし、
基本的に舞台は船の上で、なおかつ船の外からとらえたショットがほとんどなので、
肝心の美脚がなかなか映らないのだ。
しかしふいに写されるジュリー・アダムスの美脚は確かに美しい。
種族の壁を超え、ギルマンを発情させた50万ドルの美脚をとくとご覧あれ。
「叫び声がうるさい」と酷評されてしまったジュリー・アダムスだったが、本作では役者魂も見せています。
映画の後半、ギルマンに抱えられ洞窟の中を歩くシーンがあるが、
このシーンに使われているギルマンの目には穴が無く、スーツアクターのベン・チャップマンはほぼ見えていない状態だったそうだ。
そんな状態でジュリー・アダムスを抱えて歩いたもんだから、彼女の頭をセットの岩にぶつけまくり、さすがにジュリー・アダムスも悲鳴を上げたそうな。
撮影が一時中断し、リチャード・カールソンとギルマンが心配そうにジュリー・アダムスを見守るという何ともシュールな写真も残っている。
額にあざを作りながらもすぐに撮影は再開。
多分ベン・チャップマンも怪我したのが脚じゃなくてよかったと胸をなでおろしたことだろう。(この当時は保険がかけられていません。)
ちなみに『百万長者と結婚する方法』のベティ・グレイブルの脚には100万ドルの保険がかけられていたそうですよ。
観客は常識を持っている
本作の脚本に参加したアーサー・A・ロスはこう語る
「私はどんな仕事をするときも、観客を見下さない。観客は天才でも専門家でもないが、常識を持っている。」
至極的を得ていると思う。
つまり半漁人が実在するか否かの判断を、科学的に説明することはできないが、
そいつを無差別に攻撃することが善か悪かの判断はできるということだ。
そういったポリシーの中から生まれたのが常識を持ったリード博士なのだが、
当時のモンスター映画で、良い博士というキャラクターはかなり珍しく、おそらくインディアナ・ジョーンズなどの前身ともいえるキャラクターだろう。
常識といえば本作には時代をさきどった環境保護を訴えた面白いシーンがある。
ギルマンを捉えようと、川へしびれ薬を撒いている最中、ケイは船上ですっていたタバコを川へポイ捨てする。
数秒間、川に売られるタバコのショットが映し出された後、徐々にカメラは海底へ。
するとケイを見つめるギルマンが写される。
直後、しびれ薬の餌食となり川に浮かぶ大量の魚のショットへオーバーラップされるのだ。
最後に、続編について少しだけ語ろうかと思うのだけれど、
本作のヒットをうけユニバーサルはすぐに続編の『半漁人の逆襲』を作成する。
あらすじは『大アマゾンの半漁人』の直後、捕獲されたギルマンは都会へと連れられて行く。
ちなみに『半漁人の逆襲』はクリント・イーストウッドの俳優デビュー作であります。
さらに『半漁人の逆襲』の翌年、三作目にあたる『半漁人は我らの中を住く』を作成。
どんな話かというと、大やけどを負ってしまった半漁人が手術によって、人間の皮膚を移植し、より人間に近い姿へ生まれ変わり、人々の中で生活していく葛藤を描いたもの。(手術後のギルマンは洋服をきています。)
お気づきな方もいるかと思うが、ギルマンは三部作を通じて徐々に人間へと変わって行ってしまうのだ。
是非機会があれば、三部作とも鑑賞してみて下さいな。
ちなみに僕は1作目以降は見鑑賞です。